広瀬章人竜王の振り飛車穴熊と「振り穴王子」こと広瀬王位の時代

2019年04月19日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 広瀬章人といえば振り飛車穴熊、という時代があった。

 前回は「女王」のタイトルも持つ西山朋佳三段の剛腕を紹介したが(→こちら)、今回もパワフルな振り飛車を。

 広瀬といえば、今でも堂々のA級棋士として、安定した好成績をあげているが、多くのトップ棋士と同様、奨励会時代からすでに大器の誉れが高かった。

 今はなき『週刊将棋』で「平成のチャイルドブランド」という特集が組まれたとき、当然のごとく名前があがり、その期待の高さをうかがわせたもの。

 このとき取りあげられた、佐藤天彦金井恒太戸辺誠高崎一生中村亮介村田顕弘長岡裕也など多くの若者たちが、その後プロになり活躍しているが、広瀬はその中でも、筆頭ともいえる存在だったのだ。

 18歳でプロデビュー後も、順位戦で昇級、新人王戦中村太地四段を破って優勝など、期待にたがわぬ躍進を見せる。

 早稲田大学に在籍し、学生棋士としても話題を呼んでいたのもこのころだ。

 また、若手時代の広瀬が話題になったといえば、ある強烈な寄せのことがある。

 村山慈明五段との順位戦で、むかえたこの局面。

 ▲31馬と切ってを取り、△同銀となったところ。

 




 この馬切り自体は穴熊戦でよくある形で、相手のをはがしてしまうのが、この際のコツ。

 先手玉は王手すらかからず、絶対に詰まない「」とか「ゼット」と呼ばれる形だから、この瞬間にラッシュをかけられれば先手勝ちだ。

 ここで広瀬は本人も会心と自賛する、すごい手を用意していた。








 

 ▲33角と放りこんだのが、次の一手問題のような、あざやかな一撃。

 △同桂と取るが、▲32歩が継続手で、△同銀に、▲42金とはりついて先手の攻めは切れない。

 

 



 以下、△21銀打、▲51飛、△22飛、▲31金打、△54角、▲32金、△同飛、▲同金、△同角。

 村山も飛車角を自陣に投入し、懸命の防戦に努めるが、広瀬の寄せは正確で、次に▲22金と打って決まっている。

 




 

 △同玉しかなく、▲31銀、△11玉、▲22飛で、ちょっと変わった形だが後手玉に受けはない。

 あまりのパンチ力に、この将棋は雑誌等の「妙手」「寄せ」「穴熊」といった特集で、かならずといっていいほど、取り上げられるほどなのだ。

 この将棋は、終盤の切れ味もさることながら、広瀬の穴熊の戦い方のうまさも光っている。

 最後の場面、自玉を絶対詰まないどころか、王手すらかからない形にして、大駒捨てからの一気の寄り身。

 われわれアマチュアが見てもわかりやすく、また参考にしたくなる作りではないか。

 そう、広瀬にはその才能や終盤力とともに、「振り飛車穴熊の使い手」という強烈な個性があった。

 私が子供のころといえば、大内延介九段西村一義九段福崎文吾九段といった振り穴党が現役で指していたが、その後は居飛車穴熊の勃興とともに、徐々に勢力を減らしていき、今ではすっかりマイナー戦法になっていた。

 それを見事に復活させたのが、広瀬章人だった。

 絶滅危惧種の武器をひっさげての連勝街道は、それはそれはインパクト充分で、これでタイトルでも取ったら、さぞおもしろいことになるのではと、大いに期待された。

 ついたあだ名が、当時のブームを受けての「振り穴王子」。そして、その才能に惚れこんだだれかが、こうも呼んだのである。

 「神の子広瀬」と。 

 
 (続く→こちら

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