Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Electric Locomotive#68

2016-12-12 | 鉄道写真


 それでは、連載第68回目は、ED76の5回目、ED76 70をお届けします。


 先ずは、皆が根拠無き楽観論を信じていた頃、寝台特急「はやぶさ」上りを門司まで牽引した、ED76 70(写真)。寝台特急「さくら」廃止で九州内単独列車となり、緑の「はやぶさ」ヘッドマークを装備します。


 手順はここでEF81に交代、「富士」の前に推進連結、関門トンネルを目指します。



 翌朝、寝台特急「富士」牽引機となった、同機(写真)。富士山形のヘッドマークです。



 他日、熊本から寝台特急「なは」を牽いた、同機(写真)。駅側にある停止目標で停止、寝台特急「あかつき」の到着を待ちます。


 「寝台特急」というものが、まだこの頃は何往復かありました。夢を見ているようです。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#67

2016-12-11 | 鉄道写真


 それでは、連載第67回目は、ED76の4回目、ED76 69です。


 現在は早岐に移転した車両センターが、まだ長崎駅西方にあった頃、様子は駅ホームから見ることが出来ました。多分寝台特急「さくら」終焉の時の、長崎で撮った、ED76 69(写真)。ヘッドマークは寝台特急「あかつき」で、単独列車時代のもの、南宮崎行き「彗星」と併結していた時代です。


 「彗星」廃止で、「あかつき」の併結相手は「なは」となりましたが、こちらも既に熊本行きに短縮されており、九州内も「なは・あかつき」ヘッドマークとなりましたが、その後はご存じのとおりです。残念です。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#66

2016-12-10 | 鉄道写真


 それでは、連載第66回目は、ED76の3回目、今回は66号機をお届けします。回数と機番が一致するのは、奇縁です。


 先ずは、14系化されたオロネ25、改造後オロネ15 3000番代と名乗る車両が編成に入る、寝台特急「富士」の、大分で出発を待つ姿(写真)。久大本線及び豊肥本線ホームが地上にあった、懐かしい時代の写真です。伝統の富士山形のヘッドマークも、今では博物館モノです。機体は、一時のピンクでは無く、赤に戻され、写欲が再び沸き上がりました。


 24系と14系の混結編成も、「さくら」廃止で24系が廃車、必要な車両は14系に編入、食堂車も失い、「寝て、起きるだけ」の列車となっていました。



 同日か他日か、同機牽引の「富士」、門司入線の姿です(写真)。ここから、「はやぶさ」併結、関門越えの儀式が行われます。



 他日、長崎から「あかつき」を牽き、鳥栖に入線する同機(写真)。この後、入換灯を点け、「なは」の前に連結します。



 多分同日でしょう、門司で運用から解放され、引上線への入線準備をする、同機(写真)。


 これから暫くは、多くの鉄道ファンが萌えた、九州特急ネタが続きます。それはそうでしょう、そのために残っていたのですから。過去記事との重複は、お許しを。


 そういえば、「寝台特急」切手の通販、第1回は、間もなく締め切りですね。今後の連作の出費も考えず、第2回分まで振り込みました。値段はなかなかですが、今更撮れない写真ですから、悩ましい。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#65

2016-12-09 | 鉄道写真


 それでは、連載第65回目は、ED76の2回目、一般形ED76、58号機をお届けします。


 延岡駅の貨物ホームで停泊する、ED76 58(写真)。JR九州では無くJR貨物所有機、側面の機番ナンバープレート前後の白塗装帯が、JR貨物更新車の証です。


 現在も、北九州ターミナル発、日豊線貨物列車は、延岡行き及び南延岡行きが各1往復設定され、延岡に大工場を持つ旭化成関連のタンクコンテナも、搭載されるようです。


 よくよく考えると、日豊本線貨物は、国鉄形交流電機の最後の牙城である感じもします。九州も、かなりEF81が入線しているようですし。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#64

