せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

新年度特集_こども環境03 〜理想の教育環境とは?〜

2021年04月19日 | 子ども・環境


桜の次は、ツツジが満開。
春は、本当に色とりどりで美しいですね。

心が洗われるようです。

週末は、子どもの高校の保護者会でした。
昨年度は、卒業式も、入学式も、保護者は参加できず。

行事も中止か、生徒だけという事態で
学校に行くチャンスもほとんどなく、
他の保護者の方とお会いするのは、初めて。

教室の席は半分ほどしか埋まらず、密になることもなく
窓も、開けっ放しなので、コートは着たまま(笑)
担任が一方的に話すというもの。

何となく、未消化な感じの気持ちを抱えながらいたところ
終了後に、「お友達の保護者さん同士、挨拶されても結構です。」
という、先生の配慮で、

名簿を元に、子どもから聞いているお子さんの名前の
親御さんのところへ声かけに。

数人が集まったところで
「LINE交換しましょう!」というあるお母さんの声かけで
グループができました。便利な世の中です。

これまで、LINE繋がりに積極的ではなかった私も、
コロナ禍で、直接会えることが
今度いつあるか分からない状況の中で

こうして、親同士も繋がると、
情報交換や、親としての不安や悩みも共有が出来て
安心感が増すものですね。

状況によって、気持ちって変わるのねぇと
自分の変化にも驚きました。

プライベートでは、
子どもの学びの環境も整えながら、、、

* * * * *

今月は、こども環境アドバイザー×建築士としての
理想の教育環境とは?のテーマで綴っています。

切り口は、国も進めるこれからの
「小学校の35人学級」について、でした。

前ブログで、もっと良いのは、「15人」という数字
の考えを提案しました。今回は、その理由を綴ります。

ひとクラスというか
ひとまとまりと言うべきでしょうか。

私の実体験に結びつく、理想の人数です。

小学校の先生の大量退職で、
先生が不足するという現況の中、どう実現していくか
課題もありますが、

本日は、その15人を押す理由を綴ります。

いろいろな組織で活動していますが
その中で「部会」というものがあります。

これが、実に15人前後。

一人新しく入ると、一人抜けていく。。。
というような感じです。

不思議に思っていると、社会学者の記述に、
「社会におけるグループの適正人数は、15人」
とあり、納得しました。

それ以上だと、意見がまとまらない。

この人数は、実は、子どもの高校のクラスでの
女子の人数なのですね。

40人以上のクラスで、女子は14人と、約1/3。

そのためなのか、全員仲が良いのだとか。

また、実際に自分の活動では、どの会も
コアメンバーになってくるのは、おおよそ7~8人です。

会議をしていても、意思疎通がしやすいのが
この人数です。私の実体験です。

ですので、男女比を半々にすると、7~8人なので
クラスも、まとまりやすいのではないかと思っています。

あくまでこれは、人間の社会的グループ人数についての考察です。

「学びの場でも、それでいいの?」
という声が聞こえてきそうですね。

そう、学びの場でも、私自身が今、体験中です。

書道を、合気道の代わりに始めたのは以前綴りました。

その教室の人数が、実に15人前後
私と、その後に新しく入った方がいて

面白いことに、その人数と同じだけ、
辞めていく方がおられます。

教室の空間は、学校の教室と同じくらいの広さですが、
隣の席は開けられるので、密になりません。

また、全員が揃うわけではなく、概ね毎回来るメンバーは
8人前後です。(残り7~8人は、どこかで休まれます)

ね、面白いでしょう。

毎回、2時間半の間に、
先生が一人一人の書の宿題や
その日の課題を添削されます。

教室にいると、ちょうど、先生が学ぶ側一人一人と
向き合える人数であることが分かってきます。

そして、お互いが誰でもと話せます。

非常に心地よいのですね。この距離感が。

全員と語り合わなくても、
一言二言全員と交わせる人数なのですね。

だから、教室の雰囲気も良いですね。

何となく、口をきかない人がいるというい事がないので。

恐るべし、15人という数字
と私は思います。

また、できれば7~8人は、
ほんと、もっとコアに学べますけどね!

