涼をお届け、大暑乗り切り。その1

2024-07-22 11:12:58 | 花や風景など
20240721 16時45分頃「白藤の滝 」で涼をお届け


20240721 12時30分頃 野洲川ダムの越流


青土ダムの越流も久々に、
 

そして亀さんの運命はいかに…
  2024/7/21 11:56

  同日11:58

土山町/鮎河は千本の桜だけではないよ…
夏の水遊びスポットでいかがでしょ、鈴鹿の山々を正面に見て~~
 

 

 

涼を求めて、続きます。(時系列不順)
ではまた

追記、桜の頃(2024/4/3)の「鮎河千本桜」、同じ場所辺り
  

 
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美旗で「新田水路」探検。その3

2024-07-20 00:51:05 | つれづれ思うまま
「美旗古墳群ハイキングマップ」の上部を見て、
今から「新田水路」と並行する「旧初瀬街道」を走ります。
実際に通る道はカラー舗装されているのでわかりやすい。


ここで、簡単に『新田水路』って…いろんな資料を読ませてもらって、
ザっと箇条書きで
*承応3年(1654)藤堂藩の政策として加判奉行であった加納藤左ヱ門直盛は同役の三浦少之介と共に、
 原野の開拓を立案し、藩主の藤堂高次の許可を得て、伊賀地方最大規模の開拓に着手。
*西島八兵衛の指導の元、大池を二つ造り村づくりが始まる。
*明暦4年(1658)頃、大阪の豪商:安井九兵衛が出資する。
*度重なる豪雨で被害甚大となる。延宝元年(1673)加判奉行直盛病死。
*直盛の嗣子直堅(ナオカタ)が加判奉行となり父の跡を継ぎ、池の修復ではなく、
*延宝3年(1675)、第二次計画として新しく「水路」の工事を始めた。
*青山の尼ヶ岳に発する前深瀬川等の水を引くため、約14kmの「水路」の築造。

 
※写真㊟美旗市民センター「歴史資料館」のジオラマより

*約2年を費やし、延宝5年(1678)頃完成したとのこと。
ざっとこんな歴史を持つ一大工事の末の「新田水路」です。

その水路のほんの一部でもいい、見てみたいと…
行程を現実の7/14に戻しまして、旧初瀬街道の途中で
『新田用水の日時計』なるものがありまして、新田水路の歴史の生き証人のようなものかと。
  
「水路」から引かれる水は農家にとっては大切なもので、
新田用水路から各農家の水田に水を入れる時間を決めるのに、
この「日時計」が使われていたそうです。

『歴史ある水路を未来へ』というお話の再掲です。


旧初瀬街道には
  
左)「提側庵ギャラリー」、中)登録文化財で茅葺の「住川家住宅、右)住川さんちのツバメの出入り口。
なんて優しい心遣いなんだろうってほこほこしてました
実際にツバメちゃんが入る様子を見たので余計です(笑)。撮れてませんが💦

さぁ、いよいよ交差点付近、
   

上の水路のある反対側の提に行くと、こちらも
「水路」があり当然水は流れています、そして「桜並木」、春の楽しみですね…
 
そして「旧初瀬街道の常夜燈」。
   

もう少し進むと
情報You記事にもあった猫型?「円形分水筒(工)」。
上から見ないとわかりませ~ん、実際目の前ではこんな感じです。
   
中を覗くとなるほどねこんな感じで水が流れている、これはぜひ実際に見ていただきたい。
「青蓮寺ダム」からの水と「前深瀬川」の水の供給を調節しているそうです。
1977年に設置されたそう。
 

もう一度「水路」や「桜並木」を
 

青山方面へ
 

もう一つ、名張で唯一湧水がこんこんと溢れるところ…
「竜王水」。湧水は1時間に3.4tってすごい量です。
もちろんとても気持ちよく、長くは浸けてられないほど冷たかったです。
  

