goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

飲み会の約束

2012年10月29日 19時29分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩から本日の明け方まで、強い風と雨がガラス戸をたたき続けた。大雨・洪水・強風・雷注意報が出ていたが、さいわい雷雨とはならずホッとした。

 本日明け方以降は好天に恵まれ、午前中のジョギングの後、横浜駅で所用を済ませてからは関内周辺まで足を伸ばしてみた。特に行きたい場所などがあるでもなく、温かい日差しの中のオフィス街を気持ちよく散歩させてもらった。
 帰り道、市庁舎により現役の頃の職場に顔を出したが、9月の始めに一部別のビルへの引越しが行われていて、少々戸惑った。それでも以前の複数の友人と挨拶を交わし、明日に一緒に飲もうとの約束を取り付けるなど若干の楽しい時も過ごすことが出来た。
 そして自宅まで約1時間30分ほど歩いた。


映画「天地明察」

2012年10月29日 13時25分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 私も妻も普段は映画を見ることはあまりないが、天地明察という映画を見に出かけた。
 さてこの話は二代目安井算哲=渋川春海、私が中学二年生の頃、当時の天文ファンのための雑誌などに盛んに取り上げられていた。生誕250年ということだったのだろう。ただし安井算哲という名ではなく、渋川春海。という名の方が通っていた。しかも「はるみ」ではなく「しゅんかい」と音読みだったと思う。
 江戸幕府の初代天文方という役職についた学者ということで、また貞享暦の考案者、そして当時はほとんど取り上げられることのなかった和算にも秀でた人ということで紹介されていたのを記憶している。そんなことで名前だけは知っていた。いくつか読んだ記事から、初めての本格的な天文台長と天体観測家であること、地球が丸いということの認識、地球儀・天球儀などの製作者などのことを知った。
 貞享暦自体は、それまでの宣明暦の手直し程度だということだが、経度による誤差を組み込んだ功績は大きいし、「時間」を支配していることでその存在を示していた朝廷を向こうに回して、幕府を動かして改暦を迫った政治的な動き、社会を動かしたという意味での評価がより大きいと思われる。単なるオタクではなく、探求者ではなく組織を動かす、人を動かすという意味での開拓者としての重みがあったのだと思う。

 さて映画であるが、これは映画である以上歴史的な事実の羅列ではなくフィクションとして成り立たなくてはならない。だから史実とは異なることは前提で見なくてはならないが、史実と異なる点で気づいたことはとりあえず押さえておく必要がある。
 まず、渋川春海とえんの夫婦は映画では、春海があたかも初婚のように描いてあるが、共に再婚だったようだ。
 次に山崎闇斎はあんな切り合いの中で死んだのではない。時代劇だからアクションも必要ということで天文台の襲撃場面が設定されたようだが、ここまで作り話にするのはなかなか勇気がいる話だ。韓国の歴史劇の影響だろうか。
 また改暦の動きは二度となっているが、実際は三度だったようだ。そして三暦勝負なるものと改暦の働きかけの時期は微妙に違うようだ。
 最後の場面、群衆に囲まれ台の上で春海夫婦が抱きあう場面があるが、江戸時代に武士の夫婦があんなアクションをするわけがない。ここはもう少し別の場面設定があった方がドラマとしてもっとよかったように思う。
 本因坊道策との御前試合の天元打ち、これは映画では天元に打たれた道策はその横に白石を打つが実際の棋譜はまったく違う。これもちょいと大向こうをねらった大げさな表現である。
 私が気づいた史実との違いはおよそこれだけだが、ほかにもいっぱいあると思われる。特に観測機器の細かい仕様などはいろいろ議論がありそうだが、これは逆にたとえ少々の間違いや勘違いがあったとしてもここまでよく調べたという評価のほうが先に立つような気がする。
 ドラマとしては、春海が幕府の重鎮とのつながりを利用して政治的にステップを踏んで前に進める努力、朝廷の抵抗、妻との愛情物語、天才肌の関孝和の存在、緻密な観測データの集積の努力、天文台の建設、山崎闇斎との関係等々のエピソードを丁寧に積み上げているという感じがした。
 春海夫婦の二人の俳優や脇を固める老練な俳優も良かったが、ただ道策役の俳優はこれは残念ながら足を引っ張っている。坊主頭にするのが嫌だったのかかつらで坊主頭にしたてていたが、かつらが頭の上に浮いていて見られたものではなかった。ドラマとして、春海の碁の好敵手であり、畏友として失意の春海を批判する、とてつもなく重要な役であるにもかかわらず、その表情も仕草も素人芝居であった。確かに囲碁の命を削るような真剣勝負の世界に身を置く、目が据わって常に真っ向を見据える隙のない、常に精神が緊張している人物造形の努力は認めるが‥。
 開明的、ある意味怪物的な魅力の光圀のつくり方は良かった。南蛮渡来の文物・食材に関心を示した実際の光圀、後代の作られたイメージとは少々違う実情に挑戦しているように見えた。
 また4代将軍家綱が御前での囲碁対極に身を乗り出してきて自らの意思で対極を続けさせようとするなど(これも史実とは異なる場面かもしれない)、これまで「将軍」は自らの意思を表すことはなかったように演出された映画・芝居ばかりであるが、そうではなかったような演出は斬新に感じられた。実際も家綱は操り人形ではなかったようだ。
 北極出地隊の二人の学者の造形もドラマとしては面白いし役者も良かった。
 春海の妻を演じた宮崎あおいは出色の出来ではなかったかと感心した。役者としての力量を感じた。
 総体的に史実としてではなく、ドラマとしての出来はとてもよく、1時間半は十分に楽しめた。特に今年の天文現象で記憶に新しい金冠日食をあしらい、天文ファンも多くなっているおり、楽しい映画ではある。
 「疑問、観測、仮説、予測実証」という科学者としての道筋を踏まえながら、政治的な枠組みを変えていく方途と格闘した江戸時代の学者のドラマとしては出色の出来栄えと思う。
 そして私が感銘したのが、久石譲の音楽だ。なかなか場面とうまくマッチしていて心地よかった。
 ただしいつも感じるのだが、映画館の音響は何であんなに大音量にしなくてはいけないのだろうか。私が映画館で躊躇する大きな原因のひとつにあの大音量で耳を圧迫される不快がある。これが解消されれば、私はもっと多くの映画に足を運ぶのだが‥。

 映画の入場料、1人1800×2=3600円のところ50才以上の夫婦二人で1000円とのこと。これは1人1800円というのがもともと高すぎる設定ではないの?と思いつつ、券を購入した。若い人に映画に興味を持ってもらえるようにした価格設定を真剣に考えるなら別の料金体系があるのではないだろうか。そのほうが将来性を確保できると思うのだが、余計なお世話・心配か。