故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.206 「中山陵」のお話。

2014年07月25日 | 日記

この日最後の見学場所は紫金山にある「中山陵」。ここには人々に愛された「孫文」の墓がある。私達は午後4時にこの場所に到着した。ガイドさんの説明によると午後5時には閉門するという。早く歩くように促され、舗装された山道を登っていくと途中から石の階段に変わった。

 

暑い直射日光を浴びながら階段を上り始めると体や顔から汗が出始めてきた。特にリュックサックを背負った私の背中は汗でビッショリになった。ガイドさんの説明によると392段≫の石段は当時の民国政府の人口が3億9.200万人であったことから決められたという。石段を登りきったところに「孫文」の棺を安置した建物があった。

 

今の中国であれば、約13億人の人口のため、1.300段≫のほどの石段を作らなければならないことになる。最上部にある建物には金色で「孫文」が言い続けた「民権、民生、民族」と書かれた文字が浮き上がっていた。長くて急な石段の続く「中山陵」であった。

 

川の流れのように次から次へと「孫文」のお墓を参拝する多くの人々の姿を見ていると、私は“近代中国の建国の父”といわれている「孫文」の偉大さをつくづくと感じた。

 

「中山陵」の入口に建てられていた説明看板。

最上部にある建物には金色で「民権、民生、民族」と書かれた文字が浮き上がっていた。

最上部にある建物には金色で「民権、民生、民族」と書かれた文字が浮き上がっていた。

このあたりの階段の傾斜が特にキツかった。

砲弾の跡がみられた。

大島先生(右)と記念写真。