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遠江・西郷ノ局の生誕地と館跡を訪ねる その2 美人ヶ谷城

2018-09-05 | 歴史

その1の続きです。  静岡県掛川市上西郷は二代将軍徳川秀忠の生母、西郷ノ局(おあい)の生誕地として有名になりましたが、それまでは今川家の家臣、西郷十八士としてこの地に割拠する小豪族の一族だったと思われます。今川、武田、徳川が遠江で争うようになると、境目の地として一族は難しい去就を迫られたようです。

美人ヶ谷(ビジガヤ)城は「静岡県の中世城館跡」によれば石谷城、石谷氏古趾とも呼ばれます。一族の石谷氏が居城したといわれますが、明確な史料はなさそうです。


美人ヶ谷城の位置   国土地理院地図に加筆 
 美人ヶ谷城は上西郷の北の尾根筋に築かれています。山本神社の裏から尾根筋を登りましたが、大手道は城址西側だったように思いました。搦手は主郭Ⅰの北東へ降りていたようで、道が残っていましたが、往時のものかは定かではありませんでした。


「静岡県の中世城館跡」は昭和50年代前半の出版ですので、その後の耕作地化などで一部が改変されており、主郭の北から西にかけては見取図の遺構はほとんど確認できませんでしたが主郭Ⅰと南側に伸びる尾根筋の遺構はよく残っていました。
 見取図の堀切①の南側に遺構があったかもしれませんが、現況は茶畑と茶畑跡になっていました。


堀切② 左手が主郭Ⅰ方向
堀切①は茶畑造成の影響もありかなり埋まっていましたが、堀切②は遺構がハッキリしていました。


堀切③の手前から主郭Ⅰを見上げる
堀切③は幅広ですが、とても浅く自然地形との見分けが難しい状態でした。Ⅱはニノ曲輪と呼ばれます。東下に帯郭が設けられてその遺構の残りは良好でした。


主郭Ⅰ 低土塁が残っている
主郭Ⅰの削平地には低いながらも土塁が残っていました。側面には帯郭、竪堀が設けれれており遺構として認められる状態でした。 
 
この先は、耕作地化による改変がされ、その後放置されたようでブッシュや藪がひどく、地形も変わっていて見取図との確認が難しい状態でした。


美人ヶ谷城 西側からの遠景と城域
城域北端(写真左側)から手前に城域が伸びていたようですが、確認できませんでした。

上西郷地区の城址は、茶畑を中心にした改変で遺構の残りがよくありませんが、その中でも美人ヶ谷城は遺構がよく残ったと思いました。


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