伊東良徳の超乱読読書日記

読んだ本の感想を中心に本に対するコメントを書き散らします。読み終わった本は図書館に返すのでフォローは保証できません。

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東京ヴィレッジ

2012-08-25 19:30:19 | 小説
 玩具のデザインをやりたくて玩具メーカーに入ったが総務に配属されている33歳の松倉明里が、リストラの噂が飛び交う中、7年越しの恋人との結婚をもくろみ果たせぬうちに青梅の実家に怪しげな夫婦が居着いていることを知って・・・というお話。
 都心から通勤圏とも言えるプチ田舎と都心、壮年・初老世代と中年にさしかかる世代の微妙な利害と思惑、親族間の対立と共感・縁をテーマに据え、親世代や田舎に対して嫌悪・反感を持ちながらも結局親世代に依存する今どきの若年・中年層のずるさ・したたかさを描いています。
 最初の方の明里の青梅に対するけなしぶりはかなりひどく、作者は東京都生まれということで東京都のどこかは知りませんけど、作者が青梅出身でなかったらちょっとこの言い様は許せないという気持ちになるくらい。
 この小説では、サブプライムローン問題に端を発した世界同時不況を「ずどん」、東日本大震災を「どかん」と呼んでいて、まぁ数回程度ここぞという時にいうのなら一応しゃれた言い回しと感じる余地もないではないのですが、終わりまでずっと数十回にわたり(数える気力が出ないので数えていません。体感では数十回ということです)「ずどん」「どかん」が繰り返されます。こういうの、私は読んでいてすごく気恥ずかしい。会社名も、FJ航空(親方日の丸からスタートした半官半民の航空会社、会社更生法申請)なんて書くのなら日本航空にすればいいものをと思うのをはじめ、なんかしらじらしい名前が続いています。
 そういうあたりの書き方から来る気恥ずかしさ・不愉快さの部分で読後感が悪くなっているというか、途中で何度か放り投げたくなる本でした。


明野照葉 光文社 2012年1月20日発行
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ニッポンの書評

2012-08-19 21:54:43 | 人文・社会科学系
 日本と海外(英米独仏)、新聞・雑誌・ブログでの書評の現状と著者の考えるあるべき書評をめぐって論じた本。
 著者は、安易な「ネタばらし」や書評に名を借りた評者の自慢・自己PRとともに、匿名ブログやAmazonのカスタマーレビューでの批判に対して批判しています。
 書評においても質が求められるのは当然で、プロが書く「商品」としての書評の質が低ければ批判されるべきでしょうし、その質故に淘汰されることは望ましいというべきでしょう。著者が対談の中でいっているように(194ページ)たくさん書いて削った、そういう努力が質を決めるということはその通りだと思います。私自身読書関係の記事ではそういう努力はしていませんが(逆に基本的に時間をかけないようにしています。こちらに時間をかけると本業等に響くからということと、続かないから)。
 しかし、ブログ等での安易な批判記事への著者の書きぶりには、私は違和感を持ちます。著者は、書評を(書評家の役割を)「これは素晴らしいと思える作品を一人でも多くの読者にわかりやすい言葉で紹介することです」(12ページ)と位置づけ、(ベストセラーについては批判的な書評を書くこともある、作家の機嫌をとるために書かれてはならない、とは書かれていますが)本を売ることの応援と位置づけています。本を売る側のグループに属する立場からはそれでいいのでしょうけど、読者には違うニーズがあるはずです。著者が、匿名ブログやカスタマーレビューで安易な批判をする人に対して「営業妨害」だとした上で「匿名で書評ブログを開設している方は、今後は愛情をもって紹介できる本のことだけをお書きになってはいかがでしょうか」(117ページ)としている点に、著者の立場の不公正さを感じてしまいます。中身がきちんと読めない人間は、批判はしてはいけない(営業妨害だ)が、無責任なよいしょ記事は書いてもよいというのは、著者が書評は読者のために書くべきだとしていることとどういう関係に立つのでしょうか。無責任な批判記事で本が売れなくなったら営業妨害だというのであれば、その反面無責任な提灯記事に騙されてつまらない本を買わされる読者が出ることも憂慮すべきではないでしょうか。ブログの記事を参考にする読者は、常に好意的な書評しか書かない出版ムラの人々の意見だけでは飽き足りないから、素人の読み込み不足で深さもないとしても(それはそれぞれのブログの記事から読者が判断することでしょう)率直な意見を求めてブログを探すのじゃないでしょうか。レストランを選ぶのに広告だけでは判断したくない人が「食べログ」を参照するように。
 「粗筋や登場人物の名前を平気で間違える」ということを著者は匿名ブログの劣悪さのトップにおいています(114ページ)。でも、人間、間違えることはごく普通のことで、特に自分の専門分野以外のことならそれを批判するのもどうかと思います。著者の紹介している自分で書いた書評でも「連合赤軍派」なる記載があります(176ページ)。「赤軍派」と「革命左派」が合体して「統一赤軍」「連合赤軍」となりましたが、「連合赤軍派」という呼称は正式にはもちろんメジャーなレベルでは聞きません。
 「ネタばらし」についても、著者自身が悩んでいるように、それぞれの記事を書くときに考えながら決断していくことにならざるを得ないと思います。
 著者の追求するより質の高い書評をめぐる議論、あるいはプロ同士の批判については興味深く読ませてもらいました。しかし、私自身は、著者のスタンスと異なり、読者のためという観点からは、匿名ブログ等の安易な批判であっても、それを求めるニーズはある(批判記事そのもののニーズがなくても、少なくともダメと思った本は批判するというスタンスの人によって書かれた記事のニーズは確実にある)と考えますので、今後もあまり時間をかけないで書く記事を続けていくことにします。
<注:本稿を含めて私が書いているものは、著者のいうところの「書評」ではなく本についての記事または感想文です>


