
寝る前に「若冲と蕪村」展の図録を見ている。若冲の作品は、水墨画を中心にこの間随分取り上げた。本日目に留まったのは与謝蕪村の水墨画である「維摩・龍・虎図」(1760)という3幅対の作品の内、「龍」。これまで特に惹かれなかったが、どういうわけか気になる。
最初はまず「虎」があまり気に入らないので素通りしていたよいだ。「維摩」の表情が隠者然としていてこれも気に入らなかった。このふたつを見て「龍」には眼がいかなかったようだ。
「虎」「維摩」と違って「龍」は闇の中から宇上でるように描かれている。白黒が反転している。画面の下に出ている足の指がとても大きく龍の体の長大さを暗示している。この足が画面の最下部の真ん中にあるのが、この作品のひとつの特徴というか、効果的な描き方だと思える。長大な龍は多くの画家は全体を描かずに顔を中心に巨大に見せる工夫をしている。画面いっぱいにはみ出さんばかりの顔を描いたり、構図の奇抜さもまた表現の仕方である。
しかしこの「龍」はどちらかというとそのような奇抜さはなく、どちらかというとおとなしい構図である。しかし闇からぬっと出てくるような出現の仕方で描いていて、じっくり見ると巨大さを充分に表現していると思った。
龍の顔はどちらかというとおどけているか、あまり強さを感じない。老いが優って老残を晒していそうな雰囲気もある。気力を無理に振り絞っているようにも見える。そんな無理に振り絞った生気を感じる。1760年45歳の歳の作品にしてはあまりに「老い」を感じる作品である。ここら辺について少しこだわって調べて見たくなる。朝鮮絵画の影響が大きいと解説に記されている。しかし蕪村は何をこの「龍」に託したのだろうか。疑問が湧いてくる。