7月 4日(火) 29/19℃
寺脇の、林の中で眠られています
僧、智光は越智山九品院蓮台寺の七十七世・・・
ご住職の了解をえて、智光の墓石に刻まれた碑文に向き合いました
古文書に詳しいW先輩を中心に3名です
正面は誰でも読めます
中興開山法印智光
「法印」は僧としての格ですね
欠けている部分もあり、判読までにはまだ時間を要しますが智光の人生が見えてきて、厳かで、そして楽しい作業です
(右面)
寺伝によれば、この寺は天平9年(733)頃の開基といわれる古刹で、上品上生から下品下生まで九品の木造阿弥陀如来坐像があります
が
残念なことに平安時代末期の保安元年(1120)の火災で上品下生以外の8体は焼失・・・
その8体を、元禄7年(1694年)に京の仏師に再造させた中興の僧が、智光でした
(再造された8体の阿弥陀如来坐像)
(焼失を免れた、重文の阿弥陀如来坐像)
智光は、武田氏傘下の武士団「駒沢氏」の出身・・・
7代季栄の子で、蓮台寺の僧となって寺を中興し、焼失していた8体の阿弥陀如来を京の仏師により再造しました
寛保2年(1742)に、本堂に籠って入滅・・・
それらは碑文に刻まれています
その智光の功績を学び、この郷に広く伝えたいですね
蓮台寺・・・
地元では「くんぶっつぁん」と呼ばれて親しまれています
今は、紫陽花が色鮮やかです
(鐘楼の屋根には須坂藩の「亀甲卍」(右)が見えます)
(毎年5月8日の「花祭り」は出店もそろって、にぎやかです)
火事といえば、明治期に仁王堂も焼失しています
今は新しい仁王が寺を守りますが、焼け残った仁王も保管されています
それなりの威厳・・・
寺は火事との歴史です
そんな60代も優に超えましたが、それなり(体力を問わない)の「仕事」ができる気持ちはまだあります
給料を貰う「仕事」と、ボランティアや趣味でおこなう「仕事」も紙一重
ただ違うのは
拘束ではなく「やりたいからやる」ーの自由さだけです
結果的に、10数年もやりたいことをしてきました
そんな我がままを受け入れてくれた女房殿や家族に、感謝です
《定年後の働き方のモットーは“はげあたま” 「元気だから働くのではなく、働くことで元気になる」》 (7月3日マネーポストWEB)
「・・・また、それまでの自分をリセットして、現役時代とは異なる働き方にチャレンジする気概も大切。1つの仕事を2人以上で分担することにより、個人の負担や拘束時間を軽減する『ワークシェアリング』も積極的に導入しています」(村関さん)」
jiiji もすっかり薄くなりました
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