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飯盛山城 三河 その2 鎌倉期に足助氏によって築かれたが今はモミジの香嵐渓として有名

2024-07-15 | 歴史
飯盛山城は愛知県豊田市足助町にあります。今回はその2をお届けします。城址の位置、歴史、参考資料等はその1をご覧ください→こちら

飯盛山城 主な見学路はa・b→c、d、i
 その1ではa・b→c→eの見学路を登りⅠ郭に到達しましたが、その2では北西側のdから登りⅠ郭の北側の遺構を見学してiの道を下ります。

飯盛山城 見学路d 途中にイノシシゲートがある
 北西斜面にはカタクリの群生地があり、春のカタクリとしても人気ですが、イノシシに荒らされないようにフェンスが設けられていました。


飯盛山城 見学路d 途中の段々平場
 見学路dを登ると、途中に多数の階段状の平場がありました。資料によると戦争中に食糧増産のため、耕作地として造成された平場も多数あり、城郭遺構との区別は難しそうです。図2ではかなり省略しました。

飯盛山城 平場6 南西から
 資料で遺構とされている平場6は城域の北斜面の通路が通っていたとされます。通路はブッシュに覆われていて、明確な確認は難しかったです。

飯盛山城 平場7 南西から
 平場6の下段にある平場7も資料で城郭遺構とされる平場でした。後世の耕作地としても利用された可能性は大だと思いますが、周囲の地形や通路などから、城郭遺構と判断された様です。

飯盛山城 Ⅰ郭北下の通路f 西から 奥にⅡ郭 右上にⅠ郭
 通路fはⅡ郭とⅢ郭を結ぶ通路です。途中にⅠ郭への登り道hがありました。f部分は公園化による遊歩道の可能性も否定できないようです。

飯盛山城 Ⅱ郭 奥上にⅠ郭 東から
 Ⅱ郭とⅢ郭が両側に設けられ、切岸でⅠ郭を守っているようにみえました。Ⅰ、Ⅱ,Ⅲ郭に土塁は見当たりませんが、公園化などの改変があり、往時に存在したかどうかは確認は出来ませんでした。

飯盛山城 山頂のⅠ郭(主郭)には観光用の展望台が建つ 東から
 飯盛山はモミジの香嵐渓の一部となっているため、シーズンになると多数の観光客が押し寄せます。終日の渋滞が続きますので、足助地区の城郭見学は、モミジの季節でない時がお勧めです。写真のようにⅠ郭の東斜面にⅡ郭から登る通路がありますが、観光用の通路の可能性があります。

飯盛山城 見学路i 往時の城道の姿をとどめているかも
 見学路iは観光用の遊歩道として改変が行われて部分があるようですが、写真の道は、付近の地形などから往時の城道の姿をとどめているのではないかと思いました。

飯盛山城 北東尾根の堀切B 南から
 諸国古城の図を見ると北東尾根に道が描かれていますので、往時からの道が在り、尾根を断ち切る堀切が設けられていたようです。資料によると北東尾根には2条の堀切があったようですが、水道設備などによる改変で1条は消滅したとされます。

飯盛山城 北東尾根の遺構は遊歩道で改変が著しい
 現在の見学路iは遊歩道として改変を受けているようです。平場や切岸が連続していますが、残念ながら往時の姿を失っているようでした。

飯盛山城 見学路iの入り口
 見学路iの山下入口には写真のような標識がありました。近年付け加えたと思われる「祈りの道」のネーミングと足絵馬風のイラストなどがいかにも観光地を思わせますね。

飯盛山城は史蹟指定されているため発掘調査が困難で、真弓山城(足助城)を発掘調査して復元したとされます。観光地としての飯盛山城は原型を確認することが難しくなっていますが、残された遺構を手掛かりに往時を想像しながら楽しく見学ができて良かったです。

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