次回は、人数の構成について、続きを綴ります。

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新年度特集_こども環境02 〜理想の教育環境とは?〜

2021年04月12日 | 子ども・環境


ご近所の桜は、ソメイヨシノが散り、
しだれ桜が、葉桜になりながらも、

ピンク色と緑の葉の
色彩のバランスがとても良い具合で
目を楽しませてくれています。

先週のフレッシャーズから、
引き続き街中では、

幼稚園や保育園の入学式に向かうらしい親子連れや
小学生の集団登校など、目にする機会が増えました。

微笑ましいですね。
思わず、こちらも笑みがこぼれます。

本日は、こども環境アドバイザー×建築士としての
理想の教育環境とは?のテーマの続きです。

予告した切り口は、「小学校の35人学級」について、でした。

コロナ渦となった昨年。
ちょうど春過ぎでしょうか。
新聞に、国が「小学校の35人学級」を
進めていく記事が載りました。

人数が多いと「密になる」
それを避けるためにという理由でした。

「学習効果が上がるというデータはまだないが。」と。

え===、そこ!?

学習効果のためだけに、
少人数化するという
国の効率優先に、愕然としました。

子どもの育成環境が、狭苦しい空間で
汚染された(=CO2過多)空気環境で
宜しいわけないじゃないですか!

そこで過ごす人間環境の健康や快適性の視点が
明らかに抜け落ちていて、

教育をそのようにしか考えていない行政には、
とてもがっかりし、さらに怒りがこみ上げてきました。

もちろん、そうではない部分もあると
考えて欲しいところですが

記事にする側も、もう少し、
突っ込んで欲しかったですね。

さらりと読める記事なのかもしれませんが
私自身は、とっても腹が立ち、
「だから新聞はあまり読みたくないんだ!」
と、ひとりごちていたほどです。

「小学校の35人学級」の実現は、
もちろん喜ばしいことです。

もっと少なくても良いと考えます。

以前から、「30人学級へ」という活動は、
専門家の中でも議論があっていました。

私も子どもの育成環境として、賛成してきました。

そしてまた、親としても、少人数学級と
原稿どおりの44〜5人の大人数学級での子育てを経験し

少人数のクラスの良さを目の当たりにして
ますます、推進派となりました。

学術的にではなく、実体験として、

私が考える、その育成環境のメリットは

1)先生の目が行き届く。

→ 学習遅れの取りこぼしがない。

2)必然的に、誰とでも仲良くなれるチャンスがある。

→ クラスのお友達で、話したことがない
  というクラスメートがいない。
  仲良しだけでのグループも作れないので、
  苦手な人とも組むチャンスが生まれる。

3)出番が増える。個性輝く。

→ 係など責任のある立場を、やることで自立する。
  役が人を作る。本人の輝ける場が増える。
  結果的に個性が引き出されます。

私自身の子ども時代を振り返ってもそうですが、
体育祭、図工、家庭科など何をとっても、
先生に目をかけられたり、
積極的に活動する生徒というのは、
重なってくるものです。

ゆっくりの子も、おっちょこちょいの子も、
全ての子が得意不得意を持つ中で、
自分らしく輝くには、見守る時間も必要。

それが、ないままに児童を終えると、
日本の子どもの一番の課題
「自己肯定感が低い」
につながってしまうと考えます。

一方でハード面(空間・環境)はというと、
適正人数であれば

1)空気環境改善

→ 二酸化炭素の排出量が減る。空気環境の快適性が保たれる。

2)自己スペースの改善(個人領域の確保)

→ 個々人の席を離すことができ、授業に集中しやすくなる。

3)空間の圧迫感の改善

→ 潜在的な身体の内部に入る不快感を取り除ける。

教室に入る時、あの密度、圧迫感は、
身体が小さい子ども時代から感じていました。

親になって授業参観に伺う時も、
窮屈すぎて息ができない程と思いました。

特に中高生になると、思春期の汗臭さも加わり、
モワッとした匂いが立ち込めていますよね。(笑)