2016-12-08 | 鉄道写真


 それでは、連載第64回目は、もう一つの主力量産型交流電機、ED76の連載を開始したいと思います。


 ED76形は、簡単に言えばED75形に蒸気暖房用のボイラ(SG)を積んだ機関車と言えます。SG搭載のため車体長は長くなり、無動力の中間台車が装備され、この調整で軸重が変化でき、軸重制限のある支線区にも入線可能でした。


 写真は、「九州鉄道博物館」エントランス横に設けられた展示スペースに、前頭部のみ保存された、ED76 1です(写真)。



 他日、向きを変えて(写真)。ED76の初号機ですが、これだけでも残って良かったか、これだけで残念なのか。


 国鉄時代は、九州には交流機が百花繚乱でしたが、デジ一のある時代には、ED76以外の交流機は絶滅していました。その位、九州では汎用型として使用されました。


 またそれは、ブルートレインの正統、九州特急の最末期に重なり、多くの記録が残っています。ただ、特定の機関車が集中している感じもありますが。以降、ご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#63

2016-12-07 | 鉄道写真


 それでは、今回は、ED75の最終回として、ED75 1028をお届けします。


 車体に大きく形式が書かれた電気機関車は、「スーパーエクスプレスレインボー」用の、EF65 1019号機及び1118号機、及びEF81 95号機がありますが、ED75 1028号機は同様に”ED75”とペイントされています(写真)。しかし、JR貨物所属機で、当然「レインボー」専用機ではありません。後は弘南電鉄、撮影は弘前のようです。


 交流電機の完成形であり、かつては東北の覇者であったED75も、EH500等の新型機の製造に伴い数を減らし、現在ではJR東日本に700番代が少数残るのみとなり、残念です。それも、時代の移り変わりなのでしょう。


 すると、次は、あの形式ですね。ご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#62

2016-12-06 | 鉄道写真


 それでは、連載第62回目は、引き続きED75、今回は1015号機を取り上げたいと思います。


 先ずは、JR貨物大宮車両所のイベント時の写真から(写真)。JR東日本と同日、同構内ですので、忘れてはいけません。


 かつて、リフティングもしていた記憶がありますが、これがその時の写真か、記憶がありません。



 それから数年後、先日も書いた、震災前の小牛田で行われたイベントでは、こちらは主役として登場(写真)。「あけぼの」のヘッドマークを装備し、展示されます。平和な時代でした。


 その後も活躍したED75ですが、猫跨ぎの感もあり、きちんと記録が残っておらず、次回で最終回となります。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#61

2016-12-05 | 鉄道写真


 それでは、連載第61回目は、引き続きED75P形をお届けします。


 雪の積もる、冬の黒磯駅に停泊する、ED75 1011(写真)。丁度JR更新色の時代、下半分が白色に塗られます。


 コンテナ貨車や20系客車など高速対応列車を牽くための装備を付加したP形1000番代でしたが、客車は主流が14系、24系へと変わり、コンテナ貨車もコキ50000と変わり、牽く相手を選ばなくなったため、結果装備は不要となりました。でも、0番代との記録の差は、無意識のものです。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Electric Locomotive#60

2016-12-01 | 鉄道写真


 それでは、連載第60回目は、ED75の6回目、ED75 1010をお届けしたいと思います。


 震災前、小牛田でイベントがあると聞き、仙台に前泊し、行った小牛田。メインイベントにも色々な車両がありましたが(その話はそのうちに)、その奥に、同機が停まっていました(写真)。こちらは展示用では無く、運用を待つ待機の様子でした。ただ、ナンバーが白ナンバー、則ちステンレス切り抜き文字にペンキを塗ったもので、それは残念でした。


 この頃に、基本番台、則ちM形が撮れたら、それはラッキーなことでした。EH500が続々生産され、東北の主役が代わりつつある時期、気付くのが遅れ、残念でした。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする