久しぶりの投稿。
昨日の仕事は懐かしい方にお会いした。
5年くらい前に仕事をいただいて、見た目はおっかない、いかつい方だが、話してみると、何かしらいい感じ。
言ってみれば、『無心のこころ』を感じる相手だ。
○さんは、男性で70歳になったそうで、相撲が好きで、若いころは県内で何度も優勝したという。体を鍛えていて、70とは思えない恰幅のよい強そうな印象だった。
それでも、久々に会ってみると、懐かしさにこころ惹かれる。それが不思議だ。
5年ぶりに会うお客様なんて、ざらにあるのに、○さんに限って、いい印象を感じるのは、『こころ』のおかげで、しかも無心だからだろう。
あれから、温和だったお父様はなくなり、お母さまは施設に入ったという。
それで思い出したのが、過年亡くなった菅原文太さんの言葉だ。(若い頃は強くなりたいと思っていたけど、歳を取ってみると、弱くてもいい生き方はできることがわかった。)みたいなこと、言ってて、屈強な体躯の○さんが、私にはあんなに親切な言葉をかけて下さるのか、思うに、純粋な思いやりや親切心を大事にしているためだろうと。
そういうのは、とっても大事だと思う。
人はいくら強くなっても、台無しになってしまうようなことってあるよ。で、そうなった時に、もう元には戻らない過去を償うには、若い人たちに、いい言葉を与えたくなるだろう。
歳をとったら、もう若返りはできない。そのときに、若い人に代わりにわかってほしいことがある。そういうのがあるんだろうな、とかおもった。
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