宇都宮の名物「餃子」、消費量日本一で餃子マップまである。餃子会加盟27店舗、それぞれ味が違いと云う。一皿300円前後で手頃料金。
最近は、カクテルの街としてPR。
「松が峰教会」は、1888年ブジェ神父により聖堂が完成された歴史ある教会
重厚さの中にも美しい建物。町とその美しさがマッチし建物が際立っている。
造られたのは1932年、設計はスイス人の建築家の手によるもの、教会宇都宮特産の大谷石で建てられ、窓のステンドグラスと調和されている。
この宇都宮も空襲で甚大な被害を受け、大谷石でできたこの教会も大きな被害は受けたものの焼失は免れた。
大谷石は耐火性に優れているそうで、その特性が発揮された。
スイス人、ヒンデル氏の日本における代表作の一つであり、最後の教会建築作品。聖堂の内外壁に用いられている大谷石は、
旧帝国ホテルに用いられた場所と同じ大谷の採石場から切り出されたものに、石工職人によりさまざまな意匠が施されている。
古代および中世初期の教会建築とロマネスク様式によって建設されており、日本では数少ない双塔を持った教会建築。
「旭町の大いちょう」樹高 32m、目通り幹囲 6.2m、推定樹齢 300年以上、市指定天然記念物、「とちぎ名木百選」に選ばれた。
県庁と市役所を結ぶ南北の道路と、国道123号から西に延びる、通称「いちょう通り」の交差点。北西角にこの大イチョウが立っている。
立つ場所が一段高くなっているが、これは宇都宮城三の丸と百間堀の境界を成す土塁の跡。
城のシンボルであったイチョウは、その後、もう一度、宇都宮市民にとって、大きな意味を持つ象徴となったことがあった。
昭和20
年7月12日深夜から翌日の未明にかけてのこと。宇都宮市はアメリカ軍の大空襲を受け、多くの犠牲者を伴って、中心市街地の約半分を失った。
そのときの火災で、大イチョウもすっかり真っ黒焦げになった。
それが、終戦の翌春に、緑の芽を吹き出し、この健気で力強い生命力が、戦禍に打ちひしがれた宇都宮市民の心に、勇気の火を点した。
以来、イチョウは戦後復興のシンボルとされ、市制90周年を機に、1986年、宇都宮市民は市の木としてイチョウを選んだ。
「田川」は、日光市を源流とし、宇都宮市、下野市を流れ、小山市で 田川放水路を経て鬼怒川に合流する。
「旧篠原家住宅」国指定重要文化財・市文化財。江戸時代から奥州街道口で、醤油醸造業、肥料商を営んでいた市代表する旧家で、現在の住宅は、明治に建てられた。
戦災で米蔵を残し焼失しているが、明治時代の豪商の姿を今日に伝えている。
黒漆喰や大谷石を用いた外壁、店舗先の格子と街道交差するJR宇都宮駅前で歴史的シンボルになっている。
平成8年に市に寄贈されている。主屋は、1・2階合わせ約100坪、箱階段、帳場、大黒柱、床の間など歴史を感じさせる。
新蔵二階建てで明治28年に建っている。一階約6坪程度に古びたひな人形が飾られていた。石蔵には、醸造用の道具などを陳列され主屋の鬼瓦を見る事が出来た。
この付近に、昔、腕のよい伯楽、馬の病気を治す医師が住んでいたことから伯楽町といい、それが博労町になったといわれている。
また、馬喰町と記された、奥州街道の出口にあたり、質屋・醤油屋・荒物屋などがあった。
JR宇都宮駅前の「白沢街道」に沿ってあり、旧奥州白沢宿で、昔ながらの風格ある蔵造りの家が何軒もあると聞く。
次回から、日光街道4号線を栃木市に向かう。