syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

板橋と一里塚

2011-08-28 | syu散歩
板橋宿は、平尾宿、中宿、上宿に別れ平尾宿は、静かな雰囲気を保ち、飯盛女を置く家もあったという。
中宿は、問屋街で本陣、高給旅籠、料理屋等でにぎわいを見せていた。上宿は大木戸、商人宿、馬喰宿が蜜集していた。明治17年大火災があり、
中、上宿が焼失してしまった。東側には下屋敷最大の加賀藩の屋敷と、処刑前の近藤勇が幽閉されていた。

商店街を出ると、地名の「板橋」旧中山道石神井川に架かる橋、この橋を中心に、上、中宿と繁華街に。
幕末の渡辺崋山が幼い弟と別離したところ。

渡辺崋山 1793-1841 蘭学者と家計を助けるため画家に、藩政改革を推進 幕府は蘭学者を弾圧、自刃する。

  

旧中山道の商店街を抜けると小さな神社に、上を見ると「縁切榎」の交差点。ここは、1861年皇女和宮が将軍家茂に嫁ぐため
中山道板橋宿から江戸へ入る時、行列は、この榎をムシロで隠し、迂回したという。その為縁切りを封じたという。
縁を切りたい女性には救いの神である。今でも、樹皮を削りに女性が願掛けに訪れるという。


    

江戸時代の残影が今でも多く残っている街である。

櫻寺「南蔵院」は、徳川八代将軍吉宗が、当院を狩の際の御膳所に命ぜられた古寺。
その際、境内の枝垂桜を見て紀州に咲きほこっていた桜を思い出し、櫻寺と名付けた。
板橋十景、板橋区では2002年区制施行70周年記念事業の一環として区民のみなさんから板橋らしさを感じさせる心に残る風景や風物、感動、
安らぎを与えるものを応募したのが「板橋十景」。ここのしだれ桜が「板橋十景」の1つとして選ばれた。


  

板橋宿を抜け、国道17号線に出て約2kM、志村一丁目方面を歩くと、国道を挟んで「一里塚」がある。
ここが、「志村一里塚」。
志村一里塚西側 と志村一里塚東側に。
日本橋から数えて3里目の一里塚。大正11年3月8日付で国指定の史跡となっている。一里塚が完全な状態で残るのは数少なく、
都内ではここと北区西ヶ原の一里塚だけである。東側は昭和7年、西側は昭和42年に植え替えられている。


  


  

見次公園(みつぎこうえん)
 都営地下鉄三田線志村坂上駅の南西、徒歩5分にある。
板橋区立の公園、昭和28年(1953年)の開園。公園の大部分は周囲約400mの円形の池で、その周囲に遊歩道や小さな広場があり、
すべり台やブランコなどの遊具がある。
都内では数少ない自然の湧水をたたえた池で、釣りとボート遊びが楽しめるのが特色。釣りは一年中可能で、いつも釣り人の姿を見ることができる。
ボート遊びのできる公園として親子連れで賑わう。

  

次回は志村へ。

中山道最初の板橋宿

2011-08-27 | syu散歩
中山道は、約30の大名が参勤交代に利用したと言われている。その中で最大の領地を持つ加賀藩は、
江戸藩邸の上屋敷を中山道沿いの本郷に、下屋敷を板橋宿に置いた。
そのうち、江戸上屋敷の敷地は明治以後は、東京帝国大学となった。現在の東京大学本郷キャンパスは、国道17号に面している。
また、かつての中山道に面して建つ加賀藩上屋敷の御守殿門(赤門)は、重要文化財に指定され保存されている。

中山道は、様々な文学作品の舞台ともなった。馬籠出身の島崎藤村は、自らの故郷を舞台に歴史小説『夜明け前』を執筆した。現在の馬籠宿には、
「藤村記念館」などが建設されている。

   
                                  商店街の中央にある古い銭湯「花の湯」


板橋七福神恵比寿「観明寺」真言宗豊山派如意山と号し、本尊は正観世音菩薩。
明治6年、当時の住職がさびれゆく板橋宿に活気を取り戻そうと成田山新勝寺から不動尊の分身を勧請し縁日を開き、
その名残でこの寺の前の通りの旧中山道を不動通りという。今も出世不動として親しまれている。

観明寺と境内に満開の百日紅
    



「遍照寺」江戸時代には天台宗の寺であっ たが,明治4年(1871年)に廃寺となり,昭和22年(1947年)に真言宗の寺として再建された。
現在は成田山新勝寺の末寺となっている。 寺域は旧宿場時代には馬つなぎ場。
   



「平尾宿脇本陣跡」. 板橋平尾宿の脇本陣豊田家の屋敷跡、豊田家は代々市右衛門を世襲し、名主も兼ねた。
近藤勇が処刑までの間監禁され、また、江戸時代に見世物となった ペルシャ産のラクダが逗留したとある。
                   



「丹船山 薬王樹院 東光寺」・浄土宗
創建は室町時代末で、もとの境内は現、東板橋体育館辺りの「舟山」にあった。延宝七年(1679)旧加賀前田家の下屋敷開設にともなって移転。
  

   


「板橋宿本陣」
江戸から数え、中山道最初の宿場。南北に延びる宿駅部分を含め、村としての地域名称を示す場合は下板橋村が多く使用された。
中宿に本陣1軒があり、脇本陣は上宿・中宿・平尾宿に各1軒。旅籠屋は寛政12年(1800)に大21軒、中21軒、小26軒。
                    


