伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

螺鈿迷宮 上下

2013-12-31 23:36:15 | 小説
 「チーム・バチスタの栄光」で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞して作家デビューした海堂尊が宝島社の田口・白鳥シリーズと並行して角川書店から出版し「桜宮サーガ」へと海堂ワールドを拡げる嚆矢となった作品にして、田口・白鳥シリーズ第6弾「ケルベロスの肖像」の前日譚となっている作品。
 幼い頃に両親を交通事故で失いその賠償金を食いつぶして生活する東城大学医学部の落第生天馬大吉が、幼なじみの雑誌記者別宮葉子の策略で、桜宮の終末医療を一手に引き受けてきた碧翠院桜宮病院に潜入し、東城大学から治癒見込みのない患者を送りつけられて利用されてきた挙げ句にバチスタスキャンダルで患者が減った東城大学から再度終末医療にも侵食されて経営危機に陥り、桜宮一族が末期患者を食いつぶしながら東城大学への怨念をたぎらせる様子を見聞きしつつ、一卵性双生児の美人医師小百合・すみれに翻弄されながらすみれへの思いを募らせて行くという展開です。
 天馬大吉という怠惰で受動的で優柔不断でありながら、他人への批判的意識だけは先鋭で衒学趣味的で自意識過剰な主人公が、私にはどうにも共感できず、最後まで物語に入りきれない感じが残りました。優柔不断ぶりは田口・白鳥シリーズの田口公平も同じですが、田口の場合自分の希望が比較的素直に語られ、自分の限界・ダメさ加減を意識している分読みやすい。作者は、この天馬大吉をこの作品で主人公に据え、「ケルベロスの肖像」でも重要な位置に置き、「ケルベロスの肖像」の対になる作品と思われる「輝天炎上」でも主人公に据えています。どうしてこの人物に惚れ込んでいるのだろうと、どうしても好きになれない私は、不思議に思います。
 ミステリーと位置づけられる作品ですが、ミステリーとしては天馬大吉が示唆し続ける犯人像にかなり無理があり、まぁ殺人事件の動機とその縁由はさすがにわかりませんでしたが、そこ以外はふつうに読んでいけば大方は見える感じで今ひとつに思えます。
 海堂ワールドの桜宮サーガを構成するパーツとして見ると引き込まれるところがありますが、この作品単体としてみると、主人公が好きになれないためというのが大きいかとも思いますが、あまり魅力を感じませんでした。


海堂尊 角川文庫 2008年11月25日発行 (単行本は2006年11月)
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よだかの片想い

2013-12-29 20:06:54 | 小説
 左頬に大きなザのある大学院生前田アイコが、出版社に勤務する友人まりえの誘いで顔にアザがある人たちのルポの取材を受け雑誌の表紙を飾ったことからそのインタビューを元に映画が作られることになり、その打ち合わせで会った映画監督に思いを寄せるという恋愛小説。
 アザへのコンプレックスから人前に出るまい多くを望むまいという自己抑制と、自分にも人並みの恋があるかもという期待に挟まれたアイコの心情の揺れ、ちょっとしたことで思いを打ち砕かれ沈みながらも現実の恋愛経験のなさから思いを寄せたら間合いを取れずに走り自分も相手も追い詰めてしまう不器用さ、それが同級生からの告白を得て落ち着きを見せ成長する様子が描かれ、それぞれに切なく、胸に響きます。このお話では顔面の大きなアザという形ですが、容姿・容貌に恵まれない多数の人たちが、多かれ少なかれ似たような気持ちを経験しているわけで、いろいろに考えさせられます。
 「圧倒的に存在感があって、大きくて、強いものにひかれている自分に気付いた」「それなら、と私は前に向き直りながら、考えた。男の人はどんなものに魅了されるのだろう。自分よりも圧倒的に小さくて、頼りなくて、可愛らしいものか」(92ページ)。世間一般の「男」の感覚からたぶんずれている私には断言しかねますが、そのような感性は小さなプライドを守りたい安住感からのもので「魅了」されるものではないと思います。「そんなのつまらない」「そんなのは押しつけだ」として「だから私も、飛坂さんを圧倒的に大きくて強いものだと思いすぎてはいけないのだと考えた。私の期待や願望だけを込めすぎないように、ありのままをきちんと感じよう」(92ページ)と続ける作者に共感します。
 老教授の言葉「もし無理をすれば違う自分になれるんじゃないかと思っているなら、その幻想は、捨てた方がいいかもしれません。そのほうが、君はきっと成長できる。たしかに、人は変わることもある。しかし違う人間にはなれない。それは神の領分です」(176ページ)。けだし至言というべきか、いや違うというべきか、ちょっと思いが錯綜しました。


