記録尽くしでもあり、最近チームが上向いていることもあり、またCLが近づいてきていることもありで、先月くらいからラウルのインタビューが、けっこうあちこちに出ています。今日のこれは、カナル・プリュスの番組で細々としゃべったらしいものです。短めにまとまったいろいろな話題が詰め込まれていて、けっこう面白かったです。31歳になった今ですら、成長したい、もっと速く、もっと右脚!というのがラウルらしい。代表に未練タラタラなのも、ラウルらしい。現在のスペイン代表が絶好調なだけに、復帰の可能性は徐々に減ってきているのだろうと思いますが、最後まで諦めない。それでこそ、ラウル。
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「どこかでスタメンになるよりも、ここで控えになる方が良い」
ラウル・ゴンサレスは、カナル・プリュスの番組「Sigue a las estrellas」でインタビューを受けた。レアル・マドリーのカピタンは、いつでも非常にクリアな自身の情熱とレアル・マドリーのカラーへの愛を示した。
ディ・ステファノ
ドン・アルフレドの記録に並ぶことができるなんて想像もしてなかった。僕を使ってくれた監督たちに感謝したい。皆、いつもあの有名なフレーズ「不可能はない」を言って、僕を信頼してくれたんだ。
初ゴール
アトレチコ相手にゴールを決めて、僕はクレイジーになってしまったよ。チームメイトのダニとゴールを喜び合うまで、走ってた。ベルナベウで決めたとわかって、本当に特別な気持ちになった。
リバプール
この先数ヶ月を運命づけるものになるだろう。僕たちは常に、リバプールを頭においてトレーニングしている。僕たちの目標は、ヨーロッパカップだ。僕たちには大きな目標がある。僕たちは決勝ラウンドの時点で、良い状態になければならない。こういった勝ち抜きの試合ではどんな場合でも、運という点も必要なんだ。
アンフィールドのファンは、信じられないくらい素晴らしい。リバプールには、世界でも最高の監督たちがいるということだ。集団としてなら、彼らは多くの欧州のクラブを上回る。僕たちは個人技に優れている。ピッチ上にクオリティを示すことが必要だ。
動き
フットサルのおかげで、それを学べた。僕がフットボールを始めたとき、トレーニングでそういう動きを練習した。それで結果が出たときもそうでない時もある。僕はいつでも、自分の直感を信じているよ。
子供の頃のアイドル
小さい頃はマラドーナだった。86年W杯でゴールを決めたのが、僕にはすごく影響が大きい。それ以外では、ブトラゲーニョだ。彼は素晴らしい選手でもあり、同時に非常に優れた人物でもある。彼は僕に、スポーツ面でも規範としても、何をするべきかすべて教えてくれた。彼は僕に大きな影響を与えたよ。
ブトラゲーニョとは常に良い関係があった。僕がデビューした頃、彼は僕に細かく気を遣ってくれたし、彼の家に僕を呼んで食事をさせてくれたりもした。僕たちは長い時間色々なことを話し合ったよ。彼は僕に、勉強すること、集中すること、常に最大限を尽くすこと、そんなことを言ってくれた。
テレビ
自分がテレビに映ってるのを見ると、チャンネルを変えてしまうんだ。試合なら見られるけど、何か言ったりインタビューに答えたりしてる自分をテレビで見るのは、ダメなんだよ。
カンテラ
とても素晴らしい子達がいるよ。パランカもブエノも、今後僕たちと共に行くだろう。マドリーには家にいる人たちが必要だ。クラブに腰を据え、ユニフォームに価値を見出すような選手たちがね。
EURO
行けなかったのがとても寂しく感じたよ。小さい頃から、代表が優勝するのは夢だった。その夢が本当になったんだ。家から楽しんでいたよ。代表が勝ち得たものに、僕たち皆が誇りを抱いている。
再び代表のユニフォームを着るんだ、という信念を持っている。それを夢に見ているし、忠誠心を持ち続けている。最低でも1回、またあのユニフォームを着るんだ。
マドリー、彼の家
マドリーにやってきた時は、夢のようだった。僕は、世界で一番のクラブにいるんだ。まるで家にいるように感じている。僕は、多くの人たちが僕をサポートしてくれるのを知っている。僕の気持ちは常にここにある。できるだけ長い時間、続けることがチャレンジだ。あと2~3年、僕はここでフットボールを楽しみ続けることを願っているよ。
マドリーでの最高の記憶
リーガでの初ゴール、17歳のときのね。7個目の欧州杯、何年も取れなかった後で成し遂げたことだ。インターコンチネンタル杯でのこと、パリでバレンシアと対戦した8個目の欧州杯…たくさんあるよ。
将来は?
