つれづれ日記

~認知症に備えて~
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関西紅葉の旅(第四日目)

2015-11-27 13:41:29 | 旅行記
 これまでと違って、帰る日の今日になって、朝から晴の素晴らしい天気となった。これがもう少し早かったら、と残念だった。

 6:20ウェイクアップ・コールで起き、ビュフェスタイルの朝食を摂った。7:21、3人ほどずつで準備されていたタクシーで神戸空港に向かい、7:46到着。8:10チェックイン、セキュリティチェックを経て、少々待った後搭乗、8:30に着席。

 8:45離陸して、順調に飛行して、9:45茨城空港に着陸。茨城空港に降りる乗客は会員登録すると(無料、IBR MY AIRPORT CLUB)、2万名まで3,000円分の茨城空港と近くの空の駅「そらら」での買い物に使えるクーポン券と、茨城空港での2杯分のコーヒーティケットを呉れるということだったので、手続きをしてそれを受け取った。そのティケットでコーヒーを1杯飲んで、クーポン券を使って空港内の売店で、「大人の神戸プリン(4個入)」(\1,188)を2箱と「常陸緑茶羊羹(5個入)」(\1,080)を1箱買った。

 10:55空港を駐車場に停めていた車で発って、茨城空港北ICで東関東道にのり、茨城町JCTで北関東道に合流して茨城町東ICで降りて、11:26無事帰宅。

 3日間、実際は初日は午後からだから、2.5日で、初日1か所、二日目5か所、3日目6か所と、計12か所を巡る強行軍だった。ほとんどの場合1か所に1時間ほどの滞在時間だったので、中途半端で短か過ぎた。それに、紅葉は、どこでも、今年は良くないとの声が多く、実際天候の良くないことも相まって、彩に欠けて残念だった。

関西紅葉の旅(第三日目)

2015-11-26 22:52:19 | 旅行記
 一日中曇。しかし、11時頃一時ポツ雨。

 7:00起床。ビュフェスタイルの朝食を摂る。予定通り8:00「アーバンホテル南草津」を出発。国道1号線を通り、8:30栗東ICから名神に載り、8:55湖東三山スマートICで降り、9:03湖東三山の一番北にある西明寺のバス駐車場に到着。
   
(写真左から、惣門、中門、不断桜(天然記念物)、蓬莱庭(一部分))

   
(写真左から、登り専用路から本堂方面を見上げる、三重塔(国宝)、本堂(国宝)から右端に二天門を見る、二天門(重文))

 9:59西明寺のバス駐車場を出て、その南にある金剛輪寺の中ほどにあるバス専用駐車場に10:05到着。駐車場からすぐに右に曲がり参道を上って大きなわらじの掛かった二天門(重文)をくぐって大悲閣本堂(国宝)、三重塔(重文)参拝。本堂の北側に血染めの紅葉があるが、パンフレットなどに見るような赤い色にはなってなかった。二天門をくぐって、両側に千躰地蔵が並んだ参道を下った。途中、名勝庭園を見て総門(黒門)から下の駐車場に移動し待っていたバスに乗り込んだ。
   
(写真左から、二天門(重文)、大悲閣本堂(国宝)、血染めの紅葉、血染めの紅葉)、

   
(写真左から、三重塔(重文)、千躰地蔵、名勝庭園(一部分)、総門(黒門))

 ⒒:12駐車場を発し、湖東三山の一番南にある百済寺(ひゃくさいじ)に11:31到着。表参道中ごろにあるバス駐車場から参道を上がり池泉回遊式の庭園を巡って、遠望台を通って苔むした雰囲気のある庭園を通り、弥勒半跏石像の前を過ぎて表参道を上って仁王門をくぐってさらに上って本堂に至る。
   
(写真左から、境内入った広場、庭園(一部)、庭園(一部)、仁王門)

   
(写真左から、仁王門から本堂を望む、本堂脇から、鐘楼(鐘を打たしてもらった)、境内の紅葉)

 上った道を引き返して駐車場に戻る。12:29百済寺を出発。車中で初日にオプションで頼んでおいた昼食用の弁当を食べた。12:50八日市ICから名神に載り南下し、光明寺に13:48到着。
   
(写真左から、総門、表参道、御影堂前、勅使門)

  
(写真左から、奥に勅使門、もみじ参道にある藥医門、もみじ参道)

 14:36光明寺を出発し、北に向かい15:24北野天満宮に到着。時間が35分ほどしかなかったため、本殿に参拝して後は御土居のもみじ苑を見て回り、最後にお茶とお菓子を戴いて、バスは本日の最後の訪問先嵐山に向け15:58出発。このころになると、あたりは薄暗くなってきた。
   
(写真左から、楼門、本殿(国宝)、展望所付近の紅葉、展望所から望む本殿)

   
(写真左から、紙屋川に架かる鶯橋、紙屋川、紙屋川、葉店で戴いたお茶と菓子)

 16:26嵐山の駐車場に到着。自由時間は1時間ということだったので、祇王寺方面を目指し、天龍寺は帰りに寄ることにして、行けるところまで行ってみた。結局、落柿舎で引き返し、渡月橋を中ほどまで渡って、駐車場に戻った。辺りは暗くなって、目では殆ど見えない状況だったが、写真には何とか、曲がりなりにも、写っていた。
   
(写真は左から、土佐四天王像、落柿舎前、天龍寺、渡月橋から下流方向を望む)

 17:29嵐山の駐車場を出発、今夜の宿がある神戸に向かった。京都縦貫道に大原野ICから載って南下、18:15大山崎JCTで名神に合流してさらに南下。茨木IC付近手前から渋滞6kmの渋滞あり、結局19:21グリーンヒルホテル神戸近くに到着。一通り裏のホテルに入った。バスの窓越しには、本日の満月が雲間から顔をのぞかせていた。