島本理生 集英社 2013年4月30日発行
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実務家のための労働判例読みこなし術

2013-12-26 21:57:37 | 実用書・ビジネス書
 労働事件に関する判例について分野ごとに整理して解説した本。
 「読みこなし術」というタイトルに合わせて冒頭に判決・判例の読み方について若干の解説があり、「判決文の中で結論(主文)を導いた『理屈』の部分を読み、その理屈と、前提となった事案(事実関係)とを対照させながら読みます」(29ページ)とした上で、判決の判断部分だけを読んで自分の主張と合致する部分(有利な部分)だけをピックアップするというのは危険で事実関係との関連に注意する必要がある(30ページ)としていることは、まさにその通りだと思います。一般の方は判例集とかネット掲載の判決の「判決要旨」とか判決文でアンダーラインがあるところだけを読んで、その要旨に書かれていることが常に当てはまると考えたり、自分に都合よく解釈することが、すごく多く、弁護士としてはこのことは特に強調しておきたいところです。
 しかし、「判決の評価についていうと、判決の結論・結果自体を取り上げて『不当・不合理だから誤りである』というのでは、実務家としては検討不十分」(30ページ)としていることは、一般論としてはそのご主張よくわかりますが、ここで著者がパナソニックプラズマディスプレイ事件の最高裁判決をみて『偽装請負が不当で、派遣労働者が保護されるべきだから、黙示の労働契約を否定した最高裁は誤り(これを認めた大阪高裁が正しい)』と評価するなどと例を挙げていることを見ると違和感を持ちます。この本でも例えば神戸弘陵学園事件最高裁判決など使用者側に不利な最高裁判決に対しては問題があると否定的評価を繰り返していますし、最高裁判決だからそれを前提にせざるを得ないとしつつ批判や当てこすりを述べています。
 この本では、比較的細かい論点まで判例を取り上げていて、労働事件を取り扱う弁護士が判例を勉強するときの手がかりとして使うのにはよさそうに思えます。1冊で幅広い分野を扱うことの限界で、判決の事件名と日付・掲載判例集だけで内容がまったく紹介されていなかったり、著者がそこだけ見るなという「結論だけ」の紹介のものが多いので、この本だけを読んでもわからないところが多く、気になったときにはこれを手がかりに判決文を読む、さらには判例集上の参考判例・類似判例を探してそこまで読んで初めて意味があることになるでしょうけど、そのためのインデックスとしては使えそうです。
 この本単独としては、詳しく取り上げている部分は読んでいてわりとよくわかりますが、項目と判例番号が書かれているだけという部分も多く詳しさの落差が大きいために疑問を感じながら読み流すしかないところが多々あり、特に一般の方が読み通すには辛いか著者がそうあってはならないと言っているような誤解(早のみこみ)をする可能性が高いように思えます。
 著者の意見は明らかに使用者側の立場で、取り上げる判例も、それなりには配慮されているとは思いますが、例えば期限付きの派遣労働者の期間中の派遣切りのケースで残期間の賃金が休業手当(6割)でいいか全額かという論点で、休業手当分だけでいいという三都企画建設事件大阪地裁判決だけを取り上げて反対の判例を一切取り上げずその結果反対の判例はないかのように読み取れる(292~293、301~303ページ)のは、かなり偏った姿勢だと思います(私の認識では、このパターンで公刊された判例集に掲載されている判決で休業手当相当分だけでよいとしたのはこの三都企画建設事件だけで、他の判決はいずれも賃金全額の支払を命じていると思います)。
 なお、109ページの「労働契約法13条」は労働契約法12条の誤りです。


高仲幸雄 労務行政 2013年9月26日発行
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四大公害病 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市公害