その中で、先生も大変だなぁと、同情すら覚えます。

以前、「おさかなくん」が、
いじめの新聞記事で書いてくれていましたね。

水槽に入れると、魚は、いじめを始めると。
いじめられている魚を除いても、
また新たなターゲットができると。

だから、狭い空間や、世界が狭いとストレスから、
はけ口を求めてしまうのではないかと。

子どもたちよ。大海にでよ==
という結論でした。

実際に子どもが通っていた少人数の学校では、
いじめがないと、有名なところでした。

もちろん、子ども同士、相性合う、合わないは出てきます。
小競り合いや、ちょっとした無視や、悪口などは、
子どもなりに、やはりあります。

それでも、それが続かないのは、空間からの影響と
環境(緑豊かでした)。そして、大人の目も行き届く
育成環境の賜物ではないかと感じてきました。

では、適正な人数は、何人くらいでしょうか?

今の教室の大きさで、そうですね。

私自身は、15人前後が一番良いと思います。

なぜかって?

長くなりました。
その理由は、次回に続けます。


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新年度特集_こども環境01 〜理想の教育環境とは?〜(前段)

2021年04月05日 | 子ども・環境


新年度が始まりました。桜も葉桜になりつつあります。

4月1日には、フレッシュマンと
お見受けする方々に、街中でお会いしました。

着ているスーツがまだ、身体に馴染んでいなかったり、
社会人としては、まだ、あどけなさが残る、お顔つきだったり。

不思議と、分かるものですねぇ。

そして、お昼時には、上司や諸先輩方に連れられて
昼食へ出かけると思われる集団にも出くわします。

自分自身の上京時も思い出しながら。。。

昼食を何処で取るか、というのも、
最初は大問題に感じたものです。

知らない街での、戸惑いゆえ。

どのお店が安くて美味しいとか
何時頃が空いているとか、

少しづつ、スタッフの先輩に聞きながら
街中を散策しました。

あの頃の緊張感が懐かしい。。。

新人さんかな?と思う方に出くわすと
みんな、頑張ってね===
スグに慣れるよ〜と
心の中で、エールを送っています。

そして、新学期。
我が子も本日から登校です。

今月は、こども環境アドバイザー×建築士として
こども達を取り巻く環境について、綴ります。

 (本日は前段です。)

新学期について、我が子に尋ねたら、
ショッキングなことに、
これまでも学校に来ていない生徒がおり
(中には保健室登校の生徒もいるとのこと)
高校2年生になり、クラスから数人が抜けたとのこと。

クラスに問題があるというより
個人の問題だと思うと話していましたが

我が子も布団から出たくない症候群!?
リモート授業での理解不足、学習の遅れなどから
テスト受けたくない症候群?!

長期連続休んでしまった経験からか
少しでも、気が緩むと、それはもう、
学校へは行きたくなくなるのだろうとの談。

誰しも、一度は通る道かと思うのですが、、、
(私もあった)
そこをどう乗り越えるか。。。なのですが

勉強がつまらない=分からない、
やらされている感
閉塞感、、、、などなど

結局、学校が、面白くないからなのですよね。

ネガティブな感情 ≦ 面白い学び

にならないと、動けないですよね
まともな感覚であれば。

学校の勉強って、どうして面白くないのでしょう。
 (決めつけもいけませんが)

仲が良い友達と話したいから、
好きな先生や気になる彼、彼女がいるから、、
部活が楽しい、、、などなど、
(私の場合は、楽しみは体育と図工と、給食でしたが、笑)

学校へ通う意味を
勉強以外で、何とか楽しみを見出しているような
そんな気がいたしますが、皆さんはどうでしたか?

