3世紀~7世紀の450年の間に各地に巨大な前方後円墳などの古墳が数多く築造され、大田区田園調布から世田谷区野毛の地域には
古代南武蔵を物語る
50基からなる古墳群が出土。大田区側を「田園調布古墳群」世田谷区側を「野田古墳群」と呼び合わせて「荏原台古墳群」と呼んでいる。
田園調布古墳群の特徴は、前方後円墳が多い、一号墳の横穴式石室など、新しい文化や技術を早くから導入した事が言える。
「亀甲山古墳」から、多摩川を望むと、河川敷に野球場が見え、巨人・日本ハムの球場も見えた。
「亀甲山古墳」、国指定史蹟
多摩川台公園にある亀甲山古墳は、大田区から世田谷区にかけて多摩川左岸に集中する荏原台古墳群中最大の前方後円墳で、
1928年に国史跡に指定。
完全に発掘調査が行われていないので詳細は不明らしいが、4世紀終末から5世紀前半頃の築造と考えられている。
4世紀初めか中頃とされる宝来山古墳より、前方部がやや開いた新しい形式と見られる事から、宝来山古墳に続いて築造されたと考えられる。
保存状態は良好。破壊も盗掘も受けておらず、内部の副葬品は恐らく手つかずのままと思われるので、調査されれば意外なものが出現するかもしれないと云われる。
「宝莱山古墳」
多摩川台公園の西北端にある宝莱山古墳は、4世紀初-中頃の築造と推定され、荏原台古墳群中最古と考えられている。
昭和9年に工事のため「前方部」が削られて現在は「後円」の部分しか残っていない。
公園内には国史蹟の亀甲山古墳や、1号墳から8号墳まで小さな古墳が並んだ多摩川台古墳群。
被葬舎の納めた木棺とガラス製小玉、鉄剣、四獣鏡等が出土、良好な形状を保っていた。
宝来山古墳、8号墳を巡らず、ぐるりと引き返して多摩川側を7,6,5号墳から、1、2号墳へ戻っていく。
尾根に沿って歩いていくと8個の古墳がほぼ一直線に並んでいる。
多摩川台公園の中に古墳群、駅を挟んで、昔懐かしい多摩川遊園地があった。1925年に「温泉遊園地 多摩川園」としてオープン。
園内には、飛行塔、お化け屋敷、メリーゴーランドの遊戯施設があり、かつては菊人形展でも多くの客で賑わった。
この懐かしい遊園地は今は無い、田園調布の宅地化と小さな公園に。
今回で大田区は終わり。