ここから近くにある『滝川氏城跡』。


最後に、前方後円墳型の「美旗市民センター」に寄らせていただき、
資料館を見学、日曜日にもかかわらず見せていただけてとっても勉強になりました。
 

実は、加判奉行加納直盛さんのお墓参りもしてきました、次回そのことをもう一回だけ書こうかな…と。
ではまた
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美旗のひまわりと、「美波多神社」そして「新田水路」探検へ。その2

2024-07-18 16:19:28 | つれづれ思うまま
青山出合辺りの「前深瀬川」からの水がここを流れていると教えられ、
えぇっ、そんなんけっこう遠いじゃないですか、
江戸時代にそんな一大工事をしてたんですか?
重機などのない時代、果てのない工事であったことはわかりますが、
正直想像不可能に近い。ともかく一部でも見てみたい…
 
水路から西側、東側。

ここ「みはたメイハンランド」のある場所、実は『毘沙門塚古墳』(リンクは「美旗古墳群」)のあるところ。
多分上空から見たらそれなりによくわかるのでしょうが、
目の前の古墳を見て、まわりには「堀」があるんだなと…ということはわかりました。
解説を読めば
≪5世紀中頃築造、前方後円墳(造りだしあり)、竪穴式石室≫と。
 

同じくこの場所には
美波多神社』があります。中には「加納神社」もあるとか…
さて加納さんてだれ?
   
※≪加納直盛(ナオタダ)公
​慶長十五年(1610) 伊賀上野生まれ
藤堂藩に仕え、伊賀加判奉行職
当時、水の便悪く荒野原であった新田地区の開発に尽力し、用水家としても名を残す。
延寶元年(1673) 六十三歳で病死
現・伊賀市上野寺町の大超寺に墓所がある。≫
(お参りに行かねば…
また上野城下町絵図にもちゃんとお屋敷がございました。そして、
加納藤左ヱ門直盛)さま、なんと加判奉行として「伊賀者」の創設者だったとは…

   
中)これは『かけひ(樋)』というもの。詳しくは美波多神社/御案内ページで。
※新田水路と川が交差するところに使われたものだそう。

お参りも終わって、もう一度
「美旗古墳群ハイキングマップ」を眺め、
 
青山方面を見るも、曇天の中で「尼ヶ岳・大洞山」を探すのは難しいなぁ💦
 
と思っていたら、15時16分まさかのアーバンライナー通過、見えるかな?
撮り鉄ウーマンではないのでまったく上手く撮れませんが、
ここに一日いたらきっとたまにはいい写真が撮れるのではないかと思ったり(笑)。
電車が目的で来たわけではない、
たまたまの副産物が電車 だったというオマケみたいなものです。

一旦、ここで中休みを、というのも、
加納藤左ヱ門直盛・直堅父子を調べていたら、
いろいろ知らないことがたくさん出てきたので、ちょっと整理する必要があるなと…
中途半端でごめんなさいですが、
各種資料で誤魔化すワタシ・・・
※「美濃波多新田開発のあゆみ」(名張市史より)

※「広報なばり/2013/8月号」転記↓
 

※「美旗の新田開発」(みのりみのるプロジェクトより)

※「名張の沃野(よくや)をうるおす新田水路」(あおやま風土記より)

※「美旗地区の初瀬街道と新田水路」(なばり四季のブログより/教えてガイドさん)

ではつづく、暑さで頭が混乱してきたので中休みです💦
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美旗(名張市ミハタ)でひまわり、そのまま「新田水路」探検へ。その1

2024-07-16 15:16:34 | 花や風景など
情報You記事を目にしたので、これは今でしょ!
午後のお出かけでしたが、意外や意外の充実ミニ探検になりました。

まずは美旗駅近く「みはたメイハンランド」を目指して、その駐車場に車を止め、
遠景に黄色い層のようになっているところが見えるので、多分あれが「ひまわり」。


と、そこへ行く前にここの「広大な畑」になみなみと水が流れる「水路」がありました。
 
先ず、ここで「水路探検」が始まりますが、
歩きながらこの「水路の歴史」を聞いており、
江戸時代に遠く青山の「前深瀬川」から取水し、
ここまで水を流すための一大工事が行われていたと。
いやいやちょっと待って、そんな工事を誰がするねん?と
話は続きそうなので、まずはその水路の一部が「近鉄本線の上を通っている」とか。
は?それもまた奇怪なはなし、俄かには信じられませんが、その証拠があると…