(大学は自分の意思なので、ちょっと違いますが
課題が出来ない、研究テーマが自分と合わないなど
乗り越えないといけないタイミングはあります。)

新人さんも、同じように、
まだ仕事の面白みが分からず
上司に指示されてばかり、
叱られてばかりという期間が必ず存在します。

何事も、乗り越える瞬間=自立する瞬間

というものが、必ず訪れます。

心の中の状態は

辛い、難しい ≦ ワクワク感、充足感

になる瞬間でしょうか。

それまでは、人生の中の時間でいけば
本当に短い間だと思うのですが、

そこがなかなか
長いトンネルに感じるものです。

特に多感で、生活環境が限られている
小学校から高校生までは、
特にそうではないでしょうか。

今のこどもたちは、
いろいろな大人の理想を押し付けられて
大変だなぁ。。。と、
ときどき思ってしまいます。

情報や手段が多すぎないほうが、迷いは生じないものです。

英語に、プログラミングに、、、
どんどん増えるカリキュラム。
ITC活用。
時代のスピードに、ついていくしかないのでしょうか。

では、どうすれば良いのでしょうか。

4月の4回のブログで、
私なりの理想の環境を提言していきます。

本日は、はじめに、
こどもを取り巻く環境の課題を提示し、

そして、次回より、
自身の子育ての経験、
自分自身の学びから考察していきます。

昨今の課題は、

こどもの自己肯定感の低さ(世界統計)
引きこもり人口増と、
学歴格差(学習環境格差)増と、
指導者不足と、、、
虐待、育児放棄、

あげたら、キリがありません。

こども環境アドバイザー×建築士として
独断で、それらについて、考えていきます。

切り口としては、
「小学校の35人学級」について、です。
いろいろと思うところあり。

本日は、それに関しての国の情報提供をし
来週につなぎます。

興味のある方は、チェックしてみてください。

文科省の
『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上プラン」
はこちら


文科省は、「教師のバトン」というツイッターを
3月29日に開設し、先生方の投稿内容が意図したものと
そうでないものとあるようで
炎上」との声も上がっているようです。

ツイッターはやっていないので、
その関連ニュースで知りました。

もはや、先生方の職業を「聖職」と読んで
過剰労働を強いてはなりませんね。

そして、与党内に「子ども庁」創設の動きがあります。
総理も言及されたので、もうご紹介しても良さそうですね。

所属するこども環境学会より、
ご紹介いただいていたのですが
政治に絡む話なので、
各自判断して関わって下さいとのお達しでした。

長くなりました。続きは、次回に続けます。

前段にお付き合いくださり、ありがとうございました。


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命を守ることを最優先に、世界の女性リーダーの手腕に注目。