 今夜の夕食は自由食でツアー代金には含まれていない。本日は滋賀県湖東三山から、京都で3か所合わせて6か所を巡ったのでこれ以上動くのは面倒で、近くのコンビニでサンドウィッチと牛乳を買って簡単に済ませた。もちろん今夜も持参したコーヒを淹れて飲んだ。

 明朝は、神戸空港から8:35に出発し帰るので、ホテル出発が7:20ということなので、23:20に消灯、就寝した。

関西紅葉の旅(第二日目)

2015-11-25 23:23:23 | 旅行記
 曇、一時薄日が差したが昼前から小雨となった。

 ウェイクアップ・コールをセットしていた6:55、起床。今日は8時出発で、朝食は7時からということだった。朝食場所のフロントは狭く、これでは混んで時間に間に合わないと思って、7時少し過ぎにフロントに下りたが、行列ができていて、案の定、大混雑していた。ホテルの選定ミスと思う。

 8:01ホテルを出発、途中でオプションで頼んだ人たちの昼食弁当を積み込んで、一路本日の最初の訪問地「長谷寺」に名阪国道にも載って南下、9:07長谷寺に到着。「花のお寺」とも呼ばれるだけに、多くの花の木がいたるところに植えられていた(時期的に花はない)。
   
(写真左から、保存修理中の仁王門(重文)、登廊(重文)、本堂(国宝)入口、開山堂)

   
(写真左から、本長谷寺、五重塔、右2枚は慶大の紅葉)

 10:07長谷寺を出発、10:53談山神社に到着。ここは、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)がその後大化の改新につながる極秘の談合をされたといわれている場所である。第一駐車場から急な階段を下り、右手に鳥居とその下に続く140段の急な石段を見過ごしながら、土産物屋、多武峰観光ホテルの前の緩やかな坂を上り、神幸橋を渡り神域に入った。戻りは、140段の石段を下り、鳥居をくぐって、バス道路を通って駐車場に戻った。
   
(写真左から、けまりの庭から右に神廟拝所(重文)・階段上正面に権殿(重文)・右奥に十三重塔(重文)、どこからか不明、拝殿(重文)の内から外をみる)

 11:56談山神社を出発。すぐにバス車内で昼食弁当を摂る。京都南道路の京田辺PAで15分のこの旅初めてのトイレ休憩を取って、そのまま阪神高速8号京都線の鴨川西で降り、14:20南禅寺近くの駐車場に到着。
   

 15:13南禅寺の駐車場から出発、15:53東大路通東福寺交差点の西側、京阪本線&JR奈良線の跨線橋の東端手前にてバスを降りそこから東福寺まで歩いた。入場券を買う時間が迫っているということで、添乗員は急ぎ先行した。東福寺は以前友人たちと来たことがあった。閉門時間が16:30ということで、ぎりぎりまで粘ったが、見る時間が30分ほどしかなく、また日も暮れて暗くなって写真は無理だった。
   

 集合時間までに1人が還って来ず、そのうち添乗員に電話あり道間違いをして、遠く伏見の方まで行ってしまったとのこと。次に行く場所は清水寺でその前に、夕食を「順正」で摂ることになっていたので、タクシーで行ってもらいそこで合流することになった。結局20分ほどして我々は17:05バスで出発した。
 17:35頃清水寺駐車場到着。雨の中、順正まで添乗員に引率され湯豆腐の夕食を摂った。皆が順正から出てしまった後の18:15頃に出て清水寺のライトアップを見た。途中入場券を買うために参道にできていた長い列を尻目に(あらかじめ添乗員が券を買ってくれていた)、入場できた。暗い上に、雨が降り続け傘を片手に持って、カメラは感度をISO感度を6400まで上げたが、シャッターを押すのだが手ぶれが多く写真にはならなかった。
   

 19:24清水寺を出発、途中20分以上渋滞し、20:03京都東ICから名神に載り、20:13草津JCTで新名神に入って、20:17草津田上ICで降りて、今夜の宿、アーバンホテル南草津に20:30到着した。

 今日は5か所を訪ね、しかも雨の中紅葉もきれいな色をしていなく大変だった。明日も、8:00出発ということで、24:15消灯、就寝した。

関西紅葉の旅(第一日目)

2015-11-24 23:37:54 | 旅行記
 今日は一日中曇。

 クラブ・ツーリズム企画の茨城空港出発・帰着の関西方面紅葉の旅に参加した。ほとんどが、ペアー/カップルなどだったが、小生を含め男3人、女1人が単身で合計38名の参加者の3泊4日の旅だった。

 8:30、車で自宅を出発、茨城町東ICより北関東道に載り、茨城町JCTで東関東道に載って、空港北ICで降りて、茨城空港には9:10到着した。駐車料が”ただ”ということもあってか、多くの車が駐車していた。9:50の集合時間までに時間があったので、空港脇にあった、自衛隊機として使用されていて、展示されていたF-4EJ改要撃戦闘機とRF-4EJ戦術偵察機を眺めながら、また散歩途中で立ち寄られていた地元の人と話をしながら時間をつぶした。

 9:50チェック・イン、10:13セキュリティ通過。神戸から来る機体が到着遅延したということで、出発は10分ほど遅延。10:52離陸。座席は窓際A席だったが、飛行ルートは内陸部を縦断するようにとるので、北から富士山を望むことができた。
(11:27撮影。曇で、窓越しで綺麗に撮れなかった)

 12:02神戸空港に着陸、機体のドアーが開かれて順次下乗。預け荷物を受け取り全員がそろう間に勝手に摂ることになっている昼食用のハムサンドと牛乳をファミリーマートで購入。12:30これから3日間乗ることになるバスに乗車、12:33神戸空港を、最初の目的地の奈良公園に向け、出発。

