syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

仙台(5) 亀岡八幡宮・成田山

2011-09-29 | 気まま旅

杜の都「亀岡八幡宮」
元禄2年(1689年)5月6日(新暦6月22日)、芭蕉と曽良は亀岡八幡神社に参詣した。

「六日 天気能。亀が岡八幡ヘ詣。城ノ追手ヨリ入。俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル。」(曽良随行日記より)

八幡宮は、1185年~1190年、伊達氏始祖伊達朝宗、が福島県伊達郡梁川に鶴岡八幡宮を勧請して建立、
その後仙台藩四代藩主伊達綱村によって現在の地に遷宮された。

昭和20年の仙台空襲により社殿は焼失したため、今では石鳥居と長く急な石段のみに昔の面影が残されている。
1年の日数と同じ365段の苔むした石段を登ると、往時のたたずまいを偲ぶことができる。
参道入口の脇に植えられているサクラが満開になる頃は、一層の風情を添えて、県100選になっている。

365段の階段
    

石の鳥居と365段の石段は、昔の面影が残されている。鳥居くぐると、出世街道と言われる石段に挑戦した。
365段はキツイ、数えながら登り、途中斜めの石、崩れているところが多くなる、歩きにくい。
急で、途中3箇所に平地がある。石はなく土になっている部分もある。手水場に鶴2匹、亀1匹が出迎え、
フフー云いながら本殿にお参りした。

亀岡八幡宮本殿
   



「成田山経ケ峰国分寺」。大仏の殿堂、不動明王坐像。
寺の建立は新しい、1982年、国分寺敷地内の成田山会館の中に赤門美術館がある。
会館の上に不動さんは設置されている。敷地内に「仙台武家屋敷」もある。


  

  


  



「酒造りの話」    (もろみ)
もろみ仕込は、酒母を仕込みタンクに移した後、 麹・蒸し米・水を入れほぼ三倍量にする。20~25日で泡が消えだす。
漢字で「醪」と書く、どぶろくと同じ意味からきている。工程で、麹造り、仕込み、発酵、の段階をえて絞り気に掛ける
前の原酒を醪と呼んでいる。

今夜は、東北の旨い酒でも飲もう。










江戸の「鉄砲組百人隊出陣式」

2011-09-26 | syu散歩

9月25日(日曜日)新宿区百人町「皆中稲荷神社」で第26回鉄砲百人組の出陣式が再現された。江戸時代の古式ゆかしい出陣を再現。
隔年で催されている。神社で出陣式、その後新大久保近くを回る。

                           JR大久保駅の絵画
  

皆中稲荷神社 境内
  

出陣式                        火縄銃の試射 ものすごい音
  

鉄砲隊の巡行


江戸時代の行列


IT健保会館ビル前の鉄砲隊 迫力ある火縄銃試射


乗馬姿の江戸武士 歴史絵巻のよう




韓国風の新大久保界隈 若い女性が多い      新大久保から新宿副都心
        

次回仙台に戻ります。  

仙台(4)龍寶寺と大崎八幡神社

2011-09-25 | 気まま旅
陸奥梁川八幡「龍宝寺」

伊達市八幡堂庭に位置。梁川城の鬼門の方角約1kmにあたる。
 
1532年、14代伊達稙宗、居城を梁川から桑折西山城に移し、同時に梁川八幡を桑折に遷す。
1548年、15代伊達晴宗、米沢へ居城を遷す。
1567年、16代伊達輝宗、桑折の亀岡八幡を梁川に戻すことを決め、1571年、梁川八幡宮が再造営された。
1603年、17代伊達政宗、仙台に築城。

     

伊達家の祈祷所として一門格に列せられた名刹で、平安時代に作られた本尊の釈迦如来像は嵯峨清涼寺の本尊と同じものと言われ、
現在は重要文化財に指定されている。
境内には京都・仁和寺の御室桜がある。4/8は花まつり。

    


「大崎八幡神社」

創建年代は不明であるが、社伝では坂上田村麻呂が宇佐神宮を鎮守府(胆沢城)に勧請し鎮守府八幡宮と称したことに始まり、

室町時代に入り奥州管領であった大崎氏が本拠地(現宮城県大崎市)に遷したため、大崎八幡宮と呼ばれるようになったという。

大崎氏改易後の1604年、伊達政宗が仙台城から見て北西かつ仙台城下町北西端の現在地に造営を始めた。
当地は別当寺の龍宝寺の西隣にあり、城下町の北に連なる北山丘陵と広瀬川とが接するために城下町がある河岸段丘の西端部にあたり、
広瀬川上流の愛子盆地や山形方面に向かう作並街道(現国道48号)が超えなくてはいけない最初の難所の鶏沢、の城下町側に接する地である。
1607年、従来伊達氏が祀ってきた成島八幡宮と合祀して遷座した(当宮の西隣の鶏沢には堤も造られた。

明治以降、大崎八幡神社と称していたが、平成9年(1997年)に大崎八幡宮の名称に復した。

 

社殿は、総黒漆塗に極彩色の彫刻や金彩文様が施され、桃山建築の粋を凝らした絢爛になっている。

祭事は、特にどんと祭と例大祭は有名。



文化財は、本殿、石の間、拝殿、( 豊国廟を模したとの伝承があり、桃山建築の優秀な遺構として昭和27年(1952年)国宝指定。
重要文化財、長床、有形文化財、社務所、旧宮司宿舎、神馬舎。無形民俗文化財、能神楽。

