米長邦雄も絶賛「伝説の▲96歩」 羽生善治vs森内俊之 1988年 新人王戦決勝 第2局

2020年04月04日 | 将棋・好手 妙手
「手を渡すのがうまい」
 
 というのは羽生善治九段の将棋を語るのに、よく出てくるフレーズである。
 
 前回は、村山慈明七段が見せた絶妙手を紹介したが(→こちら)、今回は同じ研究会だったよしみで、古い羽生将棋を見ていただきたい。
 
 
 将棋のテクニックで、難解な局面では、あえて相手に手番を渡すというのがある。
 
 うまくやれば、それが迷いを呼んだり、ときには悪手を誘発したりする効果があるのだ。
 
 かつては、大山康晴十五世名人がこの達人で、
 
 
 「生涯で、これほど相手に悪手を指させた人はいない」
 
 
 そう評したのは先崎学九段だが、米長邦雄加藤一二三二上達也内藤國雄といった幾多の名棋士が
 
 
 「はい、手番あげるから、いい手を指してみなさいよ」
 
 
 大山から投げかけられた問いに、苦しめられたもの。
 
 その勝負術を継承する羽生が披露した、有名なものといえば、この局面。
 
 
 
 
 1988年新人王戦。決勝3番勝負の第2局
 
 羽生善治五段森内俊之四段の一戦だが、次の手が「伝説」と呼ばれる1手だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ▲96歩と突いたのが、観戦していた米長邦雄九段も大絶賛した一手。
 
 この手のなにがすばらしいのかは、正直なところ、高度すぎてよくわからないのだが、米長の解説では、この局面では▲72角とするのが普通。
 
 そこで後手が、△75歩などと仕掛けて、先手は▲83角成という手を含みに、受けにまわるという展開になる。
 
 そこを端歩を突いても同じようになるなら、玉のフトコロが広いうえに、手持ちのが反撃に使えて、こちらのほうが良い、と。
 
 そう言われると理屈はわかるが、今まさに戦いがはじまったところで、じっと端歩を突いて、手を渡せるという度胸が並ではない。
 
 これから猛攻を受けることは必至なのに、こんな効いてるかどうか微妙な手を指すのは、ムチャクチャ怖いはず。
 
 しかも、相手は天下の森内俊之だ。
 
 これで攻めこまれて、そのままつぶされでもしたら、アホらしすぎるではないか。
 
 ただ、この一手パスをとがめてみろといわれると、これがなかなか見つからないのが、この将棋の実に不思議なところ。
 
 将棋の形勢を判断するのに
 
 
 「駒の損得」「玉の固さ」「駒の働き」「手番」
 
 
 を参考にするものだが、そのうちのひとつを放棄するような手で、
 
 「どうぞ、ご自由に」
 
 とやられて、これで有効手がないなど、そんなバカな話があるものか。
 
 この局面、先後にする、いわゆる「ひふみんアイ」をして後手側から見ると、よりわかるけど、本当に「え?」っていう手にしか見えないのだ。
 
 だが現実に、ここで後手にハッキリした手がない。
 
 森内は△65歩▲57銀に、△75歩としかけるも、やはり
 
 
 「動かされている」
 
 
 と感じていたようだが、森内のその懸念は当たった。
 
 後手は玉頭をからめて、激しく攻めたてるも、羽生は手厚い指しまわしで、それをガッチリと受け止めてしまう。
 
 
 
 ▲38歩と打ったのが、入玉を阻止する決め手。
 金銀5枚+と金の護衛をひき連れて、ふんぞり返っている羽生玉が印象的。
 
 
 
 
 金銀7枚を手にし、まるで森内のお株を奪うような、カナ駒のスクラムで押しつぶし、見事、新人王戦初優勝を飾るのである。
 
 かくして「羽生の▲96歩」は、ここに伝説の一手となったのだが、この一局には後日譚があり、なんとこの妙手を、とがめる手というのが発見されたのだ。
 
 1990年の竜王戦で、石田和雄八段有森浩三五段に見せたその順とは、▲96歩の局面で△75歩と突く。
 
 ▲同歩、△同銀までは森内の指し手と同じだが、▲76歩に、前例は△66歩のところ、なんとそこで△84銀(!)と引き返すのだ。
 
  
 
 
 羽生の▲96歩
 
 
 「なにか指してください。もっとも、たいして有効な手はないでしょうけどね」
 
 
 という問いかけだとしたら、それに対する回答が、
 
 
 「たしかに。じゃあ、こっちもパスするので、あなたこそ、なにか指してください。手を渡すくらいだから、あなたこそ有効な手はないでしょう」
 
 
 「パス」が最善手なら、こっちもそのまま「パス」で返せば、また先手が「パスが最善手」の局面を処理しなければならなくて困るはず。
 
 というのは、言われてみれば論理的な発想であり、今なら角換わり系の将棋における
 
 「相手の最善形が、くずれるまで待つ手渡し」
 
 なども理解できるようにはなったが、子供のころ観たときは、たまげたもの。
 
 なんなんだ、これは?
 
