月のたび

日々の日記

不条理の悩みの効用

2007-07-05 21:52:27 | しみじみ(滋)

写真は富士です。

 

真中にほんのすこしシルエットが見えると思います。 現代社会は分業体制で成り立っています。人間一人ひとりが社会の一部分の割り当ての仕事を果たせばいいってのが現代です。流れ作業の一部分、社会の一分子が現代人です。

ところがそれでは対応できないことがあります。それが現代社会の欠点です。心の問題です。ここを鋭く指摘しているのが中島義道さんなんです。

たとえば、私みたいなマイノリティが「何で生きてんだろ」って自問する。けれど、分業体制である以上、こういう悩みだって分業なんです。私のその悩みは他の誰かが今まで取り組んできた悩みであって、その、ニーチェやらカントやらっていう偉人が一応の結論にたどり着いた上に成り立っているのが現代の社会だってわけです。そういう素朴な疑問はいわば、流れ作業においては加工の終えた工程だよ、なのになんでまたほじくり返すのって言うような反応を返すのが現代社会ってことだと思います。つまり私の悩みは無意味、無価値だってことです。では、わたしはどうすべきなのかっていうと、そういう偉大な先人の業績を踏まえて、今日の学問の頂点に登りきってしまわねばならない。ではそこまではできない人はどうすればいいのっていうのが問題になっているんです。

 何のために生まれ、死ぬのかって事に明確な答えはないでしょう。答えはないけど、そう自問するのは本当に無意味なんでしょうか。私にとっては少なくとも一応の自己満足でもいいから納得したいってのがありますし、人は悩んで考え納得するというプロセスが必要です。なのに、今では悩まない、思考しないマジョリティが勝ち組になれる社会のようだ。