前回(→こちら)の続き。
デビュー当時
「将棋に哲学がない」
「勝つだけで棋譜が美しくない」
今を知るものには、にわかには信じがたい批判をされていた羽生善治名人。
そんな昔話を思い出したのは、飯島栄治七段(愛称「エーちゃん」)の本『横歩取り超急戦のすべて』の元となる『将棋世界』での連載を読んでいて、とある一枚の棋譜に目が止まったからだ。
そこには若かりしころの羽生四段と飯野健二六段(飯野愛女流1級のお父様。すごいハンサム)との将棋が紹介されていたのだが、これがすごかったのだ。
ヤング飯野健二
相横歩取りから、飯野六段のあざやかすぎる指しまわしの前に、羽生四段はじりじりと押され、気がつけば敗勢に。
で、ここからいつものごとく、あの手この手で延命を図るわけだが、それが今の「羽生名人」からは考えられない、とんでもない手順。
くわしくは『将棋世界』の2014年3月号か『羽生善治全局集』の1巻を手にとってもらいたいが、次々とくり出される羽生の必死の勝負手に、飯野六段はどこまでも冷静に対応。
それでも羽生はあきらめず、なんとか食いついていく。
図は羽生が▲32ととせまったところ。
次に▲51金からの詰めろだが、飯野は見事な返し技で最後の望みを打ち砕く。
△54歩と突いて、後手の勝ちが決まった。
これが△53への逃げ道を作りながら、△67馬と追ってから△55金と打って詰ます筋を作った、きれいな詰めろ逃れの詰めろになっている。
もうこのあたりは盤に並べながら、羽生さんのことなどどこへやら。
その鮮やかすぎる駒さばきに
「ジュリー(飯野六段のニックネーム)! もう抱いて!」
と言いたくなる、見事な飯野劇場なのだが、ところが話はここで終わらない。
完封寸前の羽生四段は、ここでどんな手を講じたか。
もちろん、投了はあり得ない。かといって、もはや反撃の手段もない。
ではどうするか。
そう、恥も外聞もなく、ひたすらに逃げまくるのである。
陥落必至の羽生玉は、手元の武器も付き従う配下もすべて見捨てて、着の身着のまま、ひたすらに遁走。
とはいえ、これはあまりにも差がつきすぎているという希望のないねばりで、残念ながら、ただ「投げない」以上の意味はない。
この△37歩が心臓をえぐる痛打で、▲同桂は△49飛で詰みだし、▲同金も△49飛、▲28玉、△57馬のような自然な寄せで一手一手だ。
さすがに指す手がない局面に見えたが、ここで羽生がおどろきの一着を見せる。
なんと△37歩を放置して、▲59金と打って守る。
もちろん△38歩成と、ボロっと金を取られて悲惨なことに。
自陣の網を破られた羽生玉が、守備の駒をボロボロと取られながら落ち延びていく姿は、もう「形作り」なんてどこへやら。
昔、甲子園で、桑田清原のPL学園に29点取られて負けた学校があったけど、それを思い出させる虐殺であった。
ただ著者であるエーちゃんも、フォローしているように、
「羽生さんはこういった将棋を、数え切れないくらいひっくり返してきた」
そう、そこが当時の羽生将棋の魅力でもあった。
この将棋はジュリーが強すぎて実らなかったが、それでも、いやホント、すごいというか、エグいといった方がいいような、すさまじい頑張りなんです。
今では絶対に見られない、ある意味、貴重物件。
そこで、急激に「哲学がない」時代の羽生さんの将棋が見たくなって、こういうときにネットというのは便利なものだ、と色々と検索してたらありました。
NHK杯戦の対福崎文吾七段戦。
加藤治郎先生が解説で、聞き手が永井英明さんだったりと、オールドファンには感涙ものだが、ここでの羽生五段の終盤の指しまわしこそが、まさに当時の羽生流。
どう見てもド必敗の局面から、あきらめずに指し続けます。
投げない。秒に追われて、ひたすらに指す、指す、指す。
あと一手で終了のところから、いつまで経っても終わらない。
これが、やたらめったらにおもしろくて、ちょっと見て寝ようと思ってたら、気がついたら最後まで走ってしまった。
熱戦の果てにあるのは
「あのころの羽生らしい大逆転」
か、それとも今では見られぬ
「なりふりかまわぬボロ負け」か。
最後まで、どっちかわからない結末は、ご自身の目でどうぞ。
■羽生善治vs福崎文吾 その1 その2 その3
見所満点の最終盤は「その3」から。
★おまけ 羽生の若手時代については→こちら
羽生と谷川浩司のライバル対決編は→こちら