 ただ難しいなりに、将棋の奥深さのようなものは感じられ、今でも忘れがたい局面だ。
 
 ちなみに勝又清和七段の解説によると、△84銀のパスには、さらに▲95歩(!)と手を渡した実戦例もあるらしい。
 
 そうして将棋の手は、どんどん進化していくのだが、たとえ過去の局面になっても、やはりこの手自体の輝きは今でも色あせない。
 
 それは、この局面が
 
 
 「難解な局面で相手に手を渡せる」
 
 
 という羽生将棋の大きな特徴、その見切り度胸、自らの読みへの自信、そしてなにより、カオスを楽しむおおらかさ。
 
 そういった「羽生マジック」のエッセンスが詰まった象徴のような図であり、どれだけ時が経とうとも、決して古びることはないのだ。
 
 
 (郷田真隆と藤井猛の熱戦編に続く→こちら
 
 
 
 
 

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2 コメント

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新人王戦決勝第二局 (Unknown)
2020-08-05 22:00:59
1988年新人王戦決勝の記事についてです.

予め断っておきますがこの局面について
外部の意見を調べたりソフトによる検討
(余り意味はない気がするが)はしておりません.
記事の内容を全面的に信用しての意見となります.
御了承ください.
(勘違いや既出の意見の可能性もあります)

記事の内容に移りますが,記事には,
96歩には75歩→84銀,更に84銀には95歩,
があるとのことで〆ていますが,
95歩に更に75歩はどうなのでしょうか?

何か先手に打開手段はあるのでしょうか?
それとも話が更にややこしくなるから
省略したのでしょうか?
(それなら95歩の前で切るべきな気がしますが)

95歩(96歩)の局面で
先手に有効な打開手段がないのであれば,
後手は75歩→84銀の一手パスを繰り返すことで
先手を手詰に追い込めます.
先手に反復可能な一手パスの手段はなく思えます.
また仮に有効な往復手段が存在したとしても
千日手なら後手満足なはずです.
(また後手でなくとも攻め込んで劣勢よりはまし)
……というのが話の骨子です.

また詳細な考察をすると,
(上記の私の意見が全面的に正しい場合ですが)
先手は95歩の後の84銀の後に
72角(または千日手)を選択することになり,
それならば96歩→95歩の二手は
(おそらく)一応先手が得をしたことになります.
(絶対的な形勢はまた別物ですが)

更に96歩→95歩の二手が先手の得でありかつ
先手から有効な打開手段がないのであれば,
75歩→84銀では94歩の方が
(おそらく)後手は得なのではと思います.
確かに96歩94歩の交換(の有無)は
(おそらく)先手の得だと思いますが,
一方的に96歩→95歩とされるよりは
(おそらく)後手は得していると思います.

このあたりのことは将棋の実力というよりは
ゲーム理論的な思考があるかどうかだと思います.
私はそちら方面の思考がが好きなのですが,
一般に将棋指しの人はあまりしないのでしょうか.

余談ですが,自分は当記事を初拝見したときは,
96歩94歩には先手から有効な打開手段がある,
75歩→84銀で一歩持つと有効な手段が生じる,
という話の流れかな?と思って読んでいました.

96歩に94歩というのは第一に考慮する手段だと
思うのですが,そうではないのでしょうかね?

私もそれほど手を渡す経験はないですが,
私は96歩のような手で渡す場合には
(相手の攻撃がどうなのかよりもまず)
94歩と受けられたときはどうなのか,
(一手パスの意味はあるのか)から考えます.
有効な打開手段がないのであれば
相手の攻撃を読む価値は低いと考えます.
今回の場合は違いますが(というのは72角なら
結局相手の66歩以下の攻撃の順を読む必要がある)
相手の攻撃(相手は受けと攻めから選択可能)の
選択時のリスクと時間!を考慮すると
手を渡す選択をするのは実践的でないからです.

また更に雑談ですが,
96歩と手を渡すのが怖いと書かれてますが,
私からすると72角と「手を渡す」方が怖いです.
(正確に言うと72角は「催促する」のですが)
記事にもあるように同じ順になるなら
投資した角が取り残される危険が高いからです.
(というかプロの解説を聞いていると
このあたりの怖さの感覚はプロも同じ気がします)
ざっくばらんに言うと相手に攻撃されたとき
72角はマイナスの手にしかならないのです.
(一概には言えないませんが,少なくとも
この場面ではそう判断したからこそだと思います)

最初は更に75歩の手渡しはどうなの?という
疑問を言いたかっただけですが,
期せずして長文になりました.すいません.

これからも楽しみに読ませていただきます.
返信する
Unknown (sharon106)
2020-08-06 15:20:16
 コメントありがとうございます。

 ▲96歩の有効性と、その後の変化については文中にもあるように、

 「高度すぎてよくわからない」

 というのが本当のところです。

 もちろん、自分なりの意見はありますが、素人の「勝手読み」に過ぎず、きっと穴だらけで、あまり意味はないでしょう。

 同型の将棋の多くが、結局どこかで▲72角と打っているので、ここで打つのかもしれません。

 ご指摘の通り、後手に一歩あるのは大きいですが、その有効性と、端の突き越しのどちらがプラスなのか。

 ▲95歩以下の変化にふれていないのは、勝又先生の記事でも、

 「▲95歩とした将棋もある」

 としか書かれていなかったからですが、たしかに気になりますね。

 調べてみると、▲95歩に実戦は△86歩から仕掛けているので、プロの間では△75歩の再度のパスは有効でないと判断されているのかもしれません。

 あと、▲96步に△94歩と受けた将棋はありませんでした。

 自然な手のようですが、プロから見ると効いてないんでしょうか。この判断も難しそうです。
 
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