 本旅行では、昼食は含まれていないので、2日目・3日目の明日と明後日の昼食としての弁当の希望取りと、これから向かう奈良公園での大仏殿に入場の希望取りと土産リストに記載された品物の希望取りも行われた。小生は、2日分の弁当と、本日の大仏殿入場を希望し、3,150円のオプションを追加した。最近は、見かけ上の費用を低く見せるためか、出来るだけ旅行者の好みに合わせるためにか、オプションとなっている費用が多いように見受けられる。14:00奈良公園に到着。案内人引率され、大仏殿に入り、二月堂・三月堂を見て回り、若草山の南麓にある土産・食事処の春日野に案内された。そこで、大和の鶏すき焼き御膳の早い時間の夕食を摂った。
   
(写真は左から、大仏殿、盧舎那仏、手向山八幡宮宝庫、鶏すき焼き御膳)

 17:00春日野前からバスに乗って、本日の宿のへ向かった。宿は2つに分かれ、先にサンホテル奈良に参加者を下ろし、その後17:30、東横イン近鉄奈良駅前に到着した。小生は後者の宿だった。

 24時消灯、就寝。

北海道旅行ー3日目:支笏湖から帰宅

2015-05-13 23:07:25 | 旅行記
 天気予報では、今日は札幌辺りは晴れ、東京では30℃にもなって真夏日になるとのことだった。1Fのパレシオでビュッフェスタイルの朝食を摂り、8:19バスはホテルを出発した。
 9:03、大滝村「きのこ王国」というところに到着。おみやげを買うようにとの意であろうが、小生には全くその意思はない。9:31そこを出て、10:12支笏湖畔に到着。事前に、水深2mの水中窓から湖の水面下の様子を見ることができるという30分間の観光船による見学の希望が取られたが、小生は希望しなく湖畔を散策したり、ビジターセンターで自然の展示物を見て回った。

 11:25、支笏湖畔を出発し、11:55本日の昼食場所である「道産市場」に到着。前日申し込んだ三大ガニ御膳(カニごはん、毛ガニ半身、ズワイガニ足、タラバガニ鍋)を摂った。小生はカニは食べるのは良いのだが、剥くのは面倒くさい故に、左程好きではないが、3択の昼食だったので、選んだ。


 12:58、道産市場を出て、13:06新千歳空港に到着。2階出発口近くで添乗員から搭乗券を受領。小生は、「白い恋人」1箱を買い、預け荷物に入れて荷物チェックをして貰い、カウンターに預けた。その後、3階でのんびりとコーヒを飲んで、手荷物検査を通って、出発ゲート12番前で出発を待った。
 搭乗するJL514便は15時のほぼ予定通りにゲートを離れ、15:12離陸、16:36には羽田空港に着陸した。17時丁度にプライオリティタッグを付けて貰った(小生はJGCのメンバー)お蔭で、早く荷物を受け取って、17:06モノレールで第一空港ビルを出発。17:49には上野駅にはついていたが、どうやら常磐線の内原駅で人身事故、宇都宮線の上野駅での人身事故などがあったようで、常磐線、上野東京ラインなどに遅れが出ているようだった。小生の上野からの特急券は座席指定を後でできるようなオープンなので、上野駅の券売機で18時発のときわ23号を取った。結局これは、40分遅れの18:40上野駅を出発、19:49水戸駅到着。19:53南口でタクシーに乗って、19:59自宅到着。無事に帰宅した。

北海道旅行ー2日目:松前城、開陽丸と洞爺湖湖上花火

2015-05-12 23:23:38 | 旅行記
 ホテルの朝食を済ませ、7:55ホテルを出発。今日は昨日と打って変わって曇り空。8:00に最初の場所である函館朝市に到着。案内者についてて、すぐ近くの朝市商店街に行く。朝早いのにも拘わらず結構な人出があった。小生はあまり興味がないので、配られたカニ味噌汁券で味噌汁を飲んだら、すぐ近くの旧青函連絡船「摩周丸」が展示繋留されている桟橋にいって、それを眺めながら時間を潰した。

 8:54朝市を出発、途中、10:19道の駅「しりうち」に寄ってトイレ休憩をし、10:28再出発。11:14松前公園に到着。このころは熱帯性低気圧に変わった台風6号の影響でか、すでに小雨が降り出していた。およそ2時間の時間が取られ、松前公園(松前城跡)の見学と配られた弁当の昼食を摂ることとなった。
 松前城は、明治8年(1875)、新政府の北海道開拓使は本丸御殿、本丸御門、天守を残してその他の城郭の施設を解体した、その後、天守は、昭和24年(1949)城跡にあった松前町役場からの出火が飛び火して焼失。昭和36年(1961)、鉄筋コンクリードで松前城資料館として外観復元された。
 360円を支払って、外観復元された天守の松前城資料館に入って内部の展示物を見学。それから外に出て、雨のショボショボ降る中を傘をさして散策。石垣は、これまで見たことのないようにすべての石垣が、見事な切込み接ぎであった。材質は加工のしやすいグリーンタフ(緑色凝灰岩)である。また、二の丸の西、本丸御門左の桜林の中には、本丸御殿玄関が移築されていた。慶長11年(1606)完成した当時福山館と称した松前城は、寛永14年(1637)、城中からの出火により多くの建物を焼失、同16年(1639)に修築された。その際、表御殿には京都伏見城の一部が移されたと伝えられている、表御殿玄関はその時のもののようで、今では北海道指定有形文化財に指定されている。
 二の丸と本丸の間にある本丸御門は慶長11年(1606)と嘉永2年(1849)築城の旧城郭を取り壊し新しい城郭を建設した際の御門(安政元年(1854))である(昭和24年の火災では、御門の東塀は焼失した)。
 園内には250種、1万本の桜があるとのことであるが、すでに花の峠はすっかり超えて、「南殿」「ウコン桜」「普賢象」の花が残っているだけのようだった。

