一昨日目刺を食べた。実に久しぶりだ。ここ20年ほど食べていないかもしれない。長さ15センチ位の小ぶりのもの。4尾一連で二連を一パックにして売っていたもの。確か160円くらいだったか。
10月23日の夕食づくりの買い物のとき懐かしくてつい購入したもの。献立の量が十分だったので、そのまま冷蔵庫にしまっていた。賞味期限が切れそうだというので急遽焼いた。
妻は食べた記憶はないようで、内臓の苦さや頭も食べるということが苦手の様子。私はこの内臓付近の苦さも頭から食べるというのも好きだ。学生の頃は居酒屋や定食屋にいっても目刺はメニューによく見かけたものだ。最近はごく安いメニューを並べている居酒屋にいっても、ちょっとしゃれた値の多少張る店でも目刺を見ることはまずない。
就職してから今までにどこかの居酒屋で食べたかもしれないが、記憶はない。仙台で過ごした学生時代にはメニューにあるものを注文した記憶もあり、また自分でも焼いて夕食のお膳に乗せたことが幾度もある。
20センチを越える大きな目刺よりも15センチ位の柔らかめの干し加減の目刺が私の好みだ。品物によって硬さや塩味の加減に差があり、それもまた食べるときの楽しみである。また焼加減によって随分食感にも違いが出る。十分に固めに焼くと内臓の苦味が少しだけなくなり、塩味が強く感じられる。柔らかめで火からおろすと苦味や独特の臭みは強いものの鰯の食感が残り、これもまたいい感じだ。臭み・頭の固さ・内臓の苦味が苦手な人は少し固めに焼くのがいいのだろう。
そういえば私の子供にも目刺を食べさせた記憶がない。ひょっとしたら忘れられてしまう味なのかもしれない。口にした記憶がなければ、伝統的な食材は忘れられてしまうものだ。安いのが取り得の目刺、そのうち値が張る高級品になってしまうのがさびしい気がする。
戦前までの、食材に貧富の差が濃く反映していた頃、目刺は庶民の、言い方は悪いが貧乏人・下層階級の食べ物であった。私の親なども「目刺なんか」という意識が強くあるようだ。
だから今から30年ほど前、土光敏夫が第二次臨時行政調査会長になったとき、「朝食はいつも目刺」という触れ込みが盛んに行われ、「庶民の味方」宣伝が行われた。私の仲間内の活動家からは「あの目刺は特別製で我々には手に入らない高級品」なんていう頓珍漢な反発を声高に、そして真剣にいうものがいた。そんなことは実につまらない反発で、私はあきれてその人間とはもう付き合いたくないと思ったものである。
この時期は、食材に貧富の差や階層・階級の出自が色濃く反映していた時代が完全に終焉したちょうどその時期ではなかったか。その頃からテレビの料理番組が大きくクローズアップされ始めたと思われる。
土光敏夫の「庶民性」を宣伝する当時の政権の担い手が「目刺」に着目したのは、まだそのような食材の階級性のにおいを引きずっていたから利用したのだろうか。それとも食材にはりついた階級性がもう消滅し、「戦後」の貧しさがもう解体したことを宣伝したかったのだろうか。そこのところは不明だが、反発する自称「左翼」が昔のままに、食材に階級性が張り付いたままの感性しかないのだから、どうしようもない。しかし新旧左翼の多くの活動家も同じような水準であったのかもしれない。実に情けない恥ずかしい記憶である。
ということで、しばらくは目刺ウォッチングをしながら、たまには目刺を購入して食べることを忘れないでおこう。
10月23日の夕食づくりの買い物のとき懐かしくてつい購入したもの。献立の量が十分だったので、そのまま冷蔵庫にしまっていた。賞味期限が切れそうだというので急遽焼いた。
妻は食べた記憶はないようで、内臓の苦さや頭も食べるということが苦手の様子。私はこの内臓付近の苦さも頭から食べるというのも好きだ。学生の頃は居酒屋や定食屋にいっても目刺はメニューによく見かけたものだ。最近はごく安いメニューを並べている居酒屋にいっても、ちょっとしゃれた値の多少張る店でも目刺を見ることはまずない。
就職してから今までにどこかの居酒屋で食べたかもしれないが、記憶はない。仙台で過ごした学生時代にはメニューにあるものを注文した記憶もあり、また自分でも焼いて夕食のお膳に乗せたことが幾度もある。
20センチを越える大きな目刺よりも15センチ位の柔らかめの干し加減の目刺が私の好みだ。品物によって硬さや塩味の加減に差があり、それもまた食べるときの楽しみである。また焼加減によって随分食感にも違いが出る。十分に固めに焼くと内臓の苦味が少しだけなくなり、塩味が強く感じられる。柔らかめで火からおろすと苦味や独特の臭みは強いものの鰯の食感が残り、これもまたいい感じだ。臭み・頭の固さ・内臓の苦味が苦手な人は少し固めに焼くのがいいのだろう。
そういえば私の子供にも目刺を食べさせた記憶がない。ひょっとしたら忘れられてしまう味なのかもしれない。口にした記憶がなければ、伝統的な食材は忘れられてしまうものだ。安いのが取り得の目刺、そのうち値が張る高級品になってしまうのがさびしい気がする。
戦前までの、食材に貧富の差が濃く反映していた頃、目刺は庶民の、言い方は悪いが貧乏人・下層階級の食べ物であった。私の親なども「目刺なんか」という意識が強くあるようだ。
だから今から30年ほど前、土光敏夫が第二次臨時行政調査会長になったとき、「朝食はいつも目刺」という触れ込みが盛んに行われ、「庶民の味方」宣伝が行われた。私の仲間内の活動家からは「あの目刺は特別製で我々には手に入らない高級品」なんていう頓珍漢な反発を声高に、そして真剣にいうものがいた。そんなことは実につまらない反発で、私はあきれてその人間とはもう付き合いたくないと思ったものである。
この時期は、食材に貧富の差や階層・階級の出自が色濃く反映していた時代が完全に終焉したちょうどその時期ではなかったか。その頃からテレビの料理番組が大きくクローズアップされ始めたと思われる。
土光敏夫の「庶民性」を宣伝する当時の政権の担い手が「目刺」に着目したのは、まだそのような食材の階級性のにおいを引きずっていたから利用したのだろうか。それとも食材にはりついた階級性がもう消滅し、「戦後」の貧しさがもう解体したことを宣伝したかったのだろうか。そこのところは不明だが、反発する自称「左翼」が昔のままに、食材に階級性が張り付いたままの感性しかないのだから、どうしようもない。しかし新旧左翼の多くの活動家も同じような水準であったのかもしれない。実に情けない恥ずかしい記憶である。
ということで、しばらくは目刺ウォッチングをしながら、たまには目刺を購入して食べることを忘れないでおこう。