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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

宮城県美術館「ゴッホ展-空白のパリ時代を追う-」

2013年06月30日 14時10分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 6月28日(金)に仙台にある宮城県美術館で開催されている「ゴッホ展-空白のパリ時代を追う-」に行って来た。
 小雨が続く肌寒い天候であった。ここを訪れるのは確か3回目。前回は松本竣介の回顧展のとき。最初に訪れたのはいつだったか、また何を開催していたか記憶にない。宮城県美術館は彫刻家佐藤忠良の記念館を併設しているので有名である。

   

 私が知っているゴッホの絵は、1887年作の「タンギー爺さん」を除いて、バリに出る前のオランダ・ベルギーで農民を描いたいくつかの作品と、パリから南フランスのアルルに映った以降の作品にほぼ限られる。
 今回は南フランスに移住してゴッホの絵画が全面的に開花するいわゆる準備時代としてのパリに焦点をあてて、さまざまな画家の試行錯誤、技量を身につけるための努力を辿っている。
 2年間という短い時間に大きな飛躍を遂げ、後期印象派の代表格と評されるような画家の苦闘が、たったの2年間なのか、2年もの間なのかは人によって違う解釈になろうが、この濃密な2年という時間が再評価されている。

 アムステルダムのファン・ゴッホ秘術間の集中的な7年間の研究成果が展示されているという展覧会である。技法上のことはよく理解できないが、初期の暗い画面構成から明るい画面への転移には、絵画に対する思いいれからの脱却と共に暗い諧調から明るい色彩の仕様という技法上の転移が同時進行する必要があったこと、その後に、筆のタッチや厚塗り・薄塗り、遠近法の習得、下塗りの選択、点描画法の取り入れと決別等々さまざまな技法上の苦闘の跡が示されている。
 写実中心から色彩の多様と調和、そして氾濫へ、筆のタッチとの調和により変遷していった様子が理解できる。さらに一気に書き上げたようなゴッホの絵であるが、実は入念な下絵に基づくものであることも教えられた。

 このような習作期ともいえる時代の絵だが、それでも心惹かれる絵がいくつかあった。私にとっても目新しい、初めて眼にする絵がいくつもあった。



 この絵「石切場の見えるモンマルトルの丘」(1986年)はオランダ時代の絵も思わせるような厚塗りの絵だが、雲の描き方がいいと思った。空の青と畑らしい緑の斜面、石切場の白と色彩の3区分が明確に強調されている。現実の風景の色感とは多分違って、色の対比のために現実を変えることに行き着いたのかもしれないと想像してみた。 石切場のゴツゴツした鋭い筆の運びによる量感と緑の斜面の柔らかい筆運び、雲のうねる様を処理した筆使いと素人の私にも何となくわかってしまうのが、問題なのかもしれない。



 次の「セーヌの河岸」(1887年)は極端に薄塗りである。こんな絵も描いたんだ、と思うと共に川の曲がり加減がなかなか面白いと思った。人の配置も面白い。上の絵といい、点景としての人の配置が実に効果的に思えるがどうだろう。ただしこの絵、左下半分を占める路が単調でつまらない。ここは色彩の工夫があっても良いと考えた。空と川の青は筆のタッチの差を利用しようとしているが、その効果ははっきりとは出ていないのではないか。そして全体に画面がおとなしい。後年のような躍動する風景になっていない。



 上と同じ「セーヌ河岸」(1887年)はこんどは上の絵の単調な道路などのような単調な色面はなく、色彩はバランスよく配置されている。川の面の色使いが、緻密に色を配置している。
 遠近も左辺中央への2本収束線でうまく出ているが、直線だけなのでちょっと単調。人の影の換わりに川岸に排水溝か何かの跡を利用して、5点ほどの黒いアクセントがありこれは効果的だと思う。ただし、右の岸の上の樹木の筆のタッチに統一性がなく、中途半端な感じがする。

   

 次の植物を描いた2枚の作品も年代による違いがよくわかる。はじめのバラを描いたものが1886年の夏、アサツキの鉢植えを描いたものが1887年の初め。前者がオランダ時代の暗い色調による質感重視だったものが、わずか一年をたたずに色彩とタッチの微妙な差で質感を描き分けるようになっている。そのかわり独特の質感・重量感、存在感が残念ながら希薄であることは確かだ。後者のほうがあっさりしている。しかも多少薄塗りだ。背景の色の配置にも気を配っている。光線の具合も明確だ。

 画家の言葉が引用されている。「僕は後悔することがある、オランダの灰色のトーンのパレットを捨ててなきゃ良かった。モンマルトルの景色を展ではなく筆でしっかり描けばよかったと」。画家自身はバリでの2年間の苦闘をあまり自己評価していないかのようだが、パリで当時前衛的であった印象派の影響を真っ向から受けて、色彩の調和から色彩の氾濫へと変貌を遂げたが、筆遣いについては原点回帰の面があったのかもしれない。しかし重厚な筆遣いと暗い色調の絵が、色彩が氾濫しそれを支えるうねるような筆遣いで躍動し流動する世界を描きえた画家には、この2年間の苦闘が必要だったと納得できる企画だったと思う。



