Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Clover Island#13

2014-10-18 | 鉄道写真


 それでは、四国鉄道第13夜は、別子銅山関連の写真を載せたいと思います。


 「別子銅山上部軌道」なる廃線跡があると聞き、居ても立ってもいられず、行ったのが別子銅山の車で行ける最奥部、「東平(とうなる)」。細い山道で、通行困難な場所です。


 駐車場はあったので、車を停め、近くの坑道へ。坑道には何両かの車両が残されています。写真は、2t蓄電車(写真)。バッテリーロコです。


 別子銅山は炭鉱では無いので、引火の危険性は低いと思われますが、蓄電池式の機関車でした。



 次は、「かご電車」(写真)。輸送用の電車です。


 東平でも十分山奥ですが、上部軌道へはここから山を登ること約1時間程とのことで、真冬の2月、四国山地でも積雪する時期であったので、根性が無くここで断念しました。


 別子銅山は住友財閥の繁栄の礎、現在は住友林業が登山道の管理、整備をしているらしく、案内標識には距離まで入りバッチリです。住友グループの新入社員は研修で、全員この山道を歩くのだそうです。



 麓の「マイントピア別子」には、SL形の蓄電池機関車が、SLのような音を出し体験坑道を走ります(写真)。ここにも、鉱山用車両が多数保存されます。



 麓の「別子銅山記念館」横の、銅山の安全祈願をした神社には、車両が保存されます。


 最初は、別子銅山1号SLです(写真)。ドイツのクラウス製、上部軌道で使用され、上部軌道廃止後下部軌道に移動し使用された機関車です。



 もう1両は、ED104です(写真)。下部軌道で使用された電気機関車です。



 愛媛県総合科学博物館には、伊予鉄道1号のレプリカがあります(写真)。



 屋外には、別子銅山の銅を精錬した沖合の島で使用された列車、「カラミ電車」があります(写真)。円形の鍋状の荷台を傾ける構造になっています。



 最後に、阿佐海岸鉄道宍喰へ。ASA-201事故廃車の代替で導入された、ASA-301です(写真)。元は、台風災害で廃止になった高千穂鉄道のTR-201です。


 全線高架の阿佐海岸鉄道で踏切事故とは理解できませんでしたが、多分多度津への移動の最中に起きたと考えるべきなのでしょう。しかし、詳細は分かりません。


 私がモンタニアで、装備もあれば嬉々として上部軌道を目指したでしょうが、装備も、根性も無く、行けませんでした。いつか、機会があれば、そのときに。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
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