(上の写真は左から、馬坂門辺りから搦め手門付近を見る、搦め手門一の門を通して奥に天守を望む、二の丸から左に本丸御門と右に天守を望む)

(上の写真は左から、内濠北側から天守を望む、普賢象さくら、三の丸にある6番と7番台場の間にある天神坂門外から天守方面を望む)
 弁当を持って歩いたが、食べる場所が見当たらずそのままバスに持ち帰り、途中でコンビニで買ったお茶を飲みながら食べた。

 13:06、松前公園駐車場を出発した。車内で思いがけず、添乗員から江差での見学先希望を取るとのことだった。「江差追分会館」江差追分や歴史の見学と、少し離れた岩壁に実物大復元された「開陽丸」の見学だった。見学に必要な時間に限りがあるので、両方を見ることはできないという。小生は箱館戦争のとき江差沖で座礁沈没した「開陽丸」を見ることにした。先に江差追分会館見学組を下ろし、開陽丸組はバスで鴎島傍の展示場所に14:21着いた。450円の入艦料を払って艦内に入り見学した。
   
(写真は左から、復元開陽丸外観、復元開陽丸上甲板)

 15:14、バスで開陽丸を出て、江差追分会館に寄りそこでの見学者を拾い全員そろって出発した。そこで、バスを誘導していたガイドが自家用車に接触され転んだという事故が起こった。ガイドは何ともないということで、そのままバスは出発した。
 16:35、落部ICから高速に載り、18:01虻田洞爺湖ICで降り、18:07わかさいも本舗という店でバスは停車。わかさいもなる菓子を土産に買えということらしかった。娘用に6個入り648円1箱を買った。18:23、そこを出て、本日の宿である「洞爺サンパレス」に18:30到着した。
 ホテル内1Fのパレシオというレストランでビュッフェスタイルの夕食を摂った。20:45から15分間ほど行われる湖上花火は、当初音だけは聞こえたが花火の姿は見えなかった。しばらくすると左手から少しずつみえるようになり、最期は目の前で終わった。室内から見ていたので、窓ガラスに部屋の中が映り込んでしまうので、部屋の電灯は全部消し、カメラを窓ガラスにできるだけ近づけて20枚ほどを撮影した。


 22時過ぎに地下1階の大浴場で温泉に浸かって24時頃に就寝。

北海道旅行ー1日目:五稜郭と函館夜景

2015-05-11 23:36:02 | 旅行記
 クラブツーリズムの「桜めぐりの決定版北海道桜セレクション3日間」と銘打ったグループツアーに申し込んだ。申し込んだときは、このころに見ごろと踏んだのだが、今年は特に暖かく桜の開花が進んで、行ったときはほとんどが終わっていて、辛うじて残っていたものを愛でることができただけだった。
 いつもより1時間ばかり早い7時に起き、のんびりコーヒを飲みながら新聞を読んで、8時半過ぎのバスで水戸駅へ。8:50到着後、MaCでフィレオフィッシュとコーヒを摂って9:27発ひたち6号に乗って東京駅へ。常磐線の両側に広がる田圃は半分近くは田植えが終わっていた。今年の3月から常磐線特急は品川駅まで乗り入れており、大変便利になった。浜松町駅からはモノレールで羽田空港第1ビルに11:17到着。集合時間は11:50だったので、その前に焼鯖寿司を昼食にした。
   
(写真は左から、モノレールより富士山を望む、昼食にした焼鯖寿司)

 14時ちょうど函館空港に着陸、荷物を引き取った後迎えに来ていたバスで、14:29空港を出発し、最初の見学先トラピスチヌ修道院に14:38到着。バスガイドさんの引率でぐるっと見学。



 15:22修道院をバスにて出て、15:48五稜郭に到着。まず、展望タワーに上って上から五稜郭公園を見下ろす。時期が合えば、桜で埋め尽くされた景観を呈すのだろうが、時期が疾うに過ぎている。
 嘉永6年(1853)「黒船来航、により徳川幕府は安政元年(1854)日米和親条約を締結し、下田と箱館(明治2年(1869から函館)を開港した。蝦夷地(明治2年より北海道)を治め開拓し、合せ外国との応対をするために箱館奉行を函館山麓に開いたが、主に防備上の理由により現在地に五稜郭を造り、箱館奉行所を移した。五稜郭は安政4年(1857)に築造が開始され、元治元年(1864)に完成した。慶應3年(1867)12月に大政奉還され、翌月からの戊辰戦争、明治2年箱館戦争の舞台となり、圧倒的な戦力に新政府軍によって旧幕府軍の土方歳三らは斃れ、総裁榎本武揚は明治2年5月18日、降伏、五稜郭は階乗した。明治4年(1871)開拓使により奉行所庁舎を含むほとんどの建物が解体され、大正時代以降は公園として一般に開放された。平成18年(2006)から工事が開始され、平成22年(2010)に箱館奉行所が復元された。
 
 一の橋を渡り半月堡塁へ、そこから二の橋を渡って郭内に入った。石垣の高さは、思っていたより低かった。時間が短ったので、復元された箱館奉行所に入らず、その向かいにある「いたくら柳野」で百名城のスタンプを押して、コーヒを飲んで、バスに戻った。

(上の写真は左から、展望タワー見下ろした五稜郭公園、一の橋からの入口付近、復元された箱館奉行所)