豊由美 光文社文庫 2011年4月20日発行
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マヤ文明 密林に栄えた石器文化

2012-08-16 09:03:39 | 人文・社会科学系
 マヤ文明についての解説書。
 四半世紀にわたりマヤの遺跡発掘と出土した石器の研究に取り組み、最初の発掘地のホンジュラスで妻も娶った著者が、「謎と神秘の文明」扱いされているマヤ文明の誤解を解き実像を知らせたいと考えて書いた本だそうです。
 マヤ文明が暦や天文学、宗教活動に没頭していた神秘的な人々というイメージで語られたのは、20世紀半ばまで欧米のマヤ学者が暦、天文学、宗教活動に関する部分しかマヤ文字を解読できなかったためで、その後のマヤ文字の解読の画期的な進歩によって碑文には他の文明同様王朝史などが詳細に書かれていることが明らかになっている(42ページ)、マヤ文字は1文字で1つの単語を表す表語文字や1文字で1音節を示す音節文字が併用され部首に相当する要素の組み合わせがある点で日本語の漢字仮名交じり文と似ている(39~40ページ)という話は、興味深く思えました。
 また著者の専門領域の石器の分析から、マヤ文明では統一王朝は成立しなかったが黒曜石製石器の交易範囲から都市国家を超えた広域支配があったと見られること(74~79ページ)、石碑の彫刻や装身具等の美術品の製造は専ら支配層の書記が行っていたと見られること(172~184ページ)などを論ずる部分は、なるほどと思います。
 内容的には、マヤ文明がインドより先に0を使用していた(22~23ページ)、多数の循環暦が用いられており(循環暦だから2012年に世界が滅亡すると予言していたなどということは嘘)天文学的な数字を計算していた(33~39ページ)など興味深い話が多いのですが、例えば最初の方で私が強い関心を持った「実際にはそれほど行われなかった『生け贄』が過度に強調されている」(14ページ)について、実際には生け贄はどれくらい行われていたのかとか「それ程行われていない」という根拠は何なのかというところがその後も書かれていないなど、やや食い足りないところもあります。
 他方、火山の噴火で短期間に廃棄されて当時の生活の様子を残しているホヤ・デ・セレン遺跡から農村での庶民の生活を説明する部分や、戦争で滅ぼされて短時間で放棄されたと見られるアグアテカ遺跡から王宮の生活を説明する部分など、画期的なことが書いてあるのだろうと思うのですが、それが発見される前はどう考えられていたかとかわからないのでどれくらい画期的なのか判断ができませんでした。そういうところとかもう少し書き込んでくれたらもっとよかったと思うのですが。