2013-12-22 00:03:48 | 人文・社会科学系
 1960年代に社会問題化し1960年代後半に次々と訴訟提起されいずれも原告側の勝訴判決が出た水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市公害について、発生と被害者たちの状況、原因究明と原因企業の抵抗、裁判と行政救済の経緯についてまとめた本。
 最初は手足のしびれ感に始まり劇症型のものではけいれんを起こしてのたうち回り死亡する水俣病(有機水銀中毒)、骨が軟化し布団の重みでも骨折が起こり息をしても針を刺すような痛みが生じ痛い痛いと呻きながら死んでいくイタイイタイ病(カドミウム中毒)など、改めて公害被害の悲惨さを噛みしめました。
 そういう被害者が多数出ているのに、こっそりと排水口を移設して被害地域を大幅に拡大し(20~21ページ)、漁民と約束して設置した浄化装置には水銀除去機能を設計上要求せずしかも問題のアセトアルデヒド製造工程の排水をその浄化装置を通さずに排水していた(29~30ページ)というチッソの悪辣さには読んでいて震えるほどの怒りを感じました。
 原因企業の非人道性に加えて、通産省も犯罪的な役割を果たしています。厚生省公衆衛生局長が1958年7月に水俣病にはチッソ水俣工場の廃棄物が影響していると発表した後の1959年11月、通産省軽工業局は水銀を扱うアセトアルデヒドと塩化ビニールの製造工場に対して工場排水中の水銀の含有量や排水口付近の泥土中の水銀含有量などの調査報告をさせておきながら「この調査は、水俣病問題が政治問題化しつつある現状に鑑み、秘扱いにて行うこととしていますので、この旨御承知の上、社外に対しては勿論、社内における取扱についても十分注意して実施されるよう希望致します」として握りつぶし(81~82ページ)、新潟県衛生部長が通産省に情報を求めても文書が残っていないと退けられた(85ページ)そうです。通産省が被害防止よりも企業活動の擁護に重きを置いていること、都合の悪い文書の隠蔽に熱心なことがよくわかります。
 四大公害裁判が全て原告側勝訴に終わっても、その後も行政救済の認定基準の狭さと硬直した行政の姿勢により被害者の救済が進まず、現在もなお解決されない問題が残っていることは、この本でも書かれていて、公害問題・公害病被害が終わったわけではないことを再認識できますが、本の構成としては過去の被害と原因究明、裁判と救済制度の経緯が大半を占め近年のことは少ししか触れられていません。過去のことでも読んで勉強にはなりますが、現在この本を出版する意義という観点からは現状についての記述がもう少し欲しかったなぁという気がしました。


政野淳子 中公新書 2013年10月25日発行
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波紋と螺旋とフィボナッチ

2013-12-19 01:00:06 | 自然科学・工学系
 動物の角や貝殻、亀の甲羅などがどのように成長して行くのか、動物の体表の模様(斑点、縞、網目)がどのように形成されるのかなどについて解説した本。
 「はじめに」で自然界に潜む単純なルールを発見することの快感を語り(2ページ)、美しい法則は間違っているはずがない(54ページ)という著者の主張に沿って展開される序盤の貝殻(巻き貝、アンモナイト等)の形成が開口部の拡大率と曲げ率とひねりの3要素で決定されアンモナイトのように海面に浮いて生活する貝の場合同一の姿勢を保つために開口部の角度に応じてその要素を変化させるつまり成長の要素が遺伝子で決まっているのではなく成長後の「意思」(脳内の情報)により変化するという仮説、動物の体表の模様が活性化因子と抑制因子の2つの相互作用によって数理的に記述でき(抑制因子が優勢だと斑点、活性化因子が優勢だと網目、均衡していると縞模様)熱帯魚の体表の模様の変化はその論理にしたがっているという仮説は、とても興味深く、また楽しく読めました。
 著者の専門は、チューリングの反応拡散原理により動物の形態形成(細胞が位置情報を得る仕組み)を説明するという点にあり、最初の方ではそれが2つの色素や活性化因子と抑制因子の2つの組み合わせの効果として説明され、比較的読みやすいのですが、後半に行くにつれ、その理論的説明と著者自身の研究史に話が移り、著者が親しみやすいような記述を心がけていることはわかるのですが、少しずつ難しくなっていき、また一般の興味から離れていく感じがします。私の好みとしてはちょうど半分くらい(第6章)までは、すごくおもしろい!と思って読めたのですが。


近藤滋 秀潤社 2013年9月15日発行
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倫理の死角 なぜ人と企業は判断を誤るのか