おっと、アーバンライナーが通る…
 
左)大阪方面から、右)伊賀神戸方面へ
この写真を撮っている橋というか歩道というか、その下が見えないけど「水路」って
信じられないですよね。

  
この「水路」を少し離れた場所から撮ると…わかっていただけるかな?
電車の線路の方がはるかに新しいので昔は獣道のような道があったのか、
はてさてどんな経緯でこうなったのかは知る由もないのですが、
名張の語り部さんに聞いてみる必要はあるかもですね。

では、「ひまわり畑」へ
訪問日は2024/7/14の午後で、曇天。
青空でのリベンジが生るかどうかはわからない。
ひまわりは元気に咲いてくれているのでビタミンカラーに元気をもらいます。
 

 

  

  
14時50分ごろ、アーバンライナーか


「ひのとり」、14時51分通過。
一瞬のことなので「ひのとり&ひまわり」は撮れず💦

 
ここは「田園歴史文化/ミュージアムの里」(美旗まちづくり協議会)。

 
「段々のひまわり畑」だなぁと見ていたら、今度は快速電車か、14時56分通過。

さすが近鉄本線、忙しいのなんのって、
ひまわりと電車に大わらわでしたわ

追記記事
時系列ちょっと遡って…

近鉄本線上の水路からどれどれ?と覗いたら、すぐにやってきた電車があります。
これは、今日(7/16)になって調べた結果報告みたいなものですが、実は
近鉄電車ミャクミャクラッピング車』が一瞬のうちに通過していきました💦
そんな電車があるとは知らなかったし💦
スマホを構える間もなかった出来事。
多分、来年の万博に行くことはないけど、
珍しいもの見たな!という記憶は残るので
・水玉・近鉄」のキーワードで検索すると出てきたのが「ミャクミャクさん」だった(笑)。

伊賀鉄道界隈に住んでいて、最近近鉄電車に乗る機会のないワタシとしては、
必死に探したくなる強烈な色彩の電車でした。
緑の田園風景のなか、
もう一度見てみたい気はしています(どこまでもミーハー仕様なワタシなので)。

HPでは
「大阪・関西万博オリジナルデザインのラッピングトレイン」について
▽運行期間
2023年 11月 30日(木)から2025年10月13日(月)まで(予定)

▽運行区間
主に近鉄奈良駅 ~ 神戸三宮駅間
主に大阪上本町駅 ~ 伊勢中川駅間

▽対象列車
9820系 6両1編成
5820系 6両1編成


こんな電車を水路の上から見ました✋。
(2024年7月3日 4:00 Web日経記事から)

では続き「新田水路探検」はまた。
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梅雨のひととき、カエル三兄弟に出会い、木々の変化を愉しむ。

2024-07-14 00:41:30 | 上野森林公園
カエル三兄弟に出会い、
 

背中で語り、目を合わせ
 

こちら多分ニイニイゼミ、多分抜け殻。
でも、うるむ瞳に見えたのは気のせい?
  

色彩を楽しむより、花のカタチに驚く…
アカメガシワ雌花らしい。いずれ黒い実ができてくると思う。
 

新旧の「実」同時に成る、「ヒメヤシャブシ
 

「エゴノキの実」を食すヤマガラ(過去FB)
たまたま、落ちてた「エゴノキの実」の変遷


エゴノキの花はこんなん

今の時期、ネムノキは外せないなぁ、
でもボチボチ落花も多し。
川の傍の車道で大木があって、ピンクの花が咲いてて、
その下が汚れてるこ部分、多く見かけるようになってきました💦
ネムノキの花が大量に落ちてますね、花の命は短くて…かなぁ。
  

ビジターコテージ、ちょっと雰囲気変わった?