青山和夫 岩波新書 2012年4月20日発行
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完盗オンサイト

2012-08-15 22:29:37 | 小説
 アメリカで人気のプロクライマー伊藤葉月とチームを組んでクライミングに没頭していたが葉月に振られたことから失意の帰国をしてホームレス同様の生活を送っていた21歳の天才クライマー水沢浹(とおる)が、倒れたところを救ってくれた寺の住職を手伝ううちに住職が預かっている引っ込み思案で言葉が出ない少年斑鳩(いかる)と心を通じるようになり、巨大企業の会長から依頼されて皇居から徳川家光が愛した盆栽「三代将軍」を盗み出そうとするという小説。
 プロローグで皇居からの盆栽盗取を予告してからその場面まで約260ページ。プロローグで午前零時五分と打っておきながら、本文でその時刻を入れないというのも、なんだかなぁという気がしますし、ヤマ場に至るまでの長さと、そのヤマ場の描写がバランスが悪いのと、ラストに至る過程で当日の斑鳩の扱いや國生の出方・報奨金の不自然さというか浮いた感じが少し読後感を損ねているように思えます。布石関係では、瀬尾関係のエピソードが、小出に依頼した前2回の調査は放置されたままですし、両親との関係や愛子との関係もきちんと整理されていない感じがします。
 新人の江戸川乱歩賞受賞のデビュー作ですので、細かいことにこだわらず、続編を期待したいところです。40代後半の遅咲きですが、法律事務所勤務というのも親近感を感じますし。


玖村まゆみ 講談社 2011年8月8日発行
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ヤバい経済学 [増補改訂版]

2012-08-15 00:21:35 | 人文・社会科学系
 その結果が教師や学校の責任につながる一斉テストでの教師の不正や相撲の八百長、手数料の構造と不動産屋の売却のための努力の程度、出会い系サイトの掲載情報とレスポンス(メール)に見る人々の差別意識の本音と建て前、薬物の売人の収入のピラミッド構造(大半の底辺層のごくわずかな収入と殺害リスク、一握りのトップの高収入とそこに向けたアメリカンドリーム)、1990年代アメリカでの犯罪の劇的な減少の理由等について経済学の観点から解説した本。
 2006年に出た初版に出版後の指摘に答えた修正と著者のコラム・ブログの掲載を加えたもの。
 基本的に、著者が好奇心を持った日常的な問題について書いているということですが、私には前半4章が興味深く、特に1990年代アメリカの犯罪減少の原因が、一時賞賛されたジュリアーニ市長の割れ窓理論や厳しい取締・重罰化ではなく、1972年に出された連邦最高裁のローvsウェイド事件判決による中絶自由化の影響で貧しいティーンエイジャーの望まれない妊娠による胎児の多くが中絶されて生まれてきていれば犯罪者予備軍となった可能性の高い子どもたちが生まれてこなかったことにあるとしていることがとりわけ興味深く読めました。この点については、犯罪が減った年齢層や最高裁判決以前に中絶が自由化されていた州ではその年数だけ早く犯罪の減少が始まっていること(ニューヨークではジュリアーニが市長になるより前から犯罪減少が始まっている)など、検証も書かれていて(著者にとっても最も話題を呼び批判も受けたのがこの章だったこともあり)なるほどと思いました。
 第5章、第6章の子どもの名前の話は、アメリカ社会というか英語というかその感覚がわからないので読んでも今ひとつピンと来ないものが残り、日本の読者には眠いかも。
 前振りで説明されている、保育所のお迎えの遅刻を減らすための罰金の話も、著者は経済学一般のというか著者が重視するインセンティブの説明として書いているのですが、なかなか興味深い。月謝380ドルの保育所で試験的に10分以上の遅刻1回について3ドルの罰金を科すことにしたらお迎えの遅刻はどうなったか。すぐに倍以上に増えたという。月謝380ドルに対して毎日遅刻しても60ドルの罰金は苦にならず、それならベビーシッター料より安い。それで親の罪の意識が3ドルに置き換えられ、しかも罰金が3ドルということは遅刻はたいしたことじゃないというシグナルになって、罪の意識がなくなったため、試験運用が終わって罰金を廃止してもやはり遅刻は減らなかったとか。では罰金が100ドルならどうなるか。遅刻はなくなるだろうが、親からはひどい恨みを買うだろう。それで保育所は経営を続けられるかという問題になり、インセンティブはバランスが必要と結ばれています(19~24ページ)。理論は成り立つけど、実践は難しいよってことですね。
 相撲の八百長の話では、訳者あとがきがふるっています。「ここで相撲の話であるが、安全なアメリカにいるレヴィットはともかく、訳者は関連する件で2人も死者が出た(かもしれない)国にいる。あんまりツっこむと命が危ないので本人に語ってもらうことにする。」(391ページ)。刑事事件がらみで八百長の動かぬ証拠となるメールの残された携帯が押収されるまで八百長を否定し続けた相撲協会とそれを鵜呑みにして名誉毀損裁判で相撲協会を勝たせ続けてきた裁判所のある国ではこれが正しい言い方だったかもしれません。悲しいですが。
 内容はとてもおもしろいし、目からウロコの指摘も多いですが、専門書としてみたときには、論証となるデータや統計についての説明が少なく、大丈夫かなと思う部分も少なからずあり、そこが弱点かなと思います。