2013-12-18 21:55:00 | 人文・社会科学系
 倫理違反の行為は意図的な違反よりも人が無意識のうちに都合の悪い情報を遮断したり倫理の問題ではなく別の問題と規定するといった微妙な人間心理の作用によってなされることが多く、倫理違反が故意になされることを前提として行われている現在の倫理教育では防ぐことができないことを論じる本。
 人は倫理上のジレンマに向き合う前の段階では自分は倫理上正しい選択を行うはずだと思っている(倫理的な私の自己イメージ)が、いざ意思決定の段階になると刹那的で衝動的な「したい」が合理的で冷静な「すべき」を打ち負かし、意思決定後は倫理に反することをしたという認識の不快感を緩和するために都合の悪い情報を忘却したり倫理の基準をすり替えたり他に責任転嫁して振り返ってみると自分は倫理的な行動をしたと思い込み、これらのバイアスが一体となって人は自分を実際以上に倫理的な人間だと思い込む(88~109ページ)とか、「人は概して、まず私利私欲に基づいてどういう結果を望むかを選び、そのあとで、公正性の基準を自分に都合よく変えることにより、自分の望む結果を公正なものと位置づけ、正当化しようとする」(73ページ)とかの指摘は、なるほどと思います。
 裁判を例に「被告は原告に比べて、自分の主張に有利な細かい事実関係をよく記憶している反面、原告の主張の証拠となる事実はあまり覚えていない。一方、原告はこれと正反対の傾向が見て取れる」「人は自分にとって好ましい情報を吸収し、悪い情報を無視する傾向がある。裁判や和解調停に臨む人が結果を過度に楽観視することが多いのも、これが原因だ。もちろん、裁判で勝てるのは片方だけ。裁判で争う両者ともに『勝利の確率が75%』などということは、論理的にあり得ない。しかし双方とも、自分に都合のよい情報だけを見る結果、自分が勝てるはずだと思ってしまう。こういう人たちは、勝算を判断する際の根拠としている『事実』の認識にバイアスがかかっている。自分にとって好ましい情報しか見ておらず、都合の悪い情報は視界に入っていないのだ」(73~74ページ)というのは、弁護士として度々実感するところです。
 この本の基調は、講演なり交渉、政策提言において、相手のメンツを潰さずに未来志向で変化を求める立場から、大半の倫理違反行為は行為者が無意識のうちに、主観的には誠実であろうとしているのに、行われていると論じているのだと思います。私の感覚では、この本で挙げられている倫理違反の事例や日本でも多数ある企業不祥事では、行為者が誠実であろうとしてなされたというようには思えません。この本の最後の方で取り上げられている事例のたばこ産業が肺癌と喫煙の因果関係を隠蔽するために、1人1人の肺癌患者の発症原因を特定することがほぼ不可能なことを利用して、「専門家」に金を払って科学界のコンセンサスに異を唱えさせ、わかりにくい情報や曖昧な情報を意図的に流してその問題に結論が出ていないという印象を作り、動かぬ証拠を求め…(190~195、214~218ページ)という姿勢を取ってきたことは、どう見ても確信犯的に反倫理(犯罪」といってもよいと思う)的な行為を行ったものだと思いますし、これを見ていると原発の危険性を隠蔽するための電力会社の手口とそっくり。


原題:Blind Spots : Why We Fail to Do What’s Right and What to Do about It
マックス・H・ベイザーマン、アン・E・テンブランセル 訳:池村千秋
NTT出版 2013年9月17日発行 (原書は2011年)
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それもまたちいさな光

2013-12-16 22:27:29 | 小説
 デザイン事務所に勤める35歳独身の悠木仁絵と親のレストランを引き継いで調理師になった幼なじみの駒場雄大のお互いにジコチュウの恋人に振り回されてから恋に臆病になった後の思い、仁絵の友人たちで初の海外での個展が決まった田河珠子の既に追い越してしまった感のある男との恋の亀裂、編集者の長谷鹿ノ子の不倫の恋とその相手の入院、そして登場人物が様々な生活の場面で聞いているラジオ番組のパーソナリティ竜胆美帆子の夫との関係を絡ませていく恋愛小説。
 主人公の仁絵の語りで、子どもの頃からのばかげたことを知り尽くしている幼なじみと結婚できるか、ときめき見つめ合った初期がない相手と「生活」をやっていけるか、さらにはそういう相手に欲情できるかということが問われています。勢いとかタイミングの問題はあるでしょうけど、好きになったらばかげたこともただ微笑ましい想い出になっていくと思いますし、安心感と欲情は矛盾しないと思いますけどね。
 不倫相手の入院で改めて相手との関係、妻との関係を問い直し感情を整理していく鹿ノ子の思いもなかなかに切ない。
 そういう好きな相手を思う心情をそれぞれのシチュエーションで考え味わってちょっと切なかったり暖かく思ったりするタイプの作品です。設定が20代じゃなくて30代半ばというのが、そうするともう少し上の年齢にも考えを及ぼしやすくて、おじさん読者にはありがたく思えました。


