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子の躾と「飴」(親の飴と鞭の使い方) 『二粒の飴』

2021-10-09 07:49:44 | 歴史から学ぶ
@「二粒の飴」親が子に対する躾と甘えを教える教訓だ。父親の罪から母と子が村を去り全く縁のない江戸で辛く厳しく育てようとした母親が死に際に「飴」を子に差し出し交わした言葉は印象的だ。「母は子の喜ぶ顔が見たい」厳しい躾を守り、大人になったらご褒美にあげる飴を遺言のように差し出したことだ。厳しい躾にはそれなりの意味があったことを「飴」で知らせたのだ。
『山本周五郎作品集28』山本周五郎
「二粒の飴」
嫁に行く娘に母親は過去の話をする。それは父親が藩のために切腹し、城下を去ることになったこと。その母が大事にしていたものは「微笑」と「飴」だったと。その「飴」の由来が遺言となった。暮らしは貧困の極まりで母親は子供にはと食を与えたが白湯のみで暮らしたこともあった。やがて力弱まり病床となり娘を呼び「母親というものは自分の口は詰めても我子にはおいしいものをやって、喜ぶ顔が見たいのです。それが母親として何よりの喜びなのです」と死に際に伝えた。甘えのない生活は子にとっても辛い日々だったが、その甘い飴はそのご褒美だったと。「遣わずにおく」という事を最後に贈った
「萱笠」
若い娘達の話に話もした事のない思いの人の名を出したことで村の噂となった。だが、その思いの人青年は合戦に出ておりその母親は是非にと家に呼び寄せ、息子が帰ってくるまで家の世話を嫁の如く扱った。だが、ある日合戦で亡くなり仏になって帰ってくると仏間で一度も会ったことがない思いの夫の赦しを得て嫁になり、夫が大事にしていた畑と萱笠の使用を得た。
「城中の霜」
安政の大獄で福井藩の名士橋本左内も最後に遠島から切腹を言い渡され辞世の歌を残し世を去った。最後に立ち会ったものからは左内は涙を流し別れをしたと福井の藩士達は聞いた。昔からまた従姉妹であった娘は左内を思いその始終を聞きに江戸に来ていた。橋本左内は誰もが斬首される罪人ではなかったと言う、それは尊王論者であり裁くと開国を主張していた医者だったからだ。



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