 16:50五稜郭を出て、市内をバスの中から見て回りながら、本日のホテルである「函館国際ホテル」に17:17到着。函館山から夜景見物に出発する19:30までに各自夕食を摂って再集合ということで解散。小生は、バスの席が隣になった82歳という男性と一緒に夕食を摂るため、近くの「きくよ食堂」でトマトとモッツァレラチーズのサラダと、フレッシュ海鮮パスタを撮った。
 19:35、足があまり自由でないのでと今までも見たという理由で、行かないというその82歳の男性を除いて、バスはホテルを出発し、19:58に函館山山頂に到着。小生は買わないが、全員で集合写真を撮って、後は自由行動。集合写真を撮った場所付近から、小生は10枚ほどの夜景写真を撮ってバスに戻った。


 20:30、バスは山頂を出発し20:50ホテルに帰着した。24時半ころ就寝。

沖縄本島周遊(第5日目最終日)

2015-01-17 23:02:19 | 旅行記
 本日は「沖縄本島ぐるっと周遊5日間の旅」の最終日。6:50起床、7:15~7:45の間ビュフェスタイルの朝食を摂り、8:25バスはホテルを出発。8:41世界遺産の中城城跡に到着。ガイドさんの案内で、三の郭、裏門から入り正門に出て、城域の西にある舗装道路を通って駐車場に戻った。
  
(上写真は左から、中城城縄張り、城域立体模型、右に裏門左に三の郭の石垣)
  
(上写真は左から、裏門、北の郭手前にあるウフガー(大井戸)、二の郭の中から一の郭方向を望む)
  
(上写真は左から、一の郭内の拝所の一つ、内部より正門を望み左は南の郭の石垣、南端にある鍛冶屋跡)
 9:40中城城駐車場を出て10:20新原ビーチに到着。船底から海中が観察できるグラスボートの乗船である。およそ25分ほどの乗船時間で定員13名ほどの小さな船だった。
   
(上写真は左から、乗り場、海中観察状況)
バスの出発までに時間があったので、喫茶店のようなところでホットコーヒを飲んだ。11:15新原ビーチを発って、11:50日本最南端の道の駅という「いとまん」に到着。魚汁定食の昼食を摂った。この道の駅では農産物や魚介類のセンターが別棟にあって、多くの人で賑わっていた。
 12:44道の駅を出て12:58那覇空港に到着。我々が搭乗するANA470便は到着便が遅延したということで出発が遅れ、予定では14:55出発だったが、機体のドアが閉められたのは15:18だった。我々のコンパートメントの前方中央にあるモニターは調子が悪く、映像が滲んでいて良く見えなかった。17:17羽田空港に着陸、タクシーング後17:24停止した。17:45羽田空港第2ターミナル駅出発、18:13浜松町駅出発、18:27上野駅に到着。18:30の電車には間に合いそうになかったので、いつものように本を立ち読んで、19:00上野駅発フレッシュひたち51号に乗って20:10水戸駅着。駅内で夕食を摂って、南口からタクシーに乗って20:40自宅到着。4泊5日の初めての沖縄旅行は無事終了した。
 ツアー旅行のため、自分には不要な訪問先やもっと長い時間の必要な訪問先などあったが、これもツアー旅行だから仕方がない。それにしても、一人者が宿泊旅行に出るのは何かと不便だ。

沖縄本島周遊(第4日目)

2015-01-16 23:36:35 | 旅行記
 7:05起床。ホテルのビュッフェスタイルの朝食を摂って、今日はいつもとは遅めの、8:55ホテルを出発。9:23大石林山のバスの駐車場に到着。そこでマイクロバスに乗り換えて10分足らずで精気小屋に到着。ここからガイドさんの案内で、距離700m約30分の美ら海展望台コースに足を入れた。大石林山は2億年前の石灰岩が雨水などにより浸食されてできた地形で熱帯カルスト地形の特徴のある鋭く尖った形状の岩山である。島建ての神、アマミキヨが降り立ち沖縄最初の聖地、安須杜(アシムイ)を創ったという。それゆえにここには今なお多くの御願所(拝所)があり神人の祈りが捧げられている。
  
(上写真は左から、大石林山のパノラマ、悟空岩、辺戸岬を見下ろす)
   
(上写真は左から、骨盤岩、烏帽子岩)
 再びマイクロバスに乗ってバス駐車場に戻り11:01出発、1107沖縄本島最北端という辺戸岬に到着した。風が強く肌寒く感じた。天気の良い日には与論島が見えるという。沖縄が1972年5月15日に日本に復帰するまで祖国日本を熱望したという。
  
(上写真は左から、岩壁、記念石碑、遠くの山の稜線が寝ている仏像の横顔に見える)
 20分辺戸岬にいて11:17そこを離れ、11:52沖縄県最北端の道の駅「ゆいゆい国頭」に到着。ここでジューシと天ぷらの昼食を摂った。食後、建物内に喫茶室のようなところがあったので、ホットコーヒを飲んだ。
 12:55道の駅を出て、13:30古宇利島に到着。手前の屋我地島との間に2005年に古宇利大橋が開通して透明度の高い海の車で抜けることができて、その景色の素晴らしさが観光客を引き付けている、という。
   
(上写真は、左から古宇利大橋、島の入口にある古宇利ビーチ)
 14:05出発、14:45御菓子御殿に到着。元祖紅芋タルトの店だそうだ。皆さんはいろいろと土産物を買っていたようだったが、小生は紅芋アイスクリームを食べただけだった。
 15:15御菓子御殿を出て、15:20万座毛に到着。お土産物屋の前を通って岩壁に出る。写真でよく見る象の頭のような形状をした岩が有名だ。土産物屋前を通り岩壁に行く途中には、天皇皇后両陛下が平成24年(2012)11月に沖縄県で開催された第32回全国豊かな海づくり大会(美ら海大会)にご臨席の際、ここ万座毛を訪問になり、歌われた御製の石碑があった。「万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方恩納岳さやに立ちたり」
   