   

3.11の地震で石灯篭など崩壊、そのままであった。

  


今年の例大祭 9月10・11 大神輿が出てさぞ賑わうだろう。

  

                  

仙台(3)広瀬川

2011-09-24 | 気まま旅
「広瀬川」『吾妻鏡』に、源頼朝の軍勢の進攻に備えて奥州藤原氏が防衛線を「広瀬河」に作ったとあり、これが広瀬川の文献初見である。
南北朝時代には広瀬川の戦いが南北両朝の間で戦われた。

仙台広瀬川は、宮城県仙台市を流れる名取川水系名取川支流の一級河川。仙台市のシンボルとして親しまれている川であり、ヒット曲となった
『青葉城恋唄』にも唄われている。

中流域では仙台市都心部の西縁から南縁を経て東流するが、都心部が広がる河岸段丘の段丘面と川面との間には数十mの高低差の段丘崖となっている。
そのため両岸には自然が多く残されている。初夏の鮎釣り、秋の芋煮会など、市民が川面や河原まで降りてレジャーを行うことが多い。
牛越橋より上流ではカヌーも楽しまれている。仙台七夕花火祭や広瀬川灯ろう流しなど、祭りの会場ともなっている。


    


「青葉城恋唄」
星間船一作詞・さとう宗幸作曲・石川鷹彦編曲。

広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず 早瀬(はやせ)躍(おど)る光に 揺れていた君の瞳 時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸 瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都 あの人は もういない・・・・。


東北大キャンパス「三太郎小径」。東北大校内の支倉常長像を経由し、 博物館の前庭に至り、キャンパスに戻って中善並木を通って
図書館入り口付近に帰る約四キロの周回路が、哲学者・ 阿部次郎名誉教授を記念する散歩道。



青葉城護国神社に「英霊顕彰館」で戦艦大和の模型が展示。入館料¥300

明治天皇の思召しにより明治37年青葉城本丸址に創建され、明治 維新以来数多の戦役・事変、更には大東亜 等、
創立百周年のよき年を契機として、英霊の遺徳を正しい歴史に沿って展示し、永く後世に伝えるべく「英霊顕彰館」を開館。
真珠湾からマレー作戦、ガダルカナル作戦、特攻作戦と宮城県出身兵士の遺品が展示されていた。

    

仙台出身の「バリ島の父」三浦氏(バリ島で自決)の写真、特攻機の模型、遺影、遺書などがあった。

  


仙台(2)青葉城

2011-09-21 | 気まま旅
仙台城は、現在の宮城県仙台市青葉区の青葉山にある平山城。雅称は「青葉城」。「五城楼」との別名もある。
2003年(平成15年)8月27日、国の史跡に指定された。

「伊達正宗」は、(1567~1636)仙台藩主 伊達輝宗の長男 蘆名義広を破り会津を掌握、小田原征伐に遅参し秀吉から領土没収、
関ケ原で東軍に与し62万石に、支倉常長ヨーロッパへ派遣し、スペイン国王に同盟を求め、天下を狙っていた。
遺言に自分の像には両目を添えよと云っている。

政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。
1601年1月28日に青葉山に登って縄張りを始め、地名を仙台と改めた。
彼が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。
これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、ビスカイノをして「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」
と言われるほど、同時代に比類ない堅城となった。

しかし、世が泰平となると、山上と麓の往来は不便であったため、伊達忠宗が1637年に二の丸造営に着手し、翌年完成させた。
本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。
時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。これ以降、仙台城は平山城となった。

江戸時代を通じて、仙台城は火災や地震により何度か建物や石垣の一部を失い、その都度再建された。戊辰戦争でも仙台が戦場になることはなかったため、
仙台城は創建以来一度も攻撃を受けずに要塞としての役目を終えている。


城内にある県護国神社大鳥居     3・11地震で崩壊した塔
  

伊達正宗が築いた仙台城、ここから毎日街並みを見ていたのだろう。あの時代の石垣、石積み技術に感心させられる。
地形を生かし自然の広瀬川の堀、土塁、石垣の組み合わせにも驚く。

  

城内は、広瀬川に架かる大橋を渡り、正門がある、また、大手門を経て、本丸詰門へといたる。
三の丸跡から清水門を経て本丸に至るどちらも自然豊かな散策路になっている。

  

城は、広瀬川から、護岸石垣、翼門、清水門石垣、井戸、中門石垣、大手門隅櫓、石組側溝、など、奥州王の仙台城であった。

  


終戦後の昭和32年開園し、5年後の昭和37年、現在地の八木山に移転する。
自然を出来るだけ残す、無柵放養式の「アジア地区動物区」の完成をもって、昭和40年「八木山動物公園」として開園した。

本日は、休園。
  

この、八木山を登ると、「青葉城」に。
  

「遊園地/テーマパーク 仙台八木山ベニーランド」


仙台市街を見てみよう。JR仙台駅中央口出るとあおば通駅、青葉通り、青葉山へ。左に南町通り、五橋通りに。
右は、広瀬通り、定禅寺通り、県庁、市役所に、横に駅前、地下鉄、一番、国分町、晩翆、西公園で市街は碁盤の目で解りやすい。

次は、亀岡八幡宮方面、