Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

人の死ということ

2010年05月10日 21時17分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 60歳も近くなると同年代の友人の死に幾度も出会う。本日、中学校・高等学校と同窓だった友人K君が亡くなった。6年間で同級だったことは2度だけだったと思うが、同じ柔道部に属したことが三年ほどある。顧問の先生とは、共にうまくいかなかったが、そこがウマが合ったのかもしれない。
 K君は文系、私は理系のクラスであったが、結構話が合ったように記憶している。大学にすんなりはいったものの、K君は国立市内、私は仙台の大学でどういうわけかそれぞれ5年かかって卒業。4月1日の就職日に同じ会場にいてビックリ、旧交をあたためた。
 大学の5年間の経験は実に似たような経験でもあり、それ以来部署はちがってもずいぶんと経験交流をおこなった。
 一昨年癌を発症し、今年の2月の研修で同席し、杖をついて弱々しく歩く姿を見たのが最後であった。年度末・年度始めのあわただしい日々に追われてつい、会う約束を果たせないままに本日訃報を聞く羽目となってしまった。痛恨の極みである。
 障害をもつお子さんを持ち、「これからは家族のために生きるんだ」「胸を張ってこれまでと違う生き方をしなくては、子供につたわらないぞ」という、最後に交わした会話が今も心に残る。
 働く、労働をする、ということについては極めて倫理的であり、自分にも他人にも誠実そのものであった。そのことが発症以来の休職期間中も「働いている仲間に申し訳ない」との言葉のを繰り返しに現れていた。
 58歳、もっと若くして死を迎えざるを得なかった人も当然大勢いるが、しかし私からみて若すぎる死である。他人や、家族に誠実であり、自分の人生にも極めて誠実であることがこんなに本人にも周囲にもつらい事態を招くというのは、悲しいことである。
 これ以上は詳細には今はまだ記載できないが、私のブログも名前が出すようになる時点でまた詳しく追悼の文章を掲載したい。

 本日は予定を変更して、追悼の日として私の記憶にキチンととどめておき冥福を祈る日としたい。合掌。

根津美術館(続き)

2010年05月10日 08時07分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 根津美術館での常設展では殷・周時代の饕餮(とうてつ)文の青銅器多数。字が鋳込まれている物はないが、国立博物館などの展示よりは見易い。文様がはっきりしている。
 どのような祭祀だったか、何をどのように何故祀ったか。中国の古代史は伝承や過去の文献にとらわれない客観的な叙述が必要、というのが白川静を読んで学んだような気がする。
 時代も地域もかけ離れているが、アメリカ大陸の古代のマヤやインカなどの石造の人面・動物面などと印象が似ている。機会があったらじっくりと比べてみたい。