(上写真は左から、万座毛、御製石碑)
 15:43万座毛を出て、16:26今夜のやどであるEMウェルネスリゾート コスタビスタ沖縄ホテル&スパに到着。18:30からホテル内のビュフェスタイルの夕食を摂って19:00自室431号室に戻った。

沖縄本島周遊(第3日目)

2015-01-15 23:11:13 | 旅行記
 7時起床。朝食をホテルで摂り、8:20ホテルを出発。8:40世界遺産の座喜味城駐車場に到着。この城は15世紀初めころに読谷山の按司護佐丸が築城したとされる名城である。城門のアーチに楔石を用いておりアーチ門では沖縄最古といわれている。郭は一の郭と二の郭とからなっていて曲線美がきれいな石垣で守られている。
  
(上写真は左から、縄張り、両側が松林となっている二の郭へ向かう道、二の郭で左に二の郭の城門・右に一の郭への城門が見える)
  
(上写真は左から、一の郭で建物跡の礎石が見える、一の城門を通して二の郭城門を望む、二の郭西に伸びる行き止まりの郭)
  
(上写真は左から、二の郭への城門、一の郭への城門。両者は楔形状、アーチ石の切り出し形状がことなる)
 9:17駐車場を出発し赤瓦の古民家集落を移築再現した「琉球村」の駐車場に9:32到着。
  
(上写真は左から、琉球村出入口へ向かう、園内中央広場の演舞会場で広げられる四つ竹と、獅子舞)
 10:23琉球村駐車場を出て10:53道の駅「許田」・やんばる物産センターに到着。沖縄県第1号の道の駅とのこと。11:19そこを出て、11:35ナゴパイナップルパークへ到着。遊歩道をとおりパイナップルを見て、試飲場・ショッピングセンターでここでしかないと説明があった果肉入りパイナップルかすてらを、留守中に郵便物を取り込む依頼をした隣家へのお土産用に購入した。
 12:08パークを出て、12:32本日の昼食を準備してあった本部グリーンパークホテルに12:32到着。ここはゴルフ場が併設されているようだった。昼食は、アセローラランチのようでグリーンサラダ(アセロラドレッシング)、トマトスープにメインは沖縄県産ロース肉のソテーと白身魚の蒸し焼きにライス、デザートはアセロラゼリーだった。コーヒはついてなく、食後頼んだら432円したが、おいしいものではなかった。
 13:13に出て、13:20「沖縄美ら海水族館」に到着。世界最大級の水族館といっているようだ。イルカショーを見たが、そこまでの外を長い距離歩く必要があり、雨の日・風の日には大変のようだ。
  
(上写真は左から、水族館前、黒潮の海の水槽、イルカショー)
 15:46水族館を出て、15:59世界遺産となっている今帰仁城跡の駐車場に到着。ガイドさんの案内で見学。思ったより広い城域であり、特に外郭は調査・整備が行われているようだった。1月17日から始まる桜まつりの準備も外郭辺りで行われていた。
  
(上写真は左から、今帰仁城鳥瞰図、外郭からの入口となる平郎門、内郭の北側で女官部屋があったという御内原)
  
(上写真は左から、主郭、志慶真門郭、大庭)
  
(上写真は左から、大庭から外郭への新しい道で正面には平郎門が見え旧道は2人の立っている辺りから向かって右に入る、下から見上げた七五三階段の旧道、カーザフ)
  
(上写真は左から、内側から見た平郎門で両側に狭間が見える、外郭から見上げた大隅郭の石垣)
もっと時間が欲しかったが、ツアー旅行だからしょうがない。付属施設である今帰仁村歴史文化センターは全く見る時間がなかった。
 16:58今帰仁城を出て17:55今夜の宿であるJALプライベートリゾートオクマに到着。ホテルのスタフより説明を聞き、割り当てられたコッテージ40、部屋411に入った。立派な広い部屋で、一人で泊まるのはもったいない、と感じた。夕食は、19時都指定されレストランまで日が暮れたが、脇には明かりが点いている道を歩いてロントのある建物まで行って、和食/洋食などの選択の内、洋食を摂った。

沖縄本島周遊(第2日目)

2015-01-14 23:52:53 | 旅行記
 7:15起床、朝食を摂り8:32ホテルサン沖縄を昨日と同じバスにて出発。ニライカナイ橋という橋を通って世界遺産「斎場御嶽」(せーふぁうたき)に向かうこの橋はきれいな景色を呈するという説明だったようだが、車中からでは窓が邪魔で視界が妨げられその素晴らしさは感じなかった。展望所から見ればその素晴らしさが分かったかもしれない。
 斎場御嶽は、琉球開闢伝説にも現れる琉球王国最高の聖地だそうだ。国王と王国全土を霊的に守護する神女の最高位であるため国王の姉妹など王族の女性が任命される聞得大君(きこえおおきみ)が、琉球全土の祝女(ノロ)の頂点に立って琉球最高の御嶽である斎場御嶽を償管したという。9:23斎場御嶽近くのバス駐車場に到着。そこから10分足らず歩いて「緑の館」という入口からガイドさんの案内で見学した。
  
(上の写真は左から、入口部にある碑、御嶽内への参道入口である御門口(ウジョウグチ)、最初の拝所である大庫理(ウフグーイ)
  
(上の写真は左から、台所の意だが豊穣の満ちた所とされる寄満(ユインチ)、2つの鍾乳石から滴り落ちる聖なる水を受けるためのシキヨダユルとアマダユルの壺、拝所となっていう三庫理(サングーイ))

