syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

長崎・平和公園と浦上天主堂

2011-07-20 | 気まま旅
雨の中、平和公園へ、平和祈念像は公園の、そして平和のシンボル、上空を指す右手は原爆の脅威、水平に伸びた左手は、世界の平和、
軽く閉じられた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈っているといわれている。緑豊かな園内にはほかにも平和の泉や平和の鐘などがある。

        

噴水の正面に平和記念像





浦上天主堂
祈りの城として造られたレンガの天主堂。明治維新後、弾圧に耐えてようやく信仰の自由を得た浦上のキリスト教信者たちが建てた         
東洋一のロマネスク様式の大聖堂。33年の年月をかけて築かれたが、1945年の原爆で崩壊。爆心地の東北約500mの地点に建っていた。

参堂していた信徒30数人が全員即死、1万2000人の信徒のうち8500人が被爆死したといわれている。

廃墟と化した浦上天主堂
この浦上天主堂の廃虚は、広島の原爆ドームとともに、原爆の威力と悲惨を物語る長崎の代表的な原爆遺跡として注目されていた。
原爆ドームと同様に、平和祈念のシンボルとして永久保存しようとする被爆者と市民の声は高かったが、
破壊がすさまじく保存が困難であるなどの理由で、1958年4月ついに全面撤去された。
 
天主堂の北側を流れる川の川べりに、美しい鐘の音を響かせていた 鐘楼ドームが、半ば埋もれた姿で倒れている。直系5.5m、重さ30トン。
このドームが、35mも吹き飛ばされた。原爆の威力のすさまじさを物語る貴重な資料として、現地保存されている。(資料による)

吹き飛ばされたドーム                崩壊したレンガと頭部分が飛ばされた石像
  

教会と美しいステンドグラス
    

長崎・グラバー園と大浦天主堂

2011-07-18 | 気まま旅
長崎も雨だった。夕方、ホテルから近いグラバー園と大浦天主堂に行った。

修学旅行のシーズンか何組かの中学生にあった。聞いてみると京都、関西方面からの修学旅行生が多いようだ。
今年は東北の大震災のせいで、東北方面が敬遠され、東京からも関西からも、九州方面が人気らしい。

私たちから見ても、長崎は原爆被災地の他、歴史的にも宗教関係の史跡多く、旅行地としては興味深いものがある。

     


「大浦天主堂」
正式には「日本26聖殉教者天主堂」、大浦地区にあるので「大浦天主堂」と言われている。
26聖人の殉教地である聖地、西坂の丘(長崎駅近く)に向かって建てられている。

別名をフランス寺ともいい、世界宗教史上名高い“長崎の信徒復活”の舞台でもある。 

江戸時代末期の1864年(元治元)12月29日にフランス人宣教師プチジャン神父の協力を得て、ジラール、フューレ神父の設計図をもとに、
熊本県天草出身の棟梁小山秀之進が建設し完成。
1865年(元治2)2月17日、ジラール教区長により天主堂は「日本26聖人殉教者天主堂」と命名、献堂されました。

名称の由来「日本26聖人殉教者」とは豊臣秀吉のキリスト禁教令によって、1596年(慶長元)12月京都・大阪で捕らえられた
外国人宣教師と修道士6人、日本人修道士と信者18人が1597年1月9日堺を出発、途中2人が捕われ、26人が1597年(慶長元)2月5日長崎に到着。

即日、西坂の丘で処刑された。処刑された修道士たちの銅像が、足が地についていないのを見ると悲しい。  


 

グラバー園は、長崎県長崎市南山手町の斜面上にあり、旧グラバー住宅などの洋風建築がある観光施設。 
グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築している。

「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」は1898年、アメリカ人の原作者ジョン・ルーサー・ロングによって書かれた小説。
1890年代初頭に長崎外国人居留地の東山手に住んでいた姉サラ・ジェニー・コレルから聞いた長崎の話をもとに書かれたものです。

オペラ「マダム・バタフライ」は、この小説をもとに、世界的に有名なイタリア人作曲家ジャコモ・プッチーニが作った不朽の名作です。
グラバー園には、世界的なオペラ歌手として名声を馳せた三浦環の像やプッチーニの像が建立されており、
「マダム・バタフライ」ゆかりの地として知られています。