「板橋七福神毘沙門天(文殊院)」江戸時代初期、延命地蔵を祀るお堂を寺院としたと伝えられている。 
  

仲町の文殊院は、孤独のうちに果てていった遊女薄幸の遊女墓碑がある。

板橋宿は「板橋区役所前」駅前から国道17号を横断、商店街に入る。昔の面影もない現在の町。
石塔、看板などで場所が解るだけ、期待したが残念。

次回は一里塚方面へ。








 

巣鴨 トゲぬき地蔵

2011-08-25 | syu散歩
今回は都心の中山道を歩いてみようとおもう。中山道は日本橋から69宿あり、埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県、滋賀県から東海道に入り、京都府。

巣鴨スタート、板橋、志村、高島平、赤塚と地下鉄三田線を利用してのコースを、5回に分けて記録する。


駅を出て地蔵商店街通りを行くと、とげぬき地蔵で有名な高岩寺があり、門前町として発展している。
商店街は多くの高齢者で賑わい、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれ人気の町、昔は、石神井川と谷端川とが流れ湿地帯でアシが生い茂って、
鴨が沢山やってきたところから「巣鴨」というらしい。江戸時代は中山道と鎌倉街道に通じ重要な地点で、山手線も明治36年に開通。
巣鴨は、東京北郊一の繁華街であった。
 
通りの奥に庚申塚 延命地蔵尊延命地蔵尊は今から約170年前に建之され、当所に移築されたのは、今から約80年前のこと。
当時は江戸五街道の一つ中山道を通行する旅人がここで必ず一休みした。
 



江戸六地蔵尊「信性寺」この寺の創建年代等については不詳であるが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたことが伝えられている。 
江戸時代には江戸六地蔵の第四番が安置され、また江戸幕府8代将軍徳川吉宗もたびたびこの寺に立ち寄ったとされる。

 
          


「巣鴨地蔵商店街」
毎月4・14・24日に開かれるお縁日には、昔懐かしい露店が地蔵通りに沿って軒を連ね、壮観を呈すると共に江戸情緒豊かな風情の中、10万人とも15万人ともいわれる善男善女で賑わう。

         



曹洞宗萬頂山高岩寺は、約400年前江戸湯島に開かれ、約60年後下谷屏風坂に移た。明治24年、区画整備のため、当地に移転し今日に至る。
御本尊はもとより霊験あらたかな「とげぬき地蔵」として知られる延命地蔵尊。
              

次回は板橋宿へ。

富士講御師 旧外川家住宅

2011-08-23 | 富士山麓日記
富士吉田市に開設された「御師の家 旧外川家住宅」をみにいった。


旧外川家住宅(富士吉田市上吉田3丁目)を重要文化財(建造物)に近く指定される見通しで、県内の建造物の重要文化財は51件(国宝2件含む)となる。

旧外川家住宅は街路から奥まった細長い特徴的な敷地に、主屋、はなれ、座敷、中門の3棟と、江戸時代からの土地(約1087平方m)がある。
100名からの登山者を宿泊させ、食事も供した。このような家が80軒ほどもあった。この家から北口浅間神社に参拝し、
富士吉田口登山道から登った。現在でも旅館を経営している家もある。

主屋は明和5(1768)年に建てられ、富士山を参詣する信者が宿泊した御師住宅の最古の遺構。離座敷は中央部に神殿を備え、
背面に床を一段高くした座敷が造られている。
中門の保存状態も良好で、「江戸時代に隆盛を極めた富士山信仰を伝える御師住宅の屋敷構えを残しており、価値が高い」(県教委学術文化財課)という。

「御師の家」信仰の対象であった富士山を訪れ、草鞋(ワラジ)を脱いで休み、祈祷を捧げた場所が宿坊・御師の家。
現在も金鳥居から富士山方向道路を挟んで左右に、その町並みを見る事が出来る。


                  奥行きの長い住宅               神殿
    
御神前


藍染の衣類は綿入れ、山ではこれを着て寝る。
この家では蚊帳を吊り、全ての障子ふすまをはずし、大勢を泊めた。布団は屋根の上に干し、浴衣は手洗いで、人手が必要だった。


行衣
    

釘隠し              風呂場の天井、湯気を逃がすための手の込んだ細工の天井
  

現在の「北口浅間神社」鳥居付近

明治時代の金鳥居付近

大正初期の金鳥居付近、馬車が見える

大正後期の金鳥居付近 電車が見える、現在の富士急行、かすかに富士山も見える。

明治時代、説明をする案内人、武士のよう。


明治・大正時代の写真は外川家所蔵の写真から転写。

旧外川家の見学は火曜日定休、大人100円、詳しい説明があり有意義です。御師の通りを金鳥居近くまで降りた右側。

田貫湖のクレソンと陣馬の滝

2011-08-21 | 富士山麓日記
富士五湖もそれぞれ特徴があって楽しいが、田貫湖(富士宮)はまた違った趣でたまに行きたくなる。
周囲やく4km、自然がそのまま残され、家や商店もなく、遊歩道が整備されている。あるのはキャンプ場の施設と釣り場。

8月中旬、田貫湖のキャンプ場。最高の環境だ。湖の目の前、なだらかな草原の中、
猛暑が嘘のように心地よい涼風、健康的な日々を過ごしている人達。 


夏休みの釣り人達
  

   

湖の遊歩道のそばに「クレソン」が自然にはえている。足を滑らせると湖に落ちそうなので、そろそろとクレソンを摘んだ。
今夜の野菜をゲット!!
             



「陣馬の滝」(富士宮市猪之頭)源頼朝が巻狩りの際ここで休んだという。
  
滝の前の河原は平らで広く子供たちは水遊びが出来る、涼しい。


陣馬の滝のすぐそばに軍人墓地もある、またこの付近はウオーキングコースとしても最高。