角田光代 文春文庫 2012年5月10日発行
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さよなら渓谷

2013-12-16 07:57:52 | 小説
 息子殺しの容疑を受けた立花里美を追う週刊誌記者渡辺が、逮捕された里美の隣人の尾崎俊介に関心を持ち尾が学生時代に犯した集団レイプ事件を知りその被害者水谷夏美が就職先でレイプ事件を知られて転職し結婚後夫のDVで入院を繰り返し自殺未遂を繰り返した後失踪していることを突き止め、尾に迫るという展開の小説。
 2013年に映画化され(2013年6月22日公開)、映画の方を先に見ました。映画を見たときに、その後紆余曲折を経たとしても、レイプ事件の被害者が加害者とセックスする、被害者が加害者に欲情するという点にどうしても納得できず、また興味本位の報道のために人の過去を調査し暴き続けまったく反省の様子もない雑誌記者の様子に嫌悪感を持ちました。
 この作品では、この被害者の心の傷はレイプ自体よりもその後レイプを知られそれにより態度を変える男たちによって与えられている、それもこれもレイプ事件の存在故だから加害者を憎み「私より不幸になるなさいよ!私の前で苦しんでよ!」(172ページ)というものの、レイプ事件を知られることに脅え夜に付いていった自分を許してくれる人を求めるうち加害者といることで安心するという説明がなされています。レイプそのものよりも2次被害での傷の方が大きいという考えを前提にすれば、そういう心情もありうるのかもしれませんし、作者は人間という存在の複雑さを描きたかったのかもしれません。また、2次被害が告発対象とすれば、記者側は無自覚な様子を読者にさらした方がいいのかも知れません。
 しかし、もし被害者がそのような心情を持つに至るとしてもそれは周囲から深く傷つけられた故で、被害者をそこまで追い込んでしまう社会・マスコミの問題が問われるべきだと思いますが、この作品では加害者が負った十字架と加害者側のある種潔さというか献身的な姿勢が描かれ、被害者の選択にも被害者の心情の変化が示唆され、加害者と被害者の個人的な選択の問題に視線が向けられるようになっているように思えます。被害者が2次被害故に加害者と暮らせるかという点も含め、やはり違和感が残りました。


吉田修一 新潮社 2008年6月20日発行
映画の感想はこちら
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弁護士探偵物語 完全黙秘の女

