国分寺崖線の南側すぐの位置に、東山道武蔵路を挟む形で東側には武蔵国分寺、西側には武蔵国分尼寺が立地。両寺院の間を府中街道とJR武蔵野線が通過している。
尼寺を後に東側に、(武蔵国分寺)1922年に七重塔・金堂・講堂・北院・西院等の跡地が発掘され、国の史跡に指定、1976年に東僧房の跡地を追加指定している。
1979年発掘調査によって国分尼寺が判明された。
西院の跡地の一部も追加指定され、2003年には史跡公園(国分寺市立歴史公園武蔵国分尼寺跡)として整備、
2004年には府中市内で確認された武蔵国分寺の参道口が追加指定。
史跡指定地内には、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で旧武蔵国分寺が焼失した後、新田義貞の寄進によって再建されている。
現在の「国分寺」は、江戸時代の社寺保護政策により徐々に復元され、1733年に本堂が建立され、昭和62年に改築し今に。
境内には、薬師堂文化財保存館や、万葉植物園なども出来た。
武蔵国分寺 楼門
国分寺薬師堂【市重宝】
国分寺境内にあり、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、現在の金堂跡付近に建立されたと伝えられている。
国分寺薬師堂
国分寺の西にある堂宇で、隣接して仁王門や鐘楼がある。市指定有形文化財。本尊の木造薬師如来坐像は国の重要文化財に指定されている。
毎年1回、10月10日に一般開帳される秘仏。
境内
鐘楼 本殿
「お鷹の道・真姿の池湧水」全国名水百選、都名湧水57選
848年、重い病に苦しんでいた絶世の美女、玉造小町は、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒した、その池が「真姿の池」。
また、湧水群の清流沿いは、江戸時代のお鷹場に由来する「お鷹の道」で、カラーの花が多く、ほたるの養殖が取り組まれている遊歩道。
真姿の池に通じた小川、遊歩道
「資料館」は、僧寺、尼寺のほか、住居を含むと、東西1.5K,南北1Kと広大な範囲に及んでいた。長年の発掘調査で出土資料、
瓦、土器、皿、農具、仏像など展示されている。
資料館入館料 ¥100 旧石器時代から江戸時代の文化財など展示
次回は、syu気まま旅、山陽の旅へ。
尼寺を後に東側に、(武蔵国分寺)1922年に七重塔・金堂・講堂・北院・西院等の跡地が発掘され、国の史跡に指定、1976年に東僧房の跡地を追加指定している。
1979年発掘調査によって国分尼寺が判明された。
西院の跡地の一部も追加指定され、2003年には史跡公園(国分寺市立歴史公園武蔵国分尼寺跡)として整備、
2004年には府中市内で確認された武蔵国分寺の参道口が追加指定。
史跡指定地内には、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で旧武蔵国分寺が焼失した後、新田義貞の寄進によって再建されている。
現在の「国分寺」は、江戸時代の社寺保護政策により徐々に復元され、1733年に本堂が建立され、昭和62年に改築し今に。
境内には、薬師堂文化財保存館や、万葉植物園なども出来た。
武蔵国分寺 楼門
国分寺薬師堂【市重宝】
国分寺境内にあり、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により、現在の金堂跡付近に建立されたと伝えられている。
国分寺薬師堂
国分寺の西にある堂宇で、隣接して仁王門や鐘楼がある。市指定有形文化財。本尊の木造薬師如来坐像は国の重要文化財に指定されている。
毎年1回、10月10日に一般開帳される秘仏。
境内
鐘楼 本殿
「お鷹の道・真姿の池湧水」全国名水百選、都名湧水57選
848年、重い病に苦しんでいた絶世の美女、玉造小町は、「池で身を清めよ」との霊示を受けて快癒した、その池が「真姿の池」。
また、湧水群の清流沿いは、江戸時代のお鷹場に由来する「お鷹の道」で、カラーの花が多く、ほたるの養殖が取り組まれている遊歩道。
真姿の池に通じた小川、遊歩道
「資料館」は、僧寺、尼寺のほか、住居を含むと、東西1.5K,南北1Kと広大な範囲に及んでいた。長年の発掘調査で出土資料、
瓦、土器、皿、農具、仏像など展示されている。
資料館入館料 ¥100 旧石器時代から江戸時代の文化財など展示
次回は、syu気まま旅、山陽の旅へ。