Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

長谷川リン二郎(はせがわりんじろう)展(その2)、その他

2010年05月30日 21時59分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日NHKの日曜美術館で、長谷川リン二郎について放映していた。妻は髭のない「猫」を気に入ったようで、この放送をビデオに撮り、先ほど見せてくれた。
 昨日私が気に入った作品に上げたものでは、この猫の絵のほか、「巴里郊外」(1931)の2点であった。放送で取り上げられたら作品で「荻窪風景」(1953)と「乾魚」(1972)を私はあげていなかった。
 放映で指摘があったが、確かにこの2点の絵は長谷川リン二郎という画家を解く鍵になるのであろう。
 目の前の現実にある物の印象が与える感動を凝視し続けることを、通して現実の向こうの世界までをも執拗に見つめる、という行為。
 そのためには影などいらない。しかし現実の風景の背景となる空も、静物画の背景も、執拗に丁寧に塗りこめている。不思議な静的な空間が私たちの目の前に広がる。
 私にはとても魅力的で、内省的で、好ましい世界が広がる画家の一人だと思う。
 かつて洲之内徹の文章でチョコッとエピソードのみを知った画家であったが、「時には本の話でも‥」のブログの管理人さんに、展覧会を教えていただき感謝。この管理人さんには山口薫も教えてもらったし、長谷川等伯も伊藤若冲も教えてもらった。私の好きな画家の範囲は大きく広げてくれた。音楽についても同様である。
 むろんさまざまな画風が混在している。これに私の元から好きだった坂本繁二郎、香月泰男、佐藤哲三、あらたに魅せられた高島野十郎‥彼らを並べただけでもいろんな画風や振る舞いがあり、「統一性」はない。ある友人から「筋がとおっていない」といわれたことがある。しかし絵画にしろ、音楽にしろ好きなもの、さまざまなものに惹かれるものがあることに違いはない。ひとつの主義の絵や音楽などしか受け付けないという方がおかしいと思う。人はそれぞれ、感受性もそれぞれ、そして一人の人間には多面的な感動があって当然ではなかろうか。
 この歳でいろいろな刺激を素直に受けつけれられることのほうがうれしいと思うようになった。
 とりあえずこのような感想を書いて、「時には本の話でも‥」の管理人さんにあらためて感謝。

 さて今、スークの演奏のヘンデルのバイオリンソナタを再び聞いている。どうしても4番・5番が始まると左手の指が自然に動いてします。もう45年も前のことになるが、バイオリンを習っていてこの曲をならった。自分でも気に入ってずいぶん弾いて練習した。後年になっても折に触れて弾いていた。心が落ち着かないときに、必ず思い出す曲のひとつだ。どうしても忘れられない曲だ。