syuの日記・気まま旅

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気ままに記録しています。

多摩川台と古墳群

2011-05-29 | syu散歩

3世紀~7世紀の450年の間に各地に巨大な前方後円墳などの古墳が数多く築造され、大田区田園調布から世田谷区野毛の地域には
古代南武蔵を物語る
50基からなる古墳群が出土。大田区側を「田園調布古墳群」世田谷区側を「野田古墳群」と呼び合わせて「荏原台古墳群」と呼んでいる。
田園調布古墳群の特徴は、前方後円墳が多い、一号墳の横穴式石室など、新しい文化や技術を早くから導入した事が言える。

「亀甲山古墳」から、多摩川を望むと、河川敷に野球場が見え、巨人・日本ハムの球場も見えた。




「亀甲山古墳」、国指定史蹟 

多摩川台公園にある亀甲山古墳は、大田区から世田谷区にかけて多摩川左岸に集中する荏原台古墳群中最大の前方後円墳で、
1928年に国史跡に指定。

完全に発掘調査が行われていないので詳細は不明らしいが、4世紀終末から5世紀前半頃の築造と考えられている。
4世紀初めか中頃とされる宝来山古墳より、前方部がやや開いた新しい形式と見られる事から、宝来山古墳に続いて築造されたと考えられる。

保存状態は良好。破壊も盗掘も受けておらず、内部の副葬品は恐らく手つかずのままと思われるので、調査されれば意外なものが出現するかもしれないと云われる。


  


「宝莱山古墳」

多摩川台公園の西北端にある宝莱山古墳は、4世紀初-中頃の築造と推定され、荏原台古墳群中最古と考えられている。
昭和9年に工事のため「前方部」が削られて現在は「後円」の部分しか残っていない。

公園内には国史蹟の亀甲山古墳や、1号墳から8号墳まで小さな古墳が並んだ多摩川台古墳群。
被葬舎の納めた木棺とガラス製小玉、鉄剣、四獣鏡等が出土、良好な形状を保っていた。

  

宝来山古墳、8号墳を巡らず、ぐるりと引き返して多摩川側を7,6,5号墳から、1、2号墳へ戻っていく。
尾根に沿って歩いていくと8個の古墳がほぼ一直線に並んでいる。

  

  




多摩川台公園の中に古墳群、駅を挟んで、昔懐かしい多摩川遊園地があった。1925年に「温泉遊園地 多摩川園」としてオープン。
園内には、飛行塔、お化け屋敷、メリーゴーランドの遊戯施設があり、かつては菊人形展でも多くの客で賑わった。

この懐かしい遊園地は今は無い、田園調布の宅地化と小さな公園に。

今回で大田区は終わり。

多摩川の川岸渓流

2011-05-28 | syu散歩
東急目蒲線「多摩川園」下車、徒歩5分、ここには、樹林に覆われた二つの公園「多摩川台」「宝来」公園がある。公園に沿って多摩川が蛇行して流れている。

多摩川台公園入口に、「多摩川浅間神社」、鎌倉時代(1185年)右大将源頼朝は、豊島郡出陣、夫の身を案じ政子が後を追いこの辺りで草鞋の傷が痛み
治療の為逗留時、亀甲山へ登り富士山が鮮やかに見え、そこを浅間神社としたとある。

木花咲耶姫命の鎮まる霊峰富士「六根清浄」を唱え登拝し、その山容に似た雄大なご神徳を仰ぐ浅間信仰。800年の歴史ある神社で参拝した。

多摩川浅間神社鳥居                              拝殿
    

多摩川台公園                             四季の野草園
   


水生植物園                          亀甲山古墳 
  

川よりの園内には、木立が途切れ、視界が開ける場所が所々にあり、そこから、対岸の川崎の街並みと彼方には、丹沢、箱根の連山を見る事も出来る。
アカマツ、欅、ナラ、クヌギなど武蔵野の面影をとどめている。野草園やあじさい園や桜の木も多く、大小の古墳群に触れ飽きない公園。


多摩川台公園から見た多摩川(向かい側川崎市)
 


「古墳展示場」入館料無料                      展示室内古代人模型
  

次回に続く。

本栖湖と公家行列

2011-05-26 | 富士山麓日記
本栖湖は、山梨県南都留郡富士河口湖町、南巨摩郡身延町に跨いで存在する湖。富士五湖の一つで、五湖の最西端に位置。
千円紙幣E号券、五千円紙幣D号券の裏面に描かれる逆さ富士のモデルとして有名。

