眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

11月のある日の出来事

2024-01-07 | 
中庭のベンチで
 食べかけのホットドックを齧ってコーラを飲んだ
  ホットドックを食べ終わると
   その後に何をすべきか数秒悩んで
    やはりポケットからクシャクシャの煙草を引っ張り出し
     何も考えずに火をつけた
      白い煙がゆらゆらと微かな風になびいた
       それが最後の光景だった

        食事というのは頑張って食べる物なの?

        緑色のセーターを着た少女が独り言の様に呟いた

         どうしてさ?

         だって、
          だって此処では皆が頑張って食べなさい、と云うもの。

          彼等の口癖なんじゃないかな?たぶん。

         僕はそう答えた

        あなたも頑張って食べろと云うのかしら?

     緑色のセーターから伸びた白く細い手首を眺めながら僕は苦笑した

      たぶん云わないんじぁないかな、
       だってそんな風に云われると余計に食べたくなくなるよ、僕だって。

       少女は嬉しそうに微笑んだ

     それじゃあ、あなたはわたしの共犯者になれるわ。

    友達じゃなくて?

   僕がそう云うとくすくす微笑んで彼女は煙草をくわえた
  丁寧にマッチをすって僕はその煙草に灯をつけた
 ありがとう、と少女は云って不思議そうに僕の顔を見つめた

どうして困った顔をしているの?

 少女の問いにゆっくり考え込んでから僕は答えた

  たぶん此処でそんな言葉聴いたのが初めてだったからじゃないかな。

   ありがとうの事?

    そう、それ。

     ありがとうって人に云われたのたぶん久しぶりすぎてね。

      ふ~ん。
       そうね、此処ではそんな言葉あまり聴かないものね。

        少女は奇妙に納得して
         ありがとう、どういたしまして、と魔法の言葉の様に繰り返した

          僕等はくすくすと笑った
           食堂のおれんじ色の蛍光灯の下で暖かな紅茶を飲んだ
            少しだけしあわせな気分に浸れた
             優しい夜の空気
              親密な世界が構築された
               それが虚構の産物だったとしても
                それでじゅうぶんだった
                 だって世界は虚構そのものだったから
                  僕等は好きな世界を選んだのだ
                   たとえ誰かが頑張れと云ったとしても
                    それがどれ程までに無慈悲な想いなのか
                     嫌というほど味わって
                      僕等は此処に辿り着いたのだから

         少し肌寒くなってきた中庭で
        ベンチに腰かけ僕はギターを弾いていた
       退屈すると煙草を吸い
      それからまたギターを悪戯した
     ぱちぱちと小さな拍手に驚いて顔を上げると
    正面に座り込んだ緑色のセーターを着た少女がこう告げた

   あなた音楽好き?

  たぶんね。

 なにか弾いて。

少女はそう云って目をつむった
 僕はバッハのプレリュードを弾いた
  少し調弦が狂っていたけれど
   少女は気持ちよさそうに身体を揺らした
    それからヴェルヴェト・アンダーグランドの
     スィート・ジェーンを弾いた
      少女は楽しそうにギターに合わせて口笛を吹いた
       それがいつかの11月のある晴れた日の出来事だった
        少しだけ優しい記憶の11月のある日の出来事だった

         それからたまに中庭でギターを弾いていると
          静かに少女が現れるようになった
           いつもの様に彼女は音楽に身体を揺らしていた
            僕は少女に何も聞かなかった
             彼女も僕に何も聞くことはなかった
              それは此処の暗黙のルールだった
               僕等は深く傷ついていたし
                ひどく混乱していた
                 ただ音楽と煙草と暖かな紅茶があれば満足だった
  
                 それがある日の出来事だったのだ

                 僕はまだひどく混乱している
                  もうあの日の光景がしっかりと想いだせない

                  ある日少女が云った

                  あなたが此処を去る日が決まったわ。

                 どうして君には分るのかい?

                どうしてもよ。
               あなたはあの人たちの面談を受けて
              全てに答える事が出来れば此処を去るのよ。

             僕には全ては答えられないよ。

            大丈夫、今のあなたならね。

           君はどうするの?

          わたしにはまだ此処が必要なの。
         もう少し時間がかかりそうだわ。

        ねえ、いつかまた会おうよ。

       そうすることは出来ないの。決まりなの。
      あなたも分っているように。

     僕は泣きたい気持ちになった

    わたしはあなたのギター好きだったわ。
   たぶんこれからもずっとね。

  ねえ、音楽好き?

 うん。

よかった。

  ね、
   ありがとう。

    少女は静かに立ち上がってそう云った

     彼女の姿を眺めその影が消えるまで見つめた
      それからやはりポケットからクシャクシャの煙草を引っ張り出し
       何も考えずに火をつけた
        白い煙がゆらゆらと微かな風になびいた
         それが最後の光景だった

          それがある日の出来事だった

           
          それがいつかの11月のある晴れた日の出来事だった
        少しだけ優しい記憶の11月のある日の出来事だった



















                         

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