Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

国立西洋美術館「フランツ・ブラングイン」展と東京国立博物館「細川家の至宝」展ほか

2010年05月01日 23時15分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は東京国立博物館と国立西洋美術館を訪れた。
 国立博物館では、まず、「仏像の道-インドから日本へ」。仏像が発生した紀元後の現パキスタン・ガンダーラ地方の初期仏像から、西域・中国・朝鮮半島を経由して日本の飛鳥時代の像の流れを22体の仏像で示そうというものだった。
 しかしそれぞれの地域で時系列の仏像の歴史があり、さらに各時代とも西から東への影響が起きていたことを考えれば、一本の流れだけで、全体の流れを把握できることはありえないことをキチンと頭に入れておかないと、いけないとあらためて感じた。どうも一面的な歴史理解に陥りやすい企画だと思った。
 もうひとつ南伝仏教の流れにまったく触れていない。タイ・カンボジア・ベトナムを経て中国南部から朝鮮半島への流れが紹介されていない。ここでもそれぞれが時系列をもっている。またチベットについても触れていない。
 同時に中国から西域へ、チベットへ、ベトナム・タイ等への逆の流れもあるのではないかと想像もしてみた。
 そんな大掛かりな陳列は無理としても、写真紹介でもいい、またそういうことも考慮に入れた複眼的な歴史があることは解説で触れなければ一面的な歴史把握・知識になってしまうと感じた。
 しかし初期のギリシャ・ローマ的な人間の表情に近い要素の仏像も、朝鮮半島・日本の様式化が進んだ仏像も、表情に差はあるものの、共通の親近感がある。祈りの衝動をかなり高次元で受け止める高度な思惟・哲学に基づいていることでは共通であるのだろう。
 次に新指定国宝・重要文化財の企画展示室へ。伊能忠敬関係資料を一括重要文化財から国宝に指定したのだが、伊能図をつくる元となった自筆の測量成果図など、地図を作る息吹が伝わってきた。
 出雲大社旧本殿跡からの出土品、平泉柳之御所跡出土品など、興味があったが、如何せん解説がないと理解ができない、評価ができない。
 次に企画展の「細川家の至宝」展。思ったよりは人は少なかった。鎧・兜・具足類は興味が無かったが、実際に目にしてみると、その奇抜な意匠に惹かれるものがあった。鳥の毛を幾本もまっすぐに兜の天辺から立てた意匠は奇抜であるだけのものというよりは、いかにも戦場での必然のように思わせる迫力を感じることができた。
 茶道具にも惹かれた。「唐物茶壷 銘 頼政」と茶碗「油滴天目」は黒の色の深みに吸い込まれそうな気分となった。確かに人を引き込む力がある。

 国立西洋美術館では松方コレクションのパートナーであったフランク・ブラングイン展から見た。残念ながら油絵や各種意匠より、エッチングと版画に心惹かれた。



 エッチングは、造船所での船の解体、造船の現場を描いたものや宗教画的なものがあったが、どれも陰影を強調しレンブラント様の光の演出で劇的な効果を狙っていた。油彩画もそのような劇的なものをねらっており、ブラングインの指向としては同じなのだろうが、エッチングの作品の方がより対象に肉薄している。油彩画は激しすぎる、空回りしている。
 ただし添付したエッチングの絵は船の下に労働者群がいない。働くものがいるものの方が余程良いと思われるのだが、いつものように私の気に入ったものは絵葉書にはならない。2700円のカタログを購入する資力はなく、断念した。
 版画はいかにもアール・ヌーボー然としたものだが、油絵とはまったく違って落ち着いたもので、これは私の好みだ。摺りに日本人が大きくかかわっていたとのこと。
 通常展示は駆け足のようにして回ったが、いつものようにクールベの前で立ち止まった。罠にはまった狐、波の絵などなど。そしてカミーユ・ピサロの冬景色の絵。またじっくりと見る機会を持たないと‥。