風光明媚なため湖畔周辺にはホテルや企業の研修所が並ぶほか、レジャーの場として活用されている。
観光船による遊覧や、ブラウントラウトやニジマスなどを狙うフィッシングも盛ん。ヒメマスの釣り場としても知られる。 

ウィンドサーフィンのメッカであり、夏季には多くのウィンドサーファーが訪れる。



5/17精進湖から本栖湖までのウオーキングコースを歩いてみる。青木が原樹海の中を約4km、ずっと樹海の中なので不気味、人には会わなかった。
  



本栖湖到着、結構距離があった。
     

本栖湖近くを通る道は中道往還と呼ばれ、特に中世以降甲府盆地と駿河を結ぶ重要な道。
武田討伐が終わった織田信長が、徳川家康によって整備された中道往還を通って駿河に抜けたことは有名。
本栖湖北岸には武田信玄の石塁や石碑がある。

少し高くなった場所にあるのでちょっとわかりづらい。石像石碑類が並ぶ一番奥にある。
その高い場所から信玄が見守ってくれている・・・地域に密着した信玄。近くには武田信玄が築いたと伝わる石塁や、渡辺因獄祐に関する史跡などがある。

  


「本栖湖公家行列祭り」
約300年前から本栖地区の山神社に伝わるこの祭りは、武田時代、駿河国境の警備に当たっていた渡辺囚獄助が、地域の若者の士気を高めるために始めたと言われているが、
詳細はわかっていない。このお祭りは本栖区の行事として長年伝わっているお祭りで、近年各地で始まったイベント的なお祭りとは全く違った味わいのあるお祭り。

偶然にもこの日公家行列があった。撮影はできなかったのでテレビから拝借。
  




精進湖とワカサギの天ぷら

2011-05-25 | 富士山麓日記
富士山の火山活動によって形成された堰止湖で、流入する河川や湖水の流出口はない。富士五湖のひとつ、西から2番目、東から4番目にあたる。
五湖中でもっとも湖水面積が狭い。最大水深は河口湖と並び3番目の深さ。本栖湖・西湖と同じ水位、かつては単一の大きな湖であったと考えられているが、
富士山の溶岩流でまず南西の本栖湖と分断され、864年の貞観大噴火の溶岩流によって西湖と分断された。

栄養湖でプランクトンが多く、湖色も緑色。ヘラブナやワカサギが生息している。
右岸には、甲府から右左口宿を経て駿河国へ至る軍用道路である中道往還(現国道139号)が通る。毎年、カヌーの全国大会が開催されている。

精進湖という湖名は、富士参詣者が湖で沐浴して精進潔斎したことに由来する説や、富士の背にあたることから「背地」(せのち)と呼ばれたとする説がある。

釣り人に人気、ブラックバスやワカサギ。


精進湖諏訪神社、北岸にある。本殿は一間社流造りで、1843年に再建されたもの。この建築の特徴は随所に施された装飾彫刻で、その素材も動植物から
中国の故事にいたるまで多岐に渡る。

新緑の諏訪神社                 今は使われていないが火の見やぐら
  

大杉は山梨県下一で国の天然記念物。諏訪神社の入口にそびえる別名「千年杉」。高さ45m、根回り13.6m。山梨県だけでなく全国的にも有数の大きさ。
    

本殿 草が生える茅葺屋根




精進湖民宿村                  ワカサギのおいしいレストラン
  

富士五湖で捕れるワカサギがおいしく食べられる店が見つからなかったが、今日は大成功。蕗と山椒、
小女子を合わせたキャラブキがおいしかった。 
  

春の山菜・ふきと山椒

2011-05-23 | 富士山麓日記
庭のミツバツツジがようやく咲いた。今年はこの冬の寒さで枯れてしまったかと思うほど開花が遅かった。毎年5月連休に咲く(撮影は5/15)


今日の富士山、一合目から。大分雪が解けてきた。


山椒の新芽がでて、1年に一度の新芽を煮る。

                                
あくだしをして、醤油、みりん、酒で煮る。最後に削り節を少々。
  

  

蕗も若芽を煮る           あくだしをして、醤油、みりんで煮る。唐辛子、小女子を加える。
  

ごはんに最高です。