2020年04月20日 | 子ども・環境


本日予定されていた
我が子の進学先の登校日は、中止になりました。

これまでの、各家庭での自学に加えて、
緊急事態宣言が出されている
GWまでの、学習体制を伝えるために

グーグル クラスルームを利用するための
生徒たちへの直接の説明会の予定でした。

それが、登校することは見送られ、これまで通り、
メールと郵便物での対応に、変更となりました。

親としては、登校日は
気分転換にもなるし、先生やクラスメートと
わずかな時間でも会えるというのは、喜ばしいことと
思っていました。

しかし、全国に緊急事態宣言が拡大された今、
子どもが学校へ通うのに、電車やバスに乗る
リスクを考えると、安堵の気持ちも大きいのです。

孤独の中、学習を進めることは、ちょっと
寂しいですね。張り合いもなければ、楽しくもない。。。

よく、塞ぎ込まずに耐えているなぁと思います。

今日の登校日中止と今後のことのお知らせは
校長先生からのメッセージ動画が、web配信されました。

我が子の学校の校長先生も実は女性。

説明会でお会いした時に、立派な方だなとお見受けし
子どもが通うことに安堵を覚えたものです。

中学も女性の校長先生でした。
横浜は、市長も女性ですが、
女性のリーダーと接することが増えてきました。


女性のリーダーといえば、
新型コロナ対策の
世界の女性首相の活躍が目覚ましいです。

女性というのは、命を守るという点で、
直感が働くことに加えて

リーダーに抜擢される方というのは
冷静、沈着かつ、危機能力に長ける
ということの、表れではないでしょうか。

女性リーダーの活躍を伝える
CNNのニュースです。


日本の小池都知事は、
こちらの記事には登場しませんが

日本でも都知事の呼びかけで、
緊急事態宣言が出て本当に良かったと私は思います。

経済的な打撃もさることながら
命あっての経済ですからね。。。

先週から、全国一律に緊急事態宣言が拡大されました。

疫病には苦しめられてきた
日本の歴史、世界の歴史があります。

私たちのご先祖は乗り越えてこられ
それが今、私たちの命に繋がっています。

自分の命くらい(自分の行動くらい)と粗末にせず
命のバトンを繋ぐ気持ちで
この有事を、みなさんと乗り切っていきたい想いです。

追伸:

先週末は、台風のような暴風と雷雨にちょっとヒヤヒヤしました。

地震もあり、このタイミングで、
医療現場のことや避難所のことを思うと、
地震や洪水は避けたいと切に思います。

もう、これは祈る想いです。

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日本人の心と、祈りの場としての建築_子どもたちを疫病から守りたい古来からの願い

2020年04月14日 | 子ども・環境


昨日は、子どもたちの休校を抱えた
お母さん向けに、家の内側でのことを綴りました。

本日は、家の外側、社会の子どもに向けた目線で、
日本古来の歴史の話から得た、

今起きているような
疫病が蔓延した際の、建築と日本人の心構えの関係
について綴ります。

1)はじめに、古来の祈りの場との出会い

昨年、神社巡りに誘ってくれた友人と
今年は、お寺巡りデビューを、新年に果たしました。

お寺という場所は、檀家でないと
滅多に入れないのではないかと
思っていたのですが、
建物をオープンにして下さる日があるのです。

お正月に、横浜七福神巡りなるものが、
地域で行われると、市の広報に出ており
7箇所のお寺を廻り、境内と本堂の中に入りました。

↓お正月にのぼりが出ていました。


お寺といえば、どこもだいたい同じものかなぁと
思っていましたが、実に違いました。

一つ一つ、屋根の反りのデザイン
瓦の文様、祀られている観音様や
 いらっしゃる神様も違うのです。

↓曼荼羅柄の丸軒瓦は初めて見ました。



そして、霊場巡りといって、
 お寺めぐりは実は、昔からあることだと知りました。

日本人として、建築に関わってきた専門家としても
まだまだ知らない世界がありますね。

そして、今春は、横浜のこの辺りの12年に
 一度
子年観音開きがなされます。

各お寺のお宝である金箔の観音様や御本尊
拝ませてもらえる年廻りなのです。

そこで、緊急事態宣言が出る前、
神社巡りの友人と、数カ所、霊場を巡ってきました。

2)ヒノキの柱に書かれた願い


霊場の名にふさわしく
想像以上に境内のなかも庭園の作りや緑が素晴らしく、
また観音様の表情、そして、
 ご住職のお寺の伝説や由緒あるお話など、
心震えるものでした。

観音堂の前には、今年のご開帳記念に
ヒノキの柱が1本、立てられています。

その無節のヒノキの木材に見とれた木フェチですが、
ちゃんと背割れ(木材のひび割れ防止に、最初から割っておく箇所)
に埋め木がしてあるところもあり、関心して見ていました。