(上の写真は、上述三庫理の奥から左(東)側に太平洋を望み奥に琉球開闢の祖アマミキヨが降臨したという島で琉球王時代の神事が行われた久高島
 往路を歩いてバス駐車場まで戻るが、次に予定していた新原ビーチでのグラスボートでの海中観察は、風があるということで船の出航が中止となった。そこで、すぐ近くの知念岬公園を短い時間散策して、10:56出発した。
 11:14到着した「くんなとう」食堂のようなところで、そこの名物とかいうもずくづくし定食の昼食を摂った。なまもずく、もずく酢、もずくの天ぷら、じゅーしー、そば、もずくゼリーともずくづくしだった。11:56出発。
 12:30ガンガラーの谷に到着。女性のガイドを待って徒歩出発。ガンガラーの谷は、数十万年前まで鍾乳洞だった場所が、崩落してでき、豊かな自然が残る亜熱帯の森である。人の埋設跡もあり、約1万8千年前に生きていた「港川人」が居住していたとも考えられている。出口近くになって弱い雨があったが、出るころには上がった。
  
(上写真は左から、ガンガラーの谷の入口部、途中の道、大主(ウフシュ)ガジュマル)

(上写真は、ガンガラーの谷の出口付近)
 13:50がんがらーの谷を出て、すぐそばにあるおきなわワールドに入り、13:55に中の玉泉洞という鍾乳洞に入場した。洞内の空間は広く、今まで見てきた鍾乳洞のどれよりも大きく感じた。30分弱で出て、スーパーシーサー広場で14:30から始まる演舞を見て、集合時間には少々早かったが、外に出て缶コーヒーを飲みながら出発時間を待った。
  
(上の写真は左から、おきなわワールド入口部、黄金の盃、歓迎門)
 15:27おきなわワールドを出発、15:47ひめゆりの塔近くの駐車場に到着。ひめゆりの塔に参拝して、ひめゆり平和祈念資料館に入ってゆっくり見学した。内部は撮影禁止。外に出ると、雨が降っていて、駐車場まで150mほど走った。
 
(上の写真は左から、ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館入口部)
 16:32駐車場を出て、18:45今夜の宿の沖縄残波岬ロイヤルホテルに到着。到着直前一時強い雨が降った。

沖縄本島周遊(第1日目)

2015-01-13 23:26:48 | 旅行記
 今日は、初めての沖縄本島周遊旅行に出発する日だ。6:50分過ぎ自宅を出て、近くのバス停からバスで水戸駅へ。7:26発の特急に乗って上野駅、浜松町駅から羽田空港第2ターミナル駅へ。集合時間は10:20だったが、30分ほど早く着いた。15名(2人連れ10組と5人の1人)の参加者だった。搭乗券を受け取り、荷物を預け、手荷物検査も行って出発ゲートの待合室で、サンドウィッチと牛乳の早い昼食を摂りながら出発を待った。11:10の出発時間より少し遅れて出発。今日はモノレールからはっきりと富士山が望め、機上からも眼下に素晴らしい富士山が見えた。
 14:15那覇空港に到着。預けた荷物を受け取り、チャーターされていた観光バスに乗り込んで14:47空港を出発。15:12首里城公園地下駐車場に到着。バスガイドに引率されて首里城へ入った。守礼門、園比屋武御獄石門(世界遺産)、歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門をとおり下之御庭へ入った。ここまでは無料で、この先奉神門からは有料区域となる。これをくぐると、御庭に入り正面には正殿左に北殿、右に南殿・番所がある。この御庭で自由行動となった。番所から入り、展示資料を見ながら順路に沿って正殿の中を見て回った(正殿内撮影禁止)。書院・鎖之間と庭園ではお茶と茶菓子(\310)を戴きながらのんびりとした。正殿を出て、北殿の東側を抜けて淑順門を右に見ながら左(西)に曲がって右棭門をくぐり、その先城壁北側に開いている久慶門を出て城壁の外側に沿って東へ歩いた。バスの出発時間が気になったが、折角来たのだから、外壁外を一周することにした。案の定、外壁南側のほぼ中央付近で、時間が迫っていることに気付き、後は走り駐車場に戻った。疲れた~っ。
  
上写真は左から、首里城跡縄張り、守礼門、園比屋武御獄石門
  
上写真は左から、歓会門、瑞泉門とそこへ至る階段、漏刻門
  
上写真左から、右手前に日影台・左ずっと奥に右棭門、広福門、奉神門
  
上写真左から、御庭と正面に正殿、北殿北の右棭門を背に見上げる・左奥に淑順門、右棭門
  
上写真は左から、北側内壁外面で下側は旧石垣‣上部復元、久慶門、東北付近の外壁外面
 
上写真は左から、城外壁東南の継世門、外壁南側の城壁
 予定の出発時間に間に合って、16:45駐車場を出て、17:03本日の宿泊場所であるホテルサン沖縄に到着、チェクインした。今夜の夕食は、「四つ竹」というところで沖縄演舞を見ながらの食事を摂った。残りの人々は国際通りを散策しながら徒歩でホテルまで帰ったようだったが、我々3人はツアー会社が手配したタクシーで19:21ホテルに戻った。

八幡平・十和田湖紅葉の旅(2日目)