僕の計画は、2011年までの契約をまっとうすること。それで、将来何をするかということを決める時になるだろうね。僕の目標はこのシーズンを続けていくこと。2010年のW杯が僕の目標だ。すぐに年は過ぎていくよ。
常にマドリーにいること
他のどんなクラブであっても、そこで先発するより、マドリーで控えになるほうが良い。
メッシかロッベンか
どちらもとても素晴らしいよ。ここ何ヶ月ものメッシはスペクタクルだし、ロッベンも非常に優れたレベルにある。どちらにもスピードとクオリティがあり、試合の展開を決める。
シュスターからファンデへの変化
監督はそれぞれが異なっているものだ。クラブが、シュスターを交代させるという決定を下した。ファンデは別のやり方で仕事をする。どちらとも最高のレベルで、ぼくたちはやっている。
アラゴネス
彼への恨みなんてないよ。彼は決定を下し、僕は常にそれを尊重してきた。彼は代表にとって最善を考える。僕たちは、彼が戦えるチームを作り、タイトルを得るのを見ただろう?
最高のゴール
僕にとっては、インターコンチネンタル杯で決めたやつだ。東京でね。いつも、タイトルを決定付けるゴールを決めるのを夢見ている。僕は、調子の悪い時期を経て、あのゴールを決めたんだ。その後は、すべてがノーマルに戻ったよ。
選手の獲得について?
僕たちには、戦えるチームがある。僕たちは、優れた選手たちを備えた十分なチームだ。掲げた目標を達成できるよう願っているよ。
組織の平穏について
カルデロンが確かに諦めたのなら、彼はそれをクラブのために良いこととしてしたんだろう。この件は、外部に向けたイメージを傷つけてしまった。だから、今は力を合わせる時であり、クリーンな選挙をして欲しいと思っている。マドリーが20世紀最高のクラブであるなら、そうであるはずだ。
最高のスタジアム、ベルナベウ
ヨーロッパには素晴らしいスタジアムがあるけれど、最高のものといえばベルナベウだ。最上段に立つと、まるで落ちてしまいそうに感じるだろう。今でも、僕は誰もいないスタジアムを見るたびに、すごくたくさんの人々がそこを埋め尽くしているのが不思議に感じてしまう。
向上していること
僕はもっとスピードが欲しい。それに、右脚でもっとうまくシュートを打ちたい。僕が好きなのは、いつも集中していること、そしてリバウンドに直感的に反応すること。それができれば、ゴールを決めるのに必要なだけ有利になるからね。
友情
最初の頃は、イエロ、モリエンテス、カニサレス、アルコルタ。今だと、イケルとかミチェル・サルガド。でもそうだね、スポーツの環境の外で、一番仲が良いのはモリエンテスだ。
クリスチアーノ・ロナウド
半年のうちに選挙があるし、何でも起こり得るね。もし彼が着たら、僕たちは喜んで彼を迎え入れるよ。彼はすごいレベルの、最高の選手だ。
フットボールに疲労する?
疲れないよ。やっていることすべてを楽しんでいる。レアル・マドリーでは色々な状況を経験してきている。最高なこともあるしそうでないこともある。でも、難しい状況から、最高の経験をえることができた。人生では、自分が出会うだろう困難な問題を解決するために準備していることが必要だね。
コロニア・マルコーニ(ラウルの出身地域)でフットボールを始めたこと
ロス・アンヘレスのサン・クリストバルでスタートしたんだ。僕は10歳で、中盤でプレイしていた。フォワードでプレイし始めたのは、マドリーに来てから。15歳で、カデテの年齢だった。
10歳か11歳でプレイするために、僕は記録を偽らないといけなかったんだよ。プレイできる最低年齢というのがあったからね。
シエスタの時は、皆眠れなかっただろうね。僕はその時間を、壁に向かってボールを蹴るのに使ってたんだから。僕は近所へボールを持って行ってた。そこが唯一ボールを蹴れる場所だったからね。17歳とか18歳の人たちとプレイしてたよ。
僕はフットボール狂だよ。ある日父と一緒に出かけて行って、その日だけで6試合も観戦したりした。僕の頭の中には、フットボールだけだった。ラジオを聴いて、そこで実況されてるプリメーラの試合のプレイを真似するのが好きだったよ。
その頃の友情
コロニア・マルコーニには、1人だけ友人がいる。ダビドって呼ばれていた。僕たちは「porteria porteria」をしてた。僕がすごした子供時代すべてで、彼と一緒にプレイしたよ。
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初ゴール
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