@人の人生には必ず「あの時こうすればよかった。あの道に進んでいれば」など「人生の分岐点」(道)がどこかにあるはずだ。一度ならずとも2度3度もあることも。その時どうしてこの道を選んでしまったのかなど後悔、悔やんだこともあるはずだ。だれもが自分の人生の「道」に悩み、最後には自分が決めている。その時どのように決めたのか、判断した自分でも理解できない行動や思いがあるはずだ。もう一度その時の「道の分岐点」を思い起こし、自分を反省することが今、この時、この時期ではないかと感じる。人は反省して初めて知らない自分を知ることもできる、しかもその判断が最悪の場合は、何かを見失っているはずだ。人にはそれぞれの「運」もある。それを素早く掴み取り自分の思った「道」を選ぶことも必要だ。まさに自分の「夢の階段」を描けるのか、試してみたい。
『夢の階段』池波正太郎
- 人の考え方、見方、仕草は人の何を動かさせるのか
- 9つの短編小説
- 厨房にて・禿頭記・機長スタントン・娘のくれた太陽
- あの男だ・母ふたり・踏切は知っている・夢の階段・おみちの客
- 人間の見た目の愚かさと人を知ることでのその奥深さを知る
- 見た目だけでの判断では見間違える、特に女性の思いは違う
- 恨み、辛巳、怨念など時代の流れが人を変える
- 生き別れ、偶然の出会いで人はどのように変わるのか
- 人は亡くなってからその人の遺したものに不思議さとあの時の思いと今の「生きる」を感じる
- 「夢の階段」
- 武士の世界と陶物師(元武士・家老の娘婿候補)の分かれ道
- 2つの職に別れた世の常
- 武士の世界はいつでも、だれもが敵になる。世の習いに従事
- 陶物師の世界は自分の思いを火加減で調整、出来栄・夢に満足
- 「おみちの客」
- 「恐いものは死ぬこと。生きている者は、死ぬことだけは経験したことがないからだ。当たりまえのことだ」
- 「自分が知らないことに自分が立ち向かって行くということは、恐いもの。どんな人でも死ぬことだけは、死んで見なくては分からない。」
- 「だから、いくら考えても分からぬことを、考えても始まるまい。無駄なことなのだ。」「強い雨降りの日に外に出るが嫌いになる、しかし外に出てみると案外そうでもない。傘をさして、ちゃんと道を歩いていけるものだ。死ぬことも同じではないか。その時になればそんなに怖くはないものらしい。」
- 『死ぬことを経験したこともないくせに、怖がったところで何になる。いざ死ぬ時になってみれば、案外恐ろしいものではないらしい。』(おみちのお客の話・赤穂浪士大石内蔵助)
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