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明治文豪の生活ぶり『二葉亭四迷の明治41年』

2024-03-12 07:42:37 | 歴史から学ぶ
二葉亭四迷が生きたこの時代、やはり「士族」上がりで一人っ子の優遇が多かったのか仕事も飽きっぽく、多情で野暮な性格は職を転々し、引っ越しも20回以上、浪費家で変わり者と言われた、だが、唯一「浮雲」は自分と正反対の「正直」(内海文三は融通の利かない男・プライドが高い)を表現しようとしていたとあるのは頷ける。二葉亭四迷の浪費について、現代の金銭的感覚で言うと1ケ月に約350万円程を使い、贅沢三昧の生活ぶりだった。二葉亭は「文学は男子一生の業にあらず」と言っていたという。
『二葉亭四迷の明治41年』関川夏央
「概要」明治後期、社会は既にほぼ現代と同じ構造を整えていた。では、明治にあって現在にないものとは?日本人が失った「志」を探る論考
ー生涯履歴(二葉亭四迷別名長谷川辰之助)
1864年 - 2月28日、江戸市ヶ谷に生れる
1881年 - 5月、東京外国語学校(現東京外国語大学)に入学。(露・清・韓国語)
1985年 - 9月、東京外国語学校が東京商業学校に合併。改めてその露語科第五年に転じる[9]。
1886年 - 1月、東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を中退。坪内逍遥を訪ねる。4月、「小説総論」を発表。
1887年 - 6月、『浮雲』第一篇を刊行
1908年 - 6月、ロシアのペテルブルクへ派遣される。
1909年 - 3月、肺炎、肺結核のため入院。4月に出国。5月10日、ベンガル湾上で客死。享年46。
二葉亭四迷の性格
相談相手は坪内逍遥、就職、金銭、結婚、母親、悩みなど切羽詰まった悩みで決断力の無さ表す
飽きっぽい性格から仕事も転々とし、住居の引っ越しも多く、記事、小説も中途半端が多かった
女性関係でも若い売春宿女が妻(18歳)となり子供ができた後に婚姻届け、6年の結婚生活で2人の子供と短くその間別居生活で離婚も引き延ばし、友人の妹と同棲生活(愛憎の激しさ)
金銭的には浪費家で金次第で仕事選び、金があれば使い果たし、借金を先輩に願う始末
仕事の記事(朝日新聞時代には2点の記事のみ)も小説も中途半端で書きかけて捨てる
ー文豪人との出会い
田山花袋、樋口一葉、夏目漱石は朝日新聞社時代の同朋、長年の友人川上眉山(後に自殺)、独歩国木田哲夫(37歳結核で死亡)、独歩の死のあと4年で石川啄木(結核と栄養不良で死亡)



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