syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

伊藤博文と細川家跡

2011-01-30 | syu散歩
JR横須賀線西大井駅から約5分に伊藤博文の墓地がある、朝の9時に着いたが門は閉ざされていた。

伊藤博文は、松下村塾に入り、高杉晋作、久坂玄瑞などとともに学んだ。1841-1909 初代総理大臣
明治初期に大久保利通が絶対的な権力をふるって日本近代化への道をひらこうとしたとき、伊藤は万全の補佐をした。

伊藤博文は4回にわたって組閣し、のべ7年5か月間、首相を務めた。
生涯を通じて健康・元気旺盛で、睡眠時間三、四時間でも疲れることを知らなかった。
主治医の小山善は「実に強壮者の標本たり」と許している。 

伊藤博文銅像                            墓地
        

伊藤家の墓地
  



戸越公園
    

西大井から徒歩で約30分、東急大井線「戸越公園」に出た。

戸越公園は、江戸時代前期(1662年)、肥後の国熊本藩主細川越中守重利が下屋敷として、この付近の地と共に拝領し、
(1671年)当時の武家屋敷を代表する数寄屋造りと庭園からなる戸越屋敷として整備した庭園の一部である。 
1932年三井家が現在の戸越小学校の一部と共に別邸の庭園部を旧荏原町役場に寄付した。 

                                薬医門
  

細川家には、細川 護熙氏がいる。陶芸家。参議院議員(3期)、大蔵政務次官、熊本県知事(第45・46代)、日本新党代表(初代)、
衆議院議員(2期)、内閣総理大臣(第79代)などを歴任した。


戸越は、関東大震災後宅地化され、東武池上線が開通し、戸越銀座商店街ができた。「銀座」の名は、戸越から。

   


戸越公園の隣に「国文学研究資料館跡」品川区豊町。資料館は使われておらず、立川市に移転した。
                   


「ジュウガツサクラ」資料館の庭園に咲いていた。10月なのに今咲いている?
秋から冬にかけて咲くコヒガンの中で八重咲きのものを‘十月桜’とする。10月13日頃から咲き始めることによる。
京都の「妙蓮寺」の御会式桜が有名。

      








梅が満開~大田黒公園

2011-01-28 | syu散歩
大田黒公園付近の散策路に梅が満開です。白、ピンク!!春がそこまで来ています。

    


 


  



「大田黒公園」は音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた公園です。

荻窪のゆるく起伏する台地に自然の地形をいかした、杉並の区立公園としては、初めての回遊式日本庭園です。
四季折々の花、草木の癒される公園です。

  


今日は池の清掃です。日頃は鯉が沢山泳いでいます。池の底ってこんなになっているんだ・・・・。
苔の生えた石、この間、鯉はどこへ?
  


 


日本家屋の入り口には竹で作られた「お雛様」が飾られています。とてもかわいいです。
 

御内裏様                            受付の前にはつるし雛
    

今年は特別に寒いですね・・春が待ち遠しいです。

東海道と品川歴史館

2011-01-27 | syu散歩
大森貝塚遺跡公園から、池上通りを徒歩5分ほどの所に、品川歴史館がある。入場料100円、70才以上無料。

歴史館入口                          広々とした庭園
  

品川区が1985年に設立し運営する区立の歴史博物館。
原始からの品川の歴史、生活文化に関する資料を展示。史料の収集、保存や行政資料の保存も行っている。

地域史等の歴史を学ぶ場としての機能もあり、企画展や講演会、子供向けの講座、親子体験講座を随時開催している。
伝統的文化活動の場として、庭園に茶室、書院を併設し利用ができる。

「大井鹿島遺跡」が発見され、26軒に上る竪穴式住居跡群や土器、砥石などの生活用品が見つかっている。

常設展示 - 「大森貝塚とモース博士」、「東海道と品川宿」の2つを柱とし、原始古代から現在までを展示。ロビーのパソコンでは所蔵する「浮世絵」の検索が可能。

庭園は、四季折々の草木が配された芝生庭園。歴史館建設中に敷地内で発見された水琴窟が修復・再現されている。

                                                                       七福神                           品川宿本陣模型       
  


庭園
  
江戸時代の品川は東海道第1の宿場として、また江戸4宿の一つとして重要な役割を果たした。
歩行新宿、北品川宿、南品川宿と続く2k余りの街並みは、旅籠、水茶屋、を中心に様々な店が建ち並び活気を見せていた。

品川は江戸庶民の後楽、遊山の地でもあり、御殿山の桜、潮干狩りなど、浮世絵にも多く描かれています。

江戸時代の漁船                         品川宿に住んだ作家たち
       

次回は西大井方面へ。


鹿嶋神社の餅つき

2011-01-24 | syu散歩
大森駅前池上通りを右に品川区方面に15分ほど、右手に鹿嶋神社がある。

品川区の文化財による鹿島神社は、969年、常陸の鹿島明神を勧請したものが始まりと伝えているが明らかでない。
祭礼には古くから大井の村民によって相撲が奉納され、この行事はかなり古くから行われていた様である。

1817年、一時中断し、1847年、に時の大井村名主大野貫蔵が代官に願出て復興した。拝殿、7間に6間半、前に石の鳥居、柱間9尺、
拝殿の西北に2間に2間半の神楽堂ある。
豊歳を祈んがため毎年6月仲村民こぞりて神楽を奏すとある。弁天社。本社の側にある。


  

御神木はタブノキ。2本ある。上を見上げると、枝を大きく広げている。
高台の鎮守の森なので、ヒヨドリやムクドリ、ワカケホンセイインコがたくさんやってくる。
拝殿の左側にあるタブノキは、強風で先が折れていた、脇から出た枝が太く伸びている、どちらも樹齢200年ほどの木という。

                         たまたま餅つきをしていた、ボーイスカウトの少年たちが、働いている。
  

                            破魔矢などを燃やしているたき火。 
              

次回は夕日の池上本門寺五重塔。