「成田屋市川團十郎と不動明王」
歌舞伎には「見得」という芸があり、役者の演技がピークに達したところで、顔の表情やポーズをそのままにして、しばらくのあいだ動かずにいることを「見得」という。「お不動さま」のゆるがぬ御心が歌舞伎にあらわれたのがこの「見得」。
二代目自作の歌舞伎「不動」の中で演じた「不動の見得」は、まさに見得の中の見得と云う。
二代目市川團十郎が演じた「不動」の舞台は、「不動の見得」という表現が有名であったと云う。
あまりの人気に「不動の見得」でにらまれると、あらゆる病が治ると噂され、江戸中に不動尊信仰を広めて行きます。
現代でも、「不動の見得」は、歌舞伎界で市川家にだけ許されたお家芸で、見得のかまえにはお不動さまの精神が宿っているといわれている。
市川家に伝わる「にらみ」は、邪を祓うお不動さまの御霊徳をあらわしたもので、「にらみ」の表情は、歴代團十郎によるお不動さまへの深い信仰の証。
弁慶の衣装には、「お不動さま」梵字がデザインされ、九代目團十郎が「勧進帳」に出てくる弁慶の衣装を梵字散らしの水衣に。
この衣装には、お不動さまをあらわす梵字が金糸で縫われていると云う。
「お不動さま」の化身としての「勧進帳の弁慶」 江戸期の歌舞伎舞台が一枚の絵で残って、その絵では、不動明王と弁慶が一体となり描かれていると云う。山伏の姿をした弁慶は、「お不動さま」の御姿であると古来より信仰され、歌舞伎の舞台に見られる多くの芸が、市川家の不動尊信仰から生まれていると云う。
JR成田駅ー総武本線・成田線(向かいに京成成田駅)
「京成電鉄」
創業者・「本多貞次郎」 1858-1937 藩士・次男として宇都宮に生まれ。
明治15年工部省に出仕し、神戸、名古屋等に東海道線鉄道工事の現場監督をし、のち官を辞して尾張炭鉱、日本鋳鉄、雨宮敬次郎の豆相人車鉄道等諸会社の創設につくす。(日暮里-成田空港間64.1kmが36分で結ばれる)
明治36年、東京市街鉄道会社の工務課長・42年、専務取締役、社長に就任し、北総鉄道、武州鉄道、渡良瀬水力電気、大同電気等各社の社長または取締役を兼任している。大正9年、衆議院議員に当選し以後引続き5回当選。昭和8年鉄道会議議長となる。大正14年、帝国鉄道協会理事・副会長を。
鉄道同志会、電気協会、電気倶楽部等の役員を勤め、昭和12、病気のため死去。 79歳。
鉄道大手14私鉄の成立史は、第2次世界大戦を間に挟みながら、合併と買収を繰り返した。
「芝山鉄道」私鉄京成成田駅ー成田空港間
成田空港が建設されることによって東西方向の交通が寸断され不便を被ることになる空港東側地域の住民や企業への補償として、国が、京成本線の(旧)成田空港駅(現在の京成東成田線の東成田駅)以遠を第三セクター方式で延伸する形で建設した鉄道。
昭和56年、に会社が設立・昭和63年、ー「芝鉄成田空港駅」ー「整備場前駅」が。
表参道 成田市上町と本町
参道を中心に多地図
「太鼓祭」 4月14日ー15日
成田山開基1080年祭
「三橋鷹女」 俳人、1899-1972 成田生まれ、
「あたたかい雨ですえんま蟋蟀です くちびるに夜霧を吸へりあまかりき この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 つはぶきはだんまりの花嫌ひな花 てのひらに蜂を歩ませ歓喜仏 ひるがほに電流かよひゐは...」
本名、たか子。旧号・東文恵、原石鼎、小野蕪子に師事。
戦後、新興俳句系の「俳句評論」等に関わる。昭和期に活躍した代表的な女性俳人として中村汀女・星野立子・橋本多佳子とともに四Tと呼ばれた。
三橋鷹女像
空港で国際色に、参道商店街
全国でも珍しく、周囲にはうなぎを焼く香ばしい香りが参道に、うなぎをさばく職人が一列になって作業が見られる。
ふっくらと柔らかく、焼き立てならではのおいしさをぜひ味わいで人気の「成田のうなぎ」。
印旛沼の漁場に恵まれ、江戸の昔より成田山の参詣客をうなぎ料理でもてなしてきたと云う伝統のある成田山参道沿い。
「秘伝のタレ」を代々受け継ぐ老舗の料理店が数多くありる。
店頭先でウナギをさばく職人さん達
「平 将門」 940頃 新皇と称した武将。
京で藤原忠平に仕え、無位無官で下総に帰郷・武蔵国と土豪争いに介入したのを契機に反乱を起こす。東国国司追放し、新皇と称した。
が、最後は、「藤原秀郷」に討たれる。ある地域では新皇と崇めている。京で晒された。
「成田山新勝寺」 真言宗智山派の大本山。
939年「平将門」の乱に際し、東国鎮護の霊場として「朱雀天皇」が創建した。
成田山金剛王院新勝寺(約55000H2)
東京深川へ出開帳と團十郎の不動明王によって、
江戸庶民の参詣が急増した。仁王門
今日でも年間1100万人の参詣者があると云う。
大提灯
池中央に亀石が
鐘楼・三重塔・雄飛の滝などが
大本堂 木造不動明王・二童子像安置 (昭和42年建立)
本堂裏に成田山公園が
本堂左奥に出世稲荷が
釈迦堂
「銘柄 長命泉」
滝沢本店 明治5年創業
「滝澤栄蔵氏」が、江戸時代末期に成田山参詣し宿でお不動様の夢を見て、「ここでお酒を造りなさい」とのお告げを受け、成田の発展性を見越し、当時御影石の大鳥居が立っていた現在地で酒店を開業し、近郷の良質米を原料として酒造りを始めました。
その後、間もなくして、当社酒蔵の井戸水が大変美味しく良い水であるとの評判が広まり、ご参詣の折に私どもに立ち寄り、井戸の水を汲んで帰られる方が増え、共にこの水のおかげで病気が治った、大変長生きした、百薬の長等のお話が各地から寄せられるようになる。
そこで、当社醸出の酒を「長命延命霊力」の酒、といった意味を込めて「長命」と名付けたのが始まりと云う。
以来、当蔵の井戸は、今でも、満々と水をたたえ、自らも長命霊力を与えられているかのように、涸れることがあいと云う。
衆生の病気を治し安楽を与える仏・成田山薬師堂
世界の醸造酒で、アルコール20%も出すのは、「清酒」だけ。
その大きな理由は、並行発酵ー糖化(麹作用)と発酵(酵母作用)が並行して進み、アルコールが15%以上になると、酵母自身苦しくなります。
そこで、アルコールを緩和してやるものが必要となり、麹がその役割をします。
「麹菌」の中に「プロテオリピッド」と云う物質が含まれているので、これが「酵母」を守ります。
これが日本古来の醸造法でした。
「私からの提案」ー成田国際都市構想の一つにー大蒲焼定食1000円・山盛り鯰天ぷら定食1000円を県・企業・団体で「養殖開発」してください。
環境に適してます。