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三日続いたら褒めてください

うんこネタの封印が三日続いたら褒めて下さい。

ウヒィ初体験

2009年12月22日 22時15分09秒 | Weblog
ウヒィをネットにつないでゲーム購入。

グラディウスリバース、ファンタジーゾーン2をとりあえず購入。
グラディウスではアホリの攻撃に倒される。
アホリがくるくる回ってきたり、またアホリがグルグル回ってきたり、アホリが生えてきたり・・・
アホリに倒され復活は困難かと思われたが、上上下下コマンドが存在してくれたので復活。

ファンタジーゾーン2。
これはなつかしい。
確かにこんな敵がいたなぁと思い出せるものもあるが、こんなのだったっけ?と思う敵もいる。

次はゼビウス(アーケード)を買おうかと思っている。
シューティングばっかりだ。

さて、このダウンロードゲームはSDカードに保存できるようなのだが、そのSDカードに保存されたファイルをコピーしたらいくらでも増殖できてしまうのだろうか。
例えば、ヤマンコ君が買ったゲームをSDカードを借りることで私のウヒィで使うことはできるのだろうか。

ゲームソフトの増殖や無断販売は違法だろうが、ソフトを貸すだけならファミコン時代でもやっていたことだ。

年末商戦

2009年12月22日 22時05分22秒 | Weblog
ドヨが繁盛していた。

ウヒィを購入して、その足でドヨへ。
ピータン粥と焼ぎ餃子3個のセットを注文。

ドヨは忘年会のシーズン。
入り口の並びのテーブルをくっつけて、昨年と同じオレンジのテーブルクロスで忘年会。
さらに、私が粥を待っている間に別の団体も入ってきて奥で忘年会。

ドヨ、流行っている・・・

流行っているからなのか、またしてもドヨの内装が変わったようだ。
派手な飾りがなくなって、シックな感じの装飾を増やしたような感じだ。
奥のほうも確認したかったが、入り口付近の席についてしまったためにわざわざ確認しに入っていく勇気はでなかった。

店が空いていれば写真撮影もできただろうが、まさに忘年会をしている人たちもいるのでやめておくことにした。
酔っ払いが私の撮影に苦情を言ってきてはドヨにも迷惑だろうし。

ドヨ、内装はちょくちょく変わり、メニューも9月1日より新しくなった。
しかし、私が求めるものがちっとも変わってくれない。

私が求めるもの、それはマガジン等の雑誌の新しさ。
古いのしか置いていない状況はちっとも改善されてくれない。

警告

2009年12月22日 22時02分03秒 | Weblog
警告を受けてしまった。

『※警告※これをもちまして当選連絡が最後となります※警告※』
とのこと。

先日からメールが来まくっている幸せの種だ。
当選に対して連絡するかどうかなんて当選した側の自由だと思うが、それに対して“警告”とはものすごい上から目線だ。
(第一、応募していないのに)

この警告文の通り、これで連絡が最後になってくれれば良いのだが・・・
だが、おそらく“当選連絡”が最後であるだけで、別の連絡メールは送られてきそうな気はする。

呆れる一言

2009年12月22日 10時32分21秒 | Weblog
この1週間ずっと気になってはいたのだが、やはり事実なのだろう。

足を庇って歩いていると、屁が漏れやすくなる。
括約筋がゆるむのか微妙な姿勢の変化によって肛門に隙間が生じるのか、歩いていて屁が出てしまうということが多い。

そして、庇うという字と屁という字はよく似ている。

さて、今日はこれからシンポジウム。
そこでヤマンコ君に言った。
私『シンポジウムで、ちんぽしぼむ。』
ヤマンコ君『はぁ…』

さらに、今日の行き先は母校の大学。
私『母校で勃起。』
ヤマンコ君『はぁ…』

いつものことだが、ヤマンコ君に呆れられてしまった。
さすがに母校と勃起をかけるのは無理があったようだ。

「なぜか笑介」は今いずこ?“給湯室での会話”が若手を育てた20年前

2009年12月22日 00時33分52秒 | Weblog
「なぜか笑介」は今いずこ?“給湯室での会話”が若手を育てた20年前(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース

この記事、読んでみて共感できることが多い。

私自身は社会人歴10年にも満たないので20年前のことなど全くわからない。
が、周りに対しておかしいよなぁと思うことがこの記事に当てはまるような気がする。

私自身は今は会社でストレスはほとんどない。
某実験室に引きこもって、ここでいう給湯室のような状態になれるというのがひとつ。
たまに焼肉に行って発散しているというのもあるかもしれない。
会社の人たちをみて家族的な感覚を覚える人は稀だが、ヤマンコ君やエロヅカさん、オクンニ君とは家族的な関係になれているのかもしれない。

そういった私の人間関係は、組織云々で作られたかどうかではなく、そもそも個々の人間性が最も大きく影響していると思う。
組織がどうであろうと、おそらく彼らとの関係は同じようなものになっていると思う。

“給湯室”などは、人間性だけで分かり合えない部分を無理矢理組織の結束のようなもので心を開かせていたのではないだろうか。