2013-12-13 22:27:28 | 小説
 就職先が決まらず自宅事務所で独立開業した新人弁護士の指導役を任された、酔いどれ憎まれ口弁護士の「私」が、新人弁護士が被疑者国選弁護で担当することになった被害者は意識不明で身元不明、被疑者は名前も黙秘の女性という傷害事件の周囲を探るうちに、ある冤罪事件を巡る関係者の抗争に巻き込まれ…という展開のミステリー小説。
 新人女性弁護士をいじられ役の相棒に据えた分、デビュー作「天使の分け前」よりも主人公の「私」のひねくれ・憎まれ口の度合いを弱めています。この辺は、「このミス」の選評(「天使の分け前」巻末掲載)で叩かれまくったからかも。司法試験合格者数を増やして弁護士を増やした「司法改革」への弁護士側の怨嗟を前作よりさらに強め、弁護士の経済事情の悪化により人権擁護に取り組む弁護士がいなくなると論じつつもそれでもその道を突き進む弁護士もいることを描いていて、同じ業界に身を置く者としては、気持ちはよくわかります。
 現役弁護士が書いたリアリティが売りの作品のはずですが、作品の冒頭まだ始まって3ページ目で、おいおいと思ってしまいました。被疑者国選弁護人として警察署に接見(面会)に行った弁護士の発言「勾留状にはこのように書かれています。あなたは二〇一二年八月……、昨日と言った方がわかりやすいですか、午後十一時三十分頃、福岡市博多区の冷泉公園付近で、氏名不詳の男性に対して暴行を加え」(7ページ)。この設定だと、事件の翌日にもう勾留状ができていてそれを被疑者国選弁護人が手にして接見していることになります。勾留状というのは、警察は被疑者を逮捕から48時間以内に検察官送致し、検察官はその後24時間以内に勾留請求をしなければなりませんが、その勾留請求を受けた裁判官が被疑者に勾留質問をしてから出されるもので、通常の実務では逮捕後3日目に作成されます。それを弁護人が入手するのはさらにその翌日以降になると思います。少なくとも、私が刑事事件の実務に携わっていたとき(2007年まで)はそうでした。法律の規定は○○時間「以内」ですからそれより早くやってかまわないのですが、近年の福岡ではそんなに迅速な勾留状発布がなされているのでしょうか。それに近年の福岡では勾留状の記載で西暦を使う勇気ある裁判官がいるのでしょうか。
 この作品では終盤にそれなりにリアリティのある法廷シーンがあり(リアリティの程度については「私」の尋問の評価次第)楽しめるだけに、こういうところはそつなく押さえておいて欲しかったなぁと思いました。
 デビュー作でも指摘した作者のサブカル経験年齢ですが、この作品でも矢吹丈の減量失敗をリカバーするための下剤エピソードが(209ページ)かなり無理筋で突っ込まれています。受け狙いというよりも単に作者の趣味なんじゃないかという気がします(それならいっそのこと、いつも出てくる主人公が袋だたきにされるシーンで、「気のせいか、傍で手を叩いて『金、チョムチョムだ』と指示する男の声が聞こえた」とか挿入すればいいのに(^^ゞ)。


法坂一広 宝島社 2012年12月21日発行
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弁護士探偵物語 天使の分け前

2013-12-12 23:31:40 | 小説
 2人の絞殺死体を前に凶器とおぼしきザイルを首に巻いて呆然としていたという絶望的な被告人の国選弁護人となった「私」が、被告人の無罪を主張し、進行協議後の裁判官室で検察官に弁護人解任の上申書の提出と弁護人から虚偽の認否を求められたという被告人の供述調書を求めた裁判長の指示とその直後の被告人との接見を録音し、検察官の作成した弁護人から接見で嘘を言うよう求められ断ると怒鳴られたという虚偽の被告人調書を知人の新聞記者に送りつけて暴露し、その結果裁判所と検察庁、拘置所長から懲戒請求されたが弁解を拒否して業務停止1年の懲戒処分を受け、探偵見習をしているうちに新たな事件に巻き込まれ、事務所に戻りその床に無罪となったものの精神病院に強制入院させられていたはずの元被告人が絞殺死体となって転がっていたのを見た途端に殴られて気を失い気がついたら凶器とおぼしきザイルを首に巻いていたところを逮捕され…という展開のミステリー小説。
 現役弁護士(経験10年あまり)による裁判官・検察官の官僚的体質と警察官の遵法意識の低さへの怒りが表されていて、法律実務業界の描写にもリアリティがあり、弁護士としてはそうそうと思う部分が多々あります。加えて、私としては司法修習時に実務修習を行った福岡市と福岡地裁・福岡県弁護士会が舞台ということで懐かしい思いで読めました。
 リーガル・ミステリーとして捉えると、法廷部分での勝負ではなく、弁護士が主人公で事件に巻き込まれるという意味でのリーガル・ミステリーにとどまり、この作品では必ずしも主人公が弁護士でなくても成り立ちうるように思えます。
 主人公(名前は出て来ず、最後まで「私」)の強がり・減らず口・憎まれ口が続き、良かれ悪しかれそれがこの作品の基調を決めています。私自身、特に若い頃は妥協やなれ合いを嫌うたちでしたので、この主人公の姿勢はわかる気がしますが、この作品を読んでいると、そういう態度がいかに周囲の反感を買い近しい人々さえ呆れさせるかを実感させられ、改めて身を慎まねばとも考えさせられました。
 なお、作者は私より干支でひとまわりほど年下の1973年生まれのはずですが、頭が白いことを形容するのに「矢吹丈との試合を終えたホセ・メンドーサみたいだ」(293ページ)とか大きな靴を形容するのにジャイアント馬場のシューズ(220ページ)とか、経験が共通するのか高めの年齢の読者層を想定しているのか…


法坂一広 宝島社 2012年2月24日発行
第10回(2011年)「このミステリーがすごい!」大賞受賞作
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