ありがとうございました。 伊豆山から 2019-12-31 | 季節だより ありがとうございました。 伊豆山神社 熱海の北伊豆山に鎮座・走湯山権現とも云う。 源頼朝、北条政子の崇敬した神社 火牟須比命ほか2神 本殿 来年もよろしくお願い申します。
東の大磯「一の宮海岸」 明治30年外房線開通 2019-12-30 | 季節だより 明治30年1897年、房総鉄道・総武本線外房線が開通、一宮海岸は、避暑地「東の大磯」と呼ばれた。 千葉県長生郡一宮町は県中東部九十九里浜南端「上総一宮・玉前神社」に由来し、「加納氏城下町」・一宮庄の地、神社の門前町として発展してきた。 玉前神社 上総一の宮一の台に鎮座 駅から北西約500m。 祭神ー玉依姫命 延喜式神名帳上総5座の古社 皇室・武家の信仰 「神楽」県指定無形民俗文化財に 重文 梅樹双雀鏡 9月13日はだか祭りー神輿が波打ち際へ、神輿を担い走る、勇壮である。
年末年始大賑わいの成田山新勝寺 2019-12-29 | 季節だより 「成田新勝寺」 真言宗智山派大本山 939年「平将門の乱」・東国鎮護の霊場として「朱雀天皇」が創建した。 元禄の1688年ー江戸深川への出開帳・歌舞伎役者「市川、成田屋 団十郎」が演じた不動明王によって江戸庶民が参詣し急増した。 現在でも1100万人の参詣者で賑わう。 面積約5万m2ある。 本尊ー木造不動明王・二童子像(重文) 仁王門・三重塔・釈迦堂・光明童・額童・奥に成田山公園がある。 「成田街道」 江戸ー下総成田間 江戸ー佐倉を「佐倉街道」と重なる。江戸時代は、江戸から「行徳」を船で来て成田街道へ、 市川・大和田八千代・臼井佐倉・・宿場であった。 成田の台地上の三里塚は、先土器時代の石器が出てまた近くは、貝塚や遺跡が多い。佐倉藩は、千葉一族の支配下を受けている。 現在、成田ニュータウンの住宅団地・新東京国際空港と発展中である。
京成電鉄、明治42年設立 上野公園から成田へ 2019-12-28 | 季節だより 「京成電鉄」は、100年以上の歴史ある私鉄である。 明治維新以降、我が国は西欧化と近代化が急速に進展し、そうした時代の中で、発起人の「飯村丈三郎ほか19名」は、 東京から成田までの電気軌道敷設特許願を提出。 1907年の明治40年、念願の特許状を取得し、2年後の明治42年、京成電気軌道株式会社が設立された。 戦後の混乱が落ち着き、人々の関心は次第に余暇に向けられ、そんな時代背景の中、特急「開運号」の運行を開始。 上野公園~京成成田間を約88分で結び、毎日1往復・大型の2枚窓、ヘッドマーク、車内売店などを備え、私鉄で初めてのリクライニングシートを採用が「開運号」。 昭和29、日本で初めてテレビを搭載し、利用者の増加に伴って中間車が増備され、3両編成となった。 京成本線は、上野ー日暮里ー青砥ー国府台~本八幡~臼井ー京成佐倉ー京成酒々井ー宗吾参道ー公津の杜ー京成成田ー成田空港(空港第2ビル)。を結んでいる。 「佐倉駅」は、国立歴史民俗博物館 資料約9000点展示・佐倉城址公園・武家屋敷・重文の旧堀田邸などがある。 「宗吾参道駅」は、1645年頃の「佐倉宗吾」堀田領主を改易に追い込んだ義民の生誕地である。4代将軍徳川家綱に上野寛永寺東照宮ひ直訴し、4人の子供と共に 磔の処されたと伝わる。今でも多くの参拝者が訪れると云う。(駅は無人駅) 「宗吾霊堂」酒〃井町 坂上田村麻呂が東征の際、創建した云う「東勝寺境内にある」1752年佐倉藩主堀田氏が祀ったと云う。記念館もある。
国分寺ー立川台地に立地 武蔵国分寺跡 文教都市に 2019-12-27 | 季節だより JR中央線ー国分寺ー西国分寺ー国立ー立川ー八王子ー高尾・ 「国立」 武蔵野台地南西の文教都市「立川段丘・青柳段丘・多摩川沖積地」に立地・国分寺ー立川の中間で、西国分寺・国立駅は、1926年頃。 甲州街道沿いの「谷保村」は、農業集落を形成していた。現在は、一橋大学を中心に住宅地が広がっている。 国分尼寺 1333年、新田義貞が鎌倉攻めで、武蔵野国分寺は、焼失。 旧鎌倉古道に一部が