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伊東良徳の超乱読読書日記

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2013-10-30 21:44:37 | 小説
 1968年6月17日に東京から約2時間の盆地にある中規模の都市麗山にある私立大学麗山大学で医学部の学費値上げ反対闘争で正門前でピケラインを張っていた学生と機動隊が衝突する中に紛れ込んでいた高校1年生が死亡し、闘争の退潮につながった「麗山事件」の真相を、麗山大学が新たに設けた地域政治研究所の所長に招聘されて2011年に麗山に戻った麗山大学出身の政治学者鹿野道夫が調査を始め、事件を忘れたかった人々の反感を買いながら調査を進めていくミステリ仕立ての全共闘批判小説。
 学園紛争当時、死んだ高校生が憧れていた闘争のリーダー実川誠と鹿野道夫を、実川は闘争当時から直情径行型で客観的状勢判断ができない人物と描いた上で仲間を粛正して長期間刑務所に入り出獄後はヤクザと麻薬取引を行い元の仲間の鹿野を恐喝するという非道で低劣な人物として描き出し、鹿野は転向してうまく立ち回り政治学者として名を上げたが独善的で傲慢で反省しない人物と描き出しています。
 最初は鹿野が語り手で始まりますが、1963年生まれ(1968年の事件当時5歳)の大学での鹿野の教え子だった元新聞記者の市会議員石川正に語り手が移って行き、後半はもっぱら石川の視点からの鹿野・実川批判に終始します。全共闘世代というか全共闘の活動家は傲慢で反省せず展望もなく破壊ばかりして何も創造しなかった、その後の世代にとっては迷惑千万と、要するにそれが言いたい小説なんだなと、思いました。既に現役を引退している現在も権力を持たないかつて反権力の側にいた人々を、これまでもずっと安全でいて今ますます安全な体制側・警察側の視点でこき下ろすような小説を書いて何がうれしいんだろ、この人は、と思ってしまいました。その全共闘活動家実川・鹿野コンビを批判する作者の化身といえる1963年生まれ元新聞記者という設定(作者はこの小説を書いてるときは現役の読売新聞記者だったそうな)の石川は、事件被害者の遺族という設定にして批判を正当化しています。この設定自体、そういう設定にしないと、こんな時期になって安全な場所から全共闘の元活動家批判をすることが恥ずかしいこと、そういう設定なら理屈抜きで批判が正当化されやすいという浅ましい意識が感じられます。
 人権派弁護士もお嫌いなようで、遺族が真相を解明したいと起こした裁判も弁護士の売名のために行われ遺族も批判的だったしただ傷ついたと描写しています。子どもが死んでその犯人もわからないという状態では遺族が事件の真相を知りたいと裁判を起こすことはよくありますし、その心情はよくわかります(私自身の経験で言えば、松本サリン事件でお子さんを亡くされた遺族の方からは、損害賠償そのものよりも事件の真相を少しでも解明したいということとオウム真理教を潰して欲しいという要請を受けました)。弁護士としての経験で言えば、そういう事件は多くの場合かなりの労力を注ぐことになり奉仕的な色彩が強いと思うのですが。元全共闘の活動家に対する視線と合わせ、この作品では、左翼や人権派に対する敵意・非難の感情が強く感じられます。
 率直に言って、そういう政治的なメッセージ性が表に出すぎて、作品としては今ひとつに思えました。例えば鹿野の元同級生の秋月祐子とか、さらりとしたキャラでその後の展開に私は少し期待しましたが、書き込まれないままにしょぼい脇役で投げ捨てられています。事件をめぐる思いも最初の方はいろいろな登場人物が出て来たのにその後フォローされずに、石川正だけに収斂しています。もう少し周囲の人物を書き込んで膨らませたら作品としての味わいが出たと思うんですが。


堂場瞬一 文藝春秋 2012年5月30日発行
「オール讀物」2011年7月号~12月号連載
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