民家園廣瀬座

民家園のホームページでは、以下のように紹介されている。
「旧広瀬座は伊達郡梁川町の広瀬川川岸に当時の唯一の大衆娯楽施設として、明治20年(推定)に町内の有志によって建てられた芝居小屋です。舞台中央は回り舞台でその床下には奈落があり、花道・ぶどう棚・ちょぼ席など芝居小屋として必要なものはひと通り備えています。
外観も全般にわりあい簡素で古い形式ですが、小屋組には明治中期の建築を反映して、梁の長い洋風な造り(真束小屋)が採用されました。舞台の裏手は楽屋になっており、板壁には当時来演した役者たちの落書きが多数残されています。
このような芝居小屋は全国的にみても数棟しか現存していません。
明治の終わりから大正にかけて、次第に芝居の間に映像を入れる活動連鎖が上演され、昭和になると活動写真(映画)の人気が高まっていきました。昭和24年にはついに、映画館として改装され新たな娯楽施設となりましたが、テレビの登場で次第にすたれてしまいました。
広瀬川のたび重なる氾濫で被害を受け、昭和61年の洪水のあと、川幅を広げるため取り壊されることが決まりましたが、貴重な芝居小屋を残すため民家園で復元されました。」
現在は神楽・獅子舞などをはじめ伝統芸能の公演も行われているようだ。
横浜の近代建築のきり絵をさとうさんに作ってもらったときも、現存する建物を訪れるたびに、その維持管理は大変な労力と善意が必要であることが垣間見えた。建物の保存には日常の使用とともに、建物自体の補修のためには技能の継承という人にかかわる部分が極めて大きな要素である。今の社会、果たしてこのような人を大切にする社会構造となっているだろうか。
文化財や歴史的な建造物が朽ち果てている中、保存すべきものは多くあるが、人の手が直接触れて作り上げる技能や技術が大切にされず、価値がないものとさげすまれる社会は、歴史から断絶してしまい、埋もれてしまうのが、歴史の教訓ではないだろうか?
さてこのきり絵、御倉邸でも記載したがさとうさんの目は、あじさいと松の並木をきちんと捉えている。このあじさいがなんともいえず私の好みだ。廣瀬座のたんなる説明の絵、いわゆる絵葉書の構図とちがう。そして木造のきっかりとした骨組みが、あじさいと松のようすによってひきたっている。