広瀬章人といえば振り飛車穴熊、という時代があった。
前回は「女王」のタイトルも持つ西山朋佳三段の剛腕を紹介したが(→こちら)、今回もパワフルな振り飛車を。
広瀬といえば、今でも堂々のA級棋士として、安定した好成績をあげているが、多くのトップ棋士と同様、奨励会時代からすでに大器の誉れが高かった。
今はなき『週刊将棋』で「平成のチャイルドブランド」という特集が組まれたとき、当然のごとく名前があがり、その期待の高さをうかがわせたもの。
このとき取りあげられた、佐藤天彦、金井恒太、戸辺誠、高崎一生、中村亮介、村田顕弘、長岡裕也など多くの若者たちが、その後プロになり活躍しているが、広瀬はその中でも、筆頭ともいえる存在だったのだ。
18歳でプロデビュー後も、順位戦で昇級、新人王戦で中村太地四段を破って優勝など、期待にたがわぬ躍進を見せる。
早稲田大学に在籍し、学生棋士としても話題を呼んでいたのもこのころだ。
また、若手時代の広瀬が話題になったといえば、ある強烈な寄せのことがある。
村山慈明五段との順位戦で、むかえたこの局面。
▲31馬と切って金を取り、△同銀となったところ。
この馬切り自体は穴熊戦でよくある形で、相手の金をはがしてしまうのが、この際のコツ。
先手玉は王手すらかからず、絶対に詰まない「ゼ」とか「ゼット」と呼ばれる形だから、この瞬間にラッシュをかけられれば先手勝ちだ。
ここで広瀬は本人も会心と自賛する、すごい手を用意していた。
▲33角と放りこんだのが、次の一手問題のような、あざやかな一撃。
△同桂と取るが、▲32歩が継続手で、△同銀に、▲42金とはりついて先手の攻めは切れない。
以下、△21銀打、▲51飛、△22飛、▲31金打、△54角、▲32金、△同飛、▲同金、△同角。
村山も飛車角を自陣に投入し、懸命の防戦に努めるが、広瀬の寄せは正確で、次に▲22金と打って決まっている。
△同玉しかなく、▲31銀、△11玉、▲22飛で、ちょっと変わった形だが後手玉に受けはない。
あまりのパンチ力に、この将棋は雑誌等の「妙手」「寄せ」「穴熊」といった特集で、かならずといっていいほど、取り上げられるほどなのだ。
この将棋は、終盤の切れ味もさることながら、広瀬の穴熊の戦い方のうまさも光っている。
最後の場面、自玉を絶対詰まないどころか、王手すらかからない形にして、大駒捨てからの一気の寄り身。
われわれアマチュアが見てもわかりやすく、また参考にしたくなる作りではないか。
そう、広瀬にはその才能や終盤力とともに、「振り飛車穴熊の使い手」という強烈な個性があった。
私が子供のころといえば、大内延介九段、西村一義九段、福崎文吾九段といった振り穴党が現役で指していたが、その後は居飛車穴熊の勃興とともに、徐々に勢力を減らしていき、今ではすっかりマイナー戦法になっていた。
それを見事に復活させたのが、広瀬章人だった。
絶滅危惧種の武器をひっさげての連勝街道は、それはそれはインパクト充分で、これでタイトルでも取ったら、さぞおもしろいことになるのではと、大いに期待された。
ついたあだ名が、当時のブームを受けての「振り穴王子」。そして、その才能に惚れこんだだれかが、こうも呼んだのである。
「神の子広瀬」と。
(続く→こちら)