蝶々夫人の三浦環                   衣裳
  

                           グラバー園から長崎港をみる
   

                           長崎港の見えるレストランで夕食
  

五島列島の旅 福江島(2)

2011-07-16 | 気まま旅
「明星院」は、五島市にある高野山真言宗の仏教寺院。五島の真言宗本山、本尊は虚空蔵菩薩。五島八十八カ所霊場第一番札所。
本尊は秘仏とされており容易に見る事はできない。

明星院の名は弘法大師空海により命名されたと伝えられている。五島では最も古くからある寺院で空海により真言宗へ改宗し、
五島列島の大半を治めた福江藩五島氏代々の祈願寺とされ栄えた。

本堂の天井には様々な仏教画が格天井に描かれており、四隅には「迦陵頻伽」が描かれている。

また、かつては拝観料がかかっていたそうだが、現住職になられてから拝観料は無料。





「五島のバラモン凧」五島では、男の子の節句に、ばらもん凧を天高く揚げ、その児の無事成長と立身出世を祈る。 
勇壮な絵柄は、鬼が真正面から、兜をくわえ込んでいる姿です。渡辺綱の羅生門の鬼退治の伝説を表現しているということ。

今では魔除けとして、インテリアに喜ばれている。全て手作り、色を塗る作業も1まいずつ。  


武家屋敷通り、石垣塀はこぼれ石という丸い小石を積み重ね、いざという時武器代わりに用いたと云われている。
一番古い家、おばあさんが一人で住んでいるそうだ。



大風、大雨の中、運転手さんが「高浜ビーチ」へ行くというので、なんでこんな雨の中海水浴場へ行くのかなーと思っていた。
走ること50分、日本一美しいといわれる砂浜、驚嘆する絶景。全国的にも有名だそう。

                            エビが沢山いた
  

  


夕食は「椿茶屋」傘を差さなければ一瞬も居られないほどの大雨の中、観光し、やっと食事。
畑と山林の道を走り、何もない原っぱの中に茅葺き屋根の家、どこにも店名も書いてない。

おいしかった。囲炉裏で焼く鯵、いか、牛肉、ホタテ、そして新鮮なお刺身、さつまいも焼酎、五島のうどん。
今日は台風でキャンセルが多いと店の人は嘆いていた。
 





台風の為、ジェットフォイルが一日中欠航で本州に帰れない、急遽飛行機に振り替え、五島の観光を中止。
霧で飛行機も着陸できないかもなどと脅かされて、長崎に戻る。

五島列島といい福江島の他にも久賀島、奈留島などあるが、残念ながら今回は福江島のみ。次回は長崎へ。


明見湖の蓮が咲いた

2011-07-15 | 富士山麓日記
富士吉田市にある周囲を懐かしい里山に囲まれた明見湖は、湖面に蓮が植生していることから通称「はす池」とも呼ばれ、
清流と沼の多種多様な生き物が同居し、多くの水鳥が羽を休める。(7/1に紹介した明見湖)

7/13明見湖の蓮の花が咲いてるのではないかと見に行った。1輪2輪が数えられる。これからどんどん咲いていく。
10日ほど来られないので次回來るまでちょうどよく咲いているとうれしい。









富士吉田からの、雪もとけて土も露わな富士山。

五島列島の旅 福江島(1) 

2011-07-13 | 気まま旅
6月下旬、前々からの念願叶い、友人と五島列島の旅にでた。台風が来ていて心配だったが、出かけることにした。

第1日目羽田から全日空で長崎へ、この飛行機は長崎から五島への小さい便、霧深く危ぶまれたが飛び立つ。

五島の中でも一番大きい福江島に到着、大雨が降ったりやんだりの空模様、空港にタクシーが出迎えていた。
あじさい街道を「大瀬崎灯台」へ、灯台が見えるかどうか、せっかくの観光で運転手さんは心配していた。

  

かすかに灯台が見える。日本の灯台50選、東シナ海に突出した断崖、白亜の灯台は日本の西の海の航海安全を守る。



「井持浦教会ルルド」
聖母マリアが18回出現したという南フランスのルルドの町マッサピエルの洞窟を模して造られた洞窟がある。
日本最初の霊泉地


聖母マリア                  霊泉
  

洞窟
  

広い島に縦横に細い道路、しかし見えるのは畑、森林、小高い山、交差点に来ても何の目印もなく、レンタカーでは無理と思った。