2014-10-23 21:50:00 | 旅行記

14102301  1泊2日のバススアーの最終日。ホテル出発は7:30ということで、昨夜はウェイクアップコールを6時15分にセットし、起床。5階の部屋からの景色を6:20撮影。昨日は曇り空だったが、今日はうって変わって素晴らしい晴だった。6:30から朝食を摂った。スクランブルエッグ、ウィンナーソーセージ、野菜サラダにパンを温めて朝食。それに、酸っぱいヨーグルトとコーヒーを摂った。
 予定通りの時刻にホテルを出発。7:47安代ICで高速に乗り、車内販売の「固型ハチミツ」を買う。8:16小坂ICで降り樹海ラインを通って、8:45発荷峠を通過、8:56十和田湖畔に到着。観光地によくいる集合写真屋の写真を撮って(小生はこの手の写真は買わない)、9:16遊覧船は出港。西湖の休屋から出て、中湖を廻っておよそ50分の遊覧である。50年足らず前に友人たちと一度来たことがあるが、遊覧船などに乗ったこともなく、1410230214102303_2 憶は全くなかった。 (写真は遊覧船から撮影した左、乙女の像(9:22)、右、見返りの松付近と思う(9:37)
 10:24休屋を出発し、国道103を子ノ口から奥入瀬渓流沿いに北に石ヶ戸10:54到着。そこでバスをおり、渓流沿いにおよそ30分間散策。14102304 石ヶ戸の休憩所から少し下流に進むとカメラを三脚に構えた5・6人の人々が写真を撮っていたので、小生もそこの写真を撮った(左写真、11:07撮影)。何という場所かは分からなかったが、後で散策MAPを見てみると、「三乱の流れ」というもののように思えた。
 10:54石ヶ戸を出発、来た道を引き返し子ノ口、十和田湖畔を通過して発荷峠に12:20到着。15分ほどの休憩と展望を終えて、往路を引き返して小坂ICから東北道に載って一路南下した。
 柴波SA、国見SAでそれぞれ20分ほどのトイレ休憩をとり、吾妻PAで夕食の弁当(頼んだ人のみ用。小生は頼まず)を積み込むための一時停車。郡山JCT手前で工事渋滞が少しあったが、順調に進み18:43中郷SAで15分間のトイレ休憩を取って、日立南太田ICを19:17降りて国道6号線を南下。19:40勝田駅、20:03水戸駅ホテルテラスで乗客を降ろし、20:13千波湖畔に到着。乗客は26・7名ほど残っていたが、小生はここで降りた。千波湖D51駐車場に停めていた車で20:20を出て、20:26自宅到着。これで1泊2日のバスツアー旅行は無事終わった。


八幡平・十和田湖紅葉の旅(1日目)

2014-10-22 21:53:00 | 旅行記

 昨日は小雨があったが、今朝は降りそうだが未だ雨は降っていない。6時半に自宅を出て、千波湖湖畔のD51駐車場に車を駐めた。しばらく車内で時間待ちしていたが、集合時間6:55の10分ほど前に車を出て黄門像の近くの集合場所に行くと、すでにバスは来ていた。今日から1泊2日の「十和田湖・奥入瀬渓流・八幡平北東北紅葉」バスツアーに参加した。一人でもわずかの割り増し料を払えば参加できるというので、参加した。
 水戸駅、勝田駅での乗客を拾い那珂ICより常磐道に載って北上した。中郷SAで、磐越道を通って東北道に載り国見SA、前沢SAでトイレ休憩の後、松尾八幡平ICを13:50降りた。前沢SAでは、牛タン塩ラーメンを食べたが、猫舌の小生には時間切れで、食べ残してしまった。
14102201  八幡平はすでに紅葉が過ぎているということで松川渓谷に向かった。東北道を降りて20分足らずで松川渓谷「森林ふれあい学習館フォレストI」の駐車場に到着。14:45にはここを出発するとのことで、時間は40分足らず。眺めが良いという歩いて5分ほどの橋の上からの眺めを見学。紅葉景色は今一であり残念だった。
 15:10ホテル安比グランド本館にチェックイン。こんなに早い時間にホテルへ着くというツアーは初めてで、以降の時間を一人部屋で持て余したが、本を持って来たので、時間を有効に使えた。夕食は、17時からバイキングとのことだったが、小生は18時頃から約40分摂った。料理は小生の好みに合うようなものは少なかった。明朝も早いので、23時過ぎ消灯した。


弘前城・角館の桜と五能線の旅(3日目)

2014-05-02 23:48:00 | 旅行記

14050201  ホテルのビュッフェスタイルの朝食を摂り、8;31出発。9:41角館桧木内川脇の駐車場に到着。小雨が降っていた。11:50出発時間に間に合うようバスに戻ることで各自散策。地元の人に聞くと、昨日までは良かったが、雨で花が落ちてしまった、という。昨日の弘前城の桜は凄かったが、こちらは盛りを過ぎていて、やはり見劣りがした。14050202
お茶を戴けるところを見つけたので、早速ごちそうにあずかった。(写真は菓子を半分食べた後、撮っていないことに気付き、写真を撮ったので半分欠けている)
14050203  歩行者天国になっている武家屋敷通りを北に抜け国道46号線を西に歩くと黒塀に枝垂れ桜がかかっていて綺麗だったので写真を撮った。
14050204 14050205_2  古城橋から桧木内川堤に列を作るソメイヨシノを遠くから撮り、その堤上の桜のトンネルを通って10:50、バス駐車場に戻った。出発予定時間の1時間前だった。(写真左奥に見える赤い橋は横町橋) 小生は平成18年(2006)7月7日に角館を訪れていたし、お土産には興味がないので、今回角館では1時間で十分だった。バスで1時間ほどのんびりと読書ができた。
 予定通り11:50駐車場を発って、昼食を摂る居酒屋風レストラン「土間人」に12:06到着。歩けば武家屋敷通りを南に下がればすぐだが、バスのため街を半周して行った。14050206 昼食は土蔵内の板敷間で、我々は40名と多かったためか一度に準備できず、でき次第に配られて少々時間が掛かった。昼食は稲庭うどんと比内地鶏の親子丼、それにいぶりがっことこごみのあえ物だった。
 13:15レストランを出て、大曲ICより秋田道に載って、北上JCTで東北道に載って南下した。トイレを催した女性のために北上金ヶ崎PAで臨時に停止したほかは、往路と同じ前沢SA、国見SA、中郷SAでそれぞれ15分程度のトイレ休憩を取って、20:07那珂ICで常磐道を降りた。水戸駅南口橋の上には20:57到着。そこから、タクシー乗り場まで歩いてタクシに乗り21:10無事帰宅。