syuの日記・気まま旅

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長崎・グラバー園と大浦天主堂

2011-07-18 | 気まま旅
長崎も雨だった。夕方、ホテルから近いグラバー園と大浦天主堂に行った。

修学旅行のシーズンか何組かの中学生にあった。聞いてみると京都、関西方面からの修学旅行生が多いようだ。
今年は東北の大震災のせいで、東北方面が敬遠され、東京からも関西からも、九州方面が人気らしい。

私たちから見ても、長崎は原爆被災地の他、歴史的にも宗教関係の史跡多く、旅行地としては興味深いものがある。

     


「大浦天主堂」
正式には「日本26聖殉教者天主堂」、大浦地区にあるので「大浦天主堂」と言われている。
26聖人の殉教地である聖地、西坂の丘(長崎駅近く)に向かって建てられている。

別名をフランス寺ともいい、世界宗教史上名高い“長崎の信徒復活”の舞台でもある。 

江戸時代末期の1864年(元治元)12月29日にフランス人宣教師プチジャン神父の協力を得て、ジラール、フューレ神父の設計図をもとに、
熊本県天草出身の棟梁小山秀之進が建設し完成。
1865年(元治2)2月17日、ジラール教区長により天主堂は「日本26聖人殉教者天主堂」と命名、献堂されました。

名称の由来「日本26聖人殉教者」とは豊臣秀吉のキリスト禁教令によって、1596年(慶長元)12月京都・大阪で捕らえられた
外国人宣教師と修道士6人、日本人修道士と信者18人が1597年1月9日堺を出発、途中2人が捕われ、26人が1597年(慶長元)2月5日長崎に到着。

即日、西坂の丘で処刑された。処刑された修道士たちの銅像が、足が地についていないのを見ると悲しい。  


 

グラバー園は、長崎県長崎市南山手町の斜面上にあり、旧グラバー住宅などの洋風建築がある観光施設。 
グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築している。

「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」は1898年、アメリカ人の原作者ジョン・ルーサー・ロングによって書かれた小説。
1890年代初頭に長崎外国人居留地の東山手に住んでいた姉サラ・ジェニー・コレルから聞いた長崎の話をもとに書かれたものです。

オペラ「マダム・バタフライ」は、この小説をもとに、世界的に有名なイタリア人作曲家ジャコモ・プッチーニが作った不朽の名作です。
グラバー園には、世界的なオペラ歌手として名声を馳せた三浦環の像やプッチーニの像が建立されており、
「マダム・バタフライ」ゆかりの地として知られています。

蝶々夫人の三浦環                   衣裳
  

                           グラバー園から長崎港をみる
   

                           長崎港の見えるレストランで夕食