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遠江・西郷ノ局の生誕地と館跡を訪ねる その1

2018-09-03 | 歴史
静岡県掛川市上西郷は、徳川家康の側室で後の二代将軍徳川秀忠を生んだ西郷ノ局(おあい)の生誕地とされます。西郷氏、おあいにまつわる伝承は、まさに「諸説あり!」のようで、さらに西郷氏が石谷氏と名を変えたなど、様々な伝承があり地元にも混乱があるようです。
 それはさておき、
地元の案内看板と「静岡県の中世城館跡」を参考にしながら見学をしました。

上西郷の観音寺跡地(構江遊園地)に立つ案内板 部分  図のクリックで拡大


石谷氏館跡とされる字中島の霊栄大明神
上西郷地区には西郷十八士が居たといわれ、この中島にも十八士の石谷氏の一族が居たとされます。今はその御子孫といわれる方が霊栄大明神を守り伝えておられます。写真の○印は霊栄大明神の祠の覆屋で中に祠が大切に祀られていました。今は中島の西に倉真川が流ていますが、往時は東側にも流れがあり、中之島に館が有ったそうで、そこから中島の地名が付きました。

覆屋の中の霊栄大明神の祠 許可を得て撮影

西郷氏館(殿屋敷) 今は構江公民館
上西郷の構江公民館は西郷氏の館跡とされ、西郷十八士の一人戸塚五郎太夫忠春が住んだそうです。戸塚忠春の娘が後の西郷ノ局おあいです。公民館前は駐車場となり西郷ノ局生誕地の説明板や標柱が立っていました。

山上に平塚砦と平塚古墳 南からの遠景
平塚砦よりも平塚古墳のほうが有名らしく、道案内の案内表示板はすべて平塚古墳でした。
古墳は石室と羨道の石積が残っていました。古墳の盛土は風化していますが現地説明板によると一辺が20~25mの方墳の可能性があるとのことです。
 平塚砦は畑地となり遺構は失われたようでした。 

平塚砦の山下に祀られる戸塚忠春の五輪塔・供養塔と於国の墓
平塚砦の山下には昭和40年代まで石谷氏、西郷氏菩提寺の観音寺があったが、今は遊園地(公園)になっている。観音寺の墓地には石谷忠晴の墓と供養塔、西郷ノ局の従姉妹於国の墓がありました。

※於国は西郷ノ局の従姉妹、戸塚忠春の妹の子で於国が書いたとされる於国文書によって西郷ノ局の出自が明らかになった。


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