 この「鳥の巣」(1886年)は画家が苦闘を開始した頃の絵ということになっている。弟の苦言を受けて、明るい赤と緑を加えるたり、背景を明るくしたりしているとの事。ゴッホの愛着のある絵であったらしい。新しい筆致を獲得する前の絵ということだが、私はこの絵が好きだ。
 ということはまだまだ私が飛躍できていない人間なのかもしれないが、それでもこの沈鬱な存在感が好きだ。



 さてもうひとつ、この展覧会での指摘。この1887年の絵、葦原とヒバリという取り合わせの絵として流通していたらしいが、どうやら研究の結果は違ったらしい。まず植物は円筒形の穂の状態から麦と断定され、麦畑にはえたケシの赤い花などが絵の赤いアクセントになっている。そしてヒバリとしたのは弟テオの妻ヨハンナが終生手放さずに「ひばりの飛び立つ麦畑」と命名してしまったとの事。地面近くを飛び、麦を食べるのであるから、この鳥はヒバリよりも十倍は大きいヤマウズラということだそうだ。ということで最新の正式名称は「ヤマウズラの飛び立つ麦畑」となった。
 絵は水平方向に単純な三層構造だが、空は視覚的に後退させる効果をねらって広い刷毛で薄く塗られて奥行を出し、麦畑は青い下地の上に粗い筆遣いで左向きの斜めの方向に風になびくように描かれている。また刈り取られた最下層の黄色の部分は麦とは反対の左向きになびくように描かれていて、麦の緑との対比をより引き立たせている。同時にこの黒いヤマウズラが書き加えられることで、麦の先端の画面を半分に水平に横断するラインと対角線との交わる点に黒い点が加わり画面の引き締めが行われているとの事。確かにこの鳥の黒い点が鳴ければ実にしまりのない絵になってしまう。
 


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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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レポートをありがとうございます (葦原の山姥)
2013-06-30 22:46:42
ここ数年は、西美でもブリヂストンでも素通りするばかりだったゴッホ。
久々に、きちんと見てみようか、なんて気になります(笑)。
ありがとうございました。
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光栄です (Fs)
2013-06-30 23:46:58
私の文章で、芸術的感興を得たなんて、恥ずかしながら感謝申し上げます。

でもカタログや展示の解説が、なかなか難しくて消化しきれてません。
間違いもある論考だと思います。お許しください。
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確かにひばりではない (通りがかり人)
2013-07-01 05:10:38
ヤマウズラとかいう鳥の飛ぶ空がきれいなこと。
いいですなゴッホは。まるでわかんない人間でも、油絵もいいなあ、と思います。
セーヌもいいですな。川は実にいい。7年前、一度だけ山形に、同僚の実家なのですが、さくらんぼ狩りに行きました。その時見た、最上川は、雨のあとだったらしく、水がゴワーン、と流れていた。あの流れは今でも眼に焼きついている。ううむ、川もいいものですな。
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氏のネクスト旅の場所を指定します (通りがかり人)
2013-07-01 05:18:13
やはりセーヌでしょ。ゴッホから130年近くたち、面影はどうなのかはわかりませんが、流れている水は相変わらずなのでしょうな。ロルカの詩集の中にも、スペインの川がありましたが、ヨーロッパの川も、いいものなのでしょうな。セーヌを見ずに、死にはせーぬ。奥方ご同伴でしょうな。今度は…
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最上川 (葦原の山姥)
2013-07-01 10:40:01
昔々、酒田に行った時のこと。
一寸した勘違いで山居倉庫から土門拳美術館まで歩くことになり、その時に渡りましたっけ。
国道が通る橋の歩道をトボトボ歩いただけのことですが、随分と広いなぁと感心した記憶があります。
ま、酒田は河口の街ですから、川幅があって当たり前なのですが…苦笑。

本文とは関係がないコメント、失礼しました<(_ _)>
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葦原の山姥様 (Fs)
2013-07-01 19:44:28
流域面積も長さもトップではありませんが、まさに大河。
江戸時代は河口の酒田から山形の上流まで舟運があったそうです。
芭蕉の「集めて早し」は実感だと思います。川岸まで水が満々としています。水量がとても多いんですよ。
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通りがかり人様 (Fs)
2013-07-02 04:22:37
ロルカの詩集、読んだことがなくオロオロしてるうちにコメント書きそびれてました<(_ _)>

セーヌ川・・たしかに見に行きたいですね。
妻にお伺いをたててみます。決定権は私は持たないようにしています(^_-)
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通りがかり人様 (Fs)
2013-07-02 04:28:16
コメントが二つありました、ありがとうございます。
「水がゴワーン」・・いい表現ですね。そのとおりに流れていました。
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