しかも、観音様に向けないようにと
通常背割れは、裏面に入れるところ、
横面に入っていました。

日本人の気遣いですなぁ。。。

文字は、梵字なのでなんと書いてあるのか
分からず、住職にお尋ねすると、

仏教の「発心」「修行」「菩薩」「涅槃」だそうです。
 
そして、墨で書かれた漢字の文字には、
ご住職のこの世の平安を願う言葉。
コロナの感染の終息を願う言葉が、
 令和2年の日付とともに、書かれておりました。



昔からの、日本人の祈りの心を垣間見ました。

過去には、たいそうな高僧がおられ、祈願の際には
一月も食べずに祈ってくださった方もおられたそうです。

他者のために祈る姿に、心打たれた人々も
力を合わせ、乗り越えてきたのだろうと、
歴史あるお寺に、思いを馳せました。

3)観音様の御役割

中には、檀家さん方が、接待してくださるところもあり、
立派な観音様がおられるところに住んでいると思うと
誇りに思います。とおっしゃる方もいました。

観音様のお姿は、写真には写せません。
博物館で見るものそのものと
想像していただければと思います。

この観音様も、1本の木から削られたものであるのも、
数百年を超えて、生き生きと残るのも、木の強さ、凄さです。

ついつい、木に注目してしまいます、笑。

そして、ヒノキの柱から繋がっている五色の布は、
最後の方は糸になり、
観音様の手に繋がっているのでした。


観音様と、握手ができるというのです。

ウィルス対策で、五色の布の前には
消毒液が置かれていました。


苦しみを抱えていても、握手することで、
観音様に抱かれる心地を味わう、との儀式なのだそうです。

目に見えない苦しみというものを
こうして、日本人は、癒してきたのですね。

12年に一度の価値はこの握手にあったのようです。
 横浜の子年観音開きの始まりは江戸時代の行事。

 (ちなみに、鎖国時代にも海外からの疫病で
多くの人がなくなっていると医学史家、酒井シズ氏、4/3読売新聞)

4)祈りの場と、疫病と、子どもたち

次に、この祈りの場所と、子どものことの関係性です。

初めて、寺巡りをした際に、不思議に感じたことが
どこに行っても、神様も同時に祀られていることでした。

お正月に感じた違和感は、神社の学習で腑に落ちました。

日本の歴史には、仏教が入ってきてから
「神仏習合」の時代があったことがわかりました。
明治期以降、神仏分離が行われ、今に至っているのです。

その名残が、庶民のお参りする先の
 お寺には残っているのだと、しみじみ感じました。

目に見えない命、五穀豊穣や、商売繁盛を神に感謝し、
 子どもを氏子として報告する先が神社であるとすれば

目に見える命、(生き死にとしての)
 人の死後の世界を想像し、拝み成仏を祈るのがお寺。

なぜ、これほどまでに、他国から伝来した仏教
 (インドから中国を経て日本へ)が根強く日本に残ったのか、、、
不思議に思っていましたが、

日本史を学ぶと、その背景には、
国内での諍いで人の命が奪われることに加え、
奈良時代、平安時代と、災害と疫病
人々が苦しんだ歴史がありました。

子どもたちが病気になって亡くなった歴史の上にある
神社への「お宮参り」や「七五三」の行事。

これらは、日本人が、子どもの健やかな成長を地域で
見守っていくという背景が残る行事ですね。

今回のお寺めぐりで、横浜市の新羽にある西方寺では、
横浜市無形民俗文化財指定の
 子どもの行事
があることも知りました。

江戸時代から伝わり、
真言宗のお寺で毎月行われている「注連引き百万遍」

以下、説明文の抜粋です。

『昔は流行病などで亡くなる子供たちが多かったために子供たちの健康を祈り、各家々持ち回りで、女衆は家の中で念仏を唱え、男衆は前庭で藁でで4~5メートルの大蛇を造り、地域の入り口3カ所の掲げる風習があり、、(略)』

今は、保存会が立ち上がり、大蛇を作り、
 近隣の小学校で掲げているそうです。

自分以外の子どもたちの命も、
地域で一緒に育む気持ちの表れではないかと、
感激します。

そして、これはあくまで、一例で、
各地域に様々あることでしょう。

そして、我が子育てを振り返り、
予防注射には賛否両論あるなか、盛んに行われる日本は、

疫病や流行病に打ち勝ちたい、
子どもの命を守りたいという、ご先祖からの想いも大きいと
ここで理解しました。
(赤ちゃんをワクチンだらけにする疑問も、母としては当時持ちました)

5)有事に必要な、誰のせいにもせず、耐え忍ぶ力と協力パワー

東日本大震災の時に、
避難所で、日本人がパニックにならないことを
世界が驚き、そして絶賛しました。

熊本地震の時も、支援にきた方々から
人々が明るいと言われました。
 (阿蘇の噴火なども経験してますからね)