原題:Freakonomics
スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー 訳:望月衛
東洋経済新報社 2007年5月10日発行 (初版は2006年、原書は2005年)

映画についての感想はこちら→映画「ヤバい経済学
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ハードラック

2012-08-14 20:33:41 | 小説
 派遣切りで職場と寮から追い出されてネットカフェ難民となった上、類似の境遇という者を信じて話に乗ったためになけなしの貯金を騙し取られてその日の生活費もなくなり、闇サイトの求人にアクセスし、違法な仕事に手を染めた相沢仁が、一発逆転を狙って闇サイトに求人記事を書き込んで人を集め、結局は軽井沢の別荘地に住む裕福な老夫婦を襲う計画を立てたところ、途中で相沢は殴られて気絶し、気がつくと老夫婦は殺されて別荘は放火され、ナイフには相沢の指紋があり、相沢の手元には血に汚れた札束が残されていた。相沢は指名手配を受けて逃走しながら真犯人を捜すが・・・というミステリー。
 ミステリーとしては、布石は十分に回収され(気になるとしたら、神楽坂駅で舞はボストンバッグをどうしたのかとか、真犯人は声をどうごまかしていたのかとかくらいかな)、いい線かと思います。さすがに終わりの方に行けば真犯人は読めますから、明かされてビックリというわけには行きませんが。
 派遣切りや日雇い派遣をめぐる搾取構造、振り込め詐欺やその被害者を何重にも毟ろうとする連中によって生活苦や不幸のどん底に落とされた人々の境遇が、バックボーンとして示されています。そういう中で、自分は気をつけているつもりでも何度も裏切られていく主人公と、冷徹ではあるもののそこに至る過程には同情するしかない真犯人という設定が、ほろ苦さを残す、いろいろと考えさせられる作品です。


薬丸岳 徳間書店 2011年9月30日発行
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コーヒーもう一杯

2012-08-10 00:22:35 | 小説
 内装デザイン会社勤務の32歳山守未紀が、非現実的でわがままな出店希望者の客と大げんかして啖呵を切ったのを機に会社を辞めてカフェを経営することになり、悪戦苦闘する様子を描いた小説。
 給与所得者と違い収入の保証もなく売り物と売り方を考え経費を捻出し労働時間の制限もなく切りがない労働に追い込まれ、それでも客が来なけりゃ売上げもなく赤字という自営業者の悲哀が、わかりやすく描かれています。自営業者の身としては、ある面わかるわかるというか、客にもこういうところわかって欲しいなぁとか思ったり、身につまされたり、複雑な思い。後半での、同業者の嫉妬・やっかみ、失敗願望というあたりも、悲しくなるけど、そうだよなぁと思ってしまいます。
 他方で、経済的にも労働時間的にも割に合わなくても、自営業のやりがいということも描かれていて、救われる感じがします。
 もっとも、そういう懲りない起業願望を食い物にして生きている業者もいるわけで、ご用心というところですが。


平安寿子 新潮社 2011年10月20日発行
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花嫁

2012-08-09 23:39:45 | 小説
 成功した和菓子屋の職人の父と美人の母、将来家業を継ぐことを見込んで菓子メーカーに勤める兄と今も兄のベッドに潜り込むブラザーコンプレックスの大学生の妹の4人家族が、兄が婚約者を連れてきたことを契機に不協和音を生じていく様子を描いた小説。
 妹、兄、父、母それぞれの視点から語られる4章立てで、仲のよい家族像が次第にほころびていきます。それぞれの語り手にあわせて文体というか文章の重みが変えられていて、最初の妹のところでは、軽すぎるというか甘えた文体に閉口しましたが、読み進むにつれて、あぁ語り手に合わせてると納得でき、後半ではむしろ巧みに感じられます。父親の語りの3章目など、中年男の純愛とそれ以外も含めた切ない心情に頷かされます。まだ20代の作者がこういう機微を書き込めるのだなとしみじみしてしまいました。
 母の姿には、たぶん評価が分かれるのだと思います。男と女でか、個人的経験でかはわかりませんが。3章から4章へと読み進める中で、これはないでしょ、あんた何様?と、私は思ってしまいます。4章でというよりも3章の途中で先が読めてしまって、そう思いました。それでも20年も耐えれば立派、という評価もあるかもしれません。そこは、むしろ醒めた心でこそ仲良しを演じる意思があれば淡々と演じ続けられるのかも、とも思いますが。


青山七恵 幻冬舎 2012年2月10日発行
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番犬は庭を守る

2012-08-08 22:58:16 | 小説
 原子力発電所や廃棄物処分場が次々と事故を起こして汚染され、男性の生殖能力が落ちて受精できるレベルの精子を持つ男は種馬として精子バンクに登録されて財をなし、多くの夫婦は超少子化社会での給付金目当てに精子バンクから精子を買って人工授精に励み、クローン豚による臓器移植で汚染レベルを下げて生きながらえるという、貧富の差が拡大した「ナパジ」国での庶民層の生き様を描いた小説。
 たぶん反原発の作品なんでしょうけど、暗くていじましくて展望がない。読んでいて前向きになれなくて、ただ疲れて滅入ってしまう。まぁどんなに絶望的な社会でも人は何とかしたたかに生き続けるって、そっちの方のメッセージでしょうかね。
 地名はほとんどがローマ字記載して逆さに読むと原子力施設の所在地になっています。必ずしもきれいにそうなっていなかったりしますが。例えば前半の重要な地点アルミアコット:arumiakot。最初は「都会村」という概念かと思いましたが、これは東海村ですね。もちろん、ナパジ:napajも、というか冒頭で語られる捕鯨文化の国「ナパジ」で意図は見えてしまいます。しゃれのつもりなのか、念のための逃げなのかわかりませんが、主張として書くならはっきり実地名で書けばいいのにと思います。


岩井俊二 幻冬舎 2012年1月25日発行
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週末は家族

2012-08-06 23:05:04 | 小説
 児童養護施設に入所する10歳の少女を週末里親制度でときどき週末だけ連れ出して子役に使う友達夫婦が親子の型にはまらないままになじんでいく姿を描いた小説。
 容姿が完璧で悪女でありながら純情な女を求め恋が成就することがないと判断した41歳になってもシェークスピアに心酔しシェークスピア劇を書き続ける劇団主宰者大輔と、大学時代からの友人で恋愛感情も性的欲求もない無性愛者の瑞穂が、世間の圧力を避けて夫と妻という役を手に入れるための打算による結婚をし、そこに母親に捨てられ施設で孤立しながらも強く生き抜き母親とは暮らしたくない妙に大人びた10歳の少女ひなたが加わるという設定で、年相応に結婚し子どもを持てとか子どもは親と一緒に暮らすのが一番という世間の圧力を「思い込み」と蹴飛ばしています。その上で、夫婦・親子という枠組みにはまらなくても、親しくはなれる、チームでいいじゃないかと問題提起しています。3人の交互の語りで、それぞれの主観と外からの見え方のズレを見せ、特にひなたの語りでは突き放した醒めた観察を示しながら、次第に交じり和んでいく微妙な変化が「成長」というかはさておき微笑ましい。子どもだ、大人だあるいは親だ、妻だ、夫だということにこだわらず、その役割を少し外して眺めたりつきあったりするのもいいかもって、感じさせてくれます。


桂望実 朝日新聞出版 2012年1月30日発行
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