理不尽でもあり、不条理でもあるというべきか、、、
自然の脅威である、様々な天変地異を、
誰のせいにもせず、耐え忍び、

励ましあい、対処方法を考え実行してきた、
そのような民族に災害が育てたのかもしれません。

日本には、神にも暴れる神あり(自然災害を起こす)
防ぐ神あり(祈ることで、願う)も居ます。

神社の役割は、そういった出来事への気持ちを
受け止める場所でもあったのですね。
祈ることで、心を鎮めてきたのでしょう。

可能であれば、心落ち着ける場所(神社仏閣は閉鎖の対象外)におもむき、
互いに罵り合うことなく、過ごしたいものです。

 6)子どもの命を守りたい、願いの強さは世界一!のはずでは?

以上のことから、地震が世界で一番多い、
災害体験先進国とさえ言える日本が
助け合いの経験の中で、
子どもの命を大切に扱い、守ってきたのだと、
推察出来ます。

こども環境学会で知ったことですが、
鎖国後、海外から日本を尋ねてきた海外の人々から
日本人は子どもを非常に大事にする国だと、
絶賛されています。

『子は宝』の考え方。

それが今、休校などで、
 一番、しわ寄せが行っている先でもあります。

しかも突然の国の指示で、
先生方も対応が追いついていませんね。

休校は自体は、避けられなかったと思います。

しかしそこには、子どもの生育環境を
緊急事態にどうしていくか。。。
の施策は見えてきません。

今回の疫病は、長期戦が、予測されるだけに、
経済の事ばかりが議論になっていますが、

命なければ、経済も成り立たないのですから、
子どもの環境に関しては
 実は、一番手厚くしなくてはならないのではないか
と、思います。

ここからは、医療の専門外の私の考えですが
ips細胞の山中教授が個人でコロナ感染関連のHPを
 立ち上げられたとのことで、拝読しました。

その中で、気になったのは、
子どもの感染がデータ的には低いので
学校再開などの検討もあるかもしれないと
書かれていたことです。

感染が少ないのは、単に海外の方との接触機会が、
大人に比べて非常に少ないことと
行動範囲が狭いからに過ぎないと、私は思っています。

データだけではなく、
歴史からも見ていく必要があると思うのです。
時代の中で、犠牲になってきた多くの子どもたちの命。

大人と同じ行動をすれば、
先に感染するのは免疫の少ない
子どもたちではないかと、本能的に思います。

経験的に、あっという間に、
小さい子は容態が悪化します。

もし、再開するなら、教室の人数は、20人以下にするなど、
接触しないよう、相当慎重な対策を練らなくてはならないでしょう。

7)時代が育んだ環境、空間、建築の場の力

清潔好きと言われる日本人も、疫病、ウィルスを
避ける結果の、土足ではない文化が育まれたと
建築的には思うのです。

福島原発のメルトダウンの時、
セシウムは、落ち葉にたまりやすいと言われて
子どもを公園の排水溝など(落ち葉が集まるところ)
 の近くに近づけないように
以前、横浜ではお達しがありました。

毎朝、綺麗に神社仏閣で掃除がなされるのも
美しく保つだけではなく、
本能的に、目に見えない病原菌を排除するため
であったのではないかとさえ、思うのです。

環境づくりも、空間づくりも、建築的な祈りの場も、
全ては歴史の中から、学び淘汰されてきたものだと
今は、しみじみと理解できます。

繰り返されるウィルスと人類の格闘を思うと
今後、私たち建築やが、提供すべき、
場や空間はどのようなものなのか
環境は今後どうあるべきなのか、思案すべき時です。

時代のシフトが求められていると
つくづく思います。

様々な業種、立場、国できっとそうなのでしょうね。

人類の進化が試されているといえば大げさですが
一人一人が、できることを考えて、行動するときなのでしょう。

引きこもった中での生活で、
まるで時間が止まったように、感じるかもしれません。

そんな状況でも、動ける時が来たら、さっと行動に移せるよう
思考停止にだけはならないよう、努めたいものです。

そういう意味で、頑張って参りましょう。
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