紫陽花の小道、


コブシに実が、
コブシの花
 

こちら「シデコブシ」系の実、
シデコブシの花


街路樹に多く植栽されてる「シマトネリコ」に花、いっぱい。
 

梅雨から初夏の木々の花々、こんな感じに咲いてます。

楽しいよ、見てると(笑)。

ではまた
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再び「神野山(コウノヤマ)」へ、羊に会い、ダム経由で残念石とは?

2024-07-10 18:07:37 | つれづれ思うまま
もう、ほぼ無鉄砲としかいいようがないのですが、
先般、大雨後にドライブした時の続編のような話です💦
あの時は「目の前の橋が流れにのみ込まれているサマ」に驚いたものです。
布引山地や青山高原・高見山地辺りの木津川の源流域から思うと、
流れ流れてずい分遠くまできたもんですが、
幾つもの川が合流して大河原・笠置辺りに来るので流域の方々にとっては、
大雨のたびに生活道路が封鎖され、さぞ大変な迂回なんだろうと想像していました。

そんな光景を興味本位ではなく、上流域の人間として怖いなぁと眺めていたのです。
まだ梅雨は開けていませんが、雨もさることながら
この激暑・酷暑をどう乗り切ったらいいのかと悩む今日この頃。
先日(6/21)の訪問先を少々並べてみます…もう、過去話です、すでに。

名阪国道山添インター下車、
コロナ禍、野外で人のいないところならいいだろうとあちこち出かけていた頃、
懐かしく思い出す光景ばかりです。

『塩瀬のお地蔵さん』(正式には「塩瀬地蔵坐像」山添村指定文化財)
 
雨後の巨樹に芸術を感じ、そのまま西へ

神野山鍋倉渓」、ここも自然の成せる風景に不思議を感じる。
奈良県景観資産でもあります。
  

   

岩の風景を壊さぬように「ボードウォーク」とでもいうのか、
「木道」があって、それを見ていると微妙なカーブの作り方などに「技」を見た思い。
  

駐車場では、てんまるたちがお出迎え。
 

もう少し先に行くと「雲海絶景スポット」、伊賀盆地を右手に見ゆる。
田んぼの真ん中にいる人、実は案山子です。
見事に騙されました、あまりにリアルで(笑)。

 
うふっ、いよいよ羊さんにご対面。
奥の駐車場から「大和高原一帯」を望む。
 
「めぇめぇ牧場(まきば)」で羊さんの大歓迎を受ける、
いやただただ雑草をムシャムシャハムハムしてるだけなんですが、人が近づくと…
網から顔を出してこの通り。
  


牧場内で場所を変えて、ここには「サフォーク種」の羊さん。自由奔放に駆け寄ってくれました。
いずれ羊肉になるコかなぁ💦
命をいただく。有難く。

場所を変えて、山添村桐山の「わんぱく動物園」にちょい寄り。※公式HPです。
  

近くには「首切り地蔵」とか…
目の前に「ネムノキの花」、まだまだ蕾多し!
  
ネムノキなんて大木が多く、まさかこんな近くで撮れるとは思ってもいなかったので「激写」。

走ること数分、「布引ダム管理事務所」近くで休憩。
腹ごしらえに必死で肝心のダム写真はなし、あれぇ?
振り返れどないものはなくて、ダムカードももちろんもらわなくて、
何やってんだか💦 ショック💦
 

ここでは奈良市内辺りからの小学中学年くらいの子たちの社会見学だったらしく
大きな観光バスで帰るところ、そのバスの後ろを走って途中まで(柳生辺り)同行。
もう少し時間が許せたので、せっかくならということで
「高虎さんの残念石」とやらを見に行くことに。

しかし、
以下の記事を知らなかったので、現場に行って「あれっない?」というトホホ。
「残念石移設のニュース」二題。(帰宅後調べたもの)
「再建に使われず放置400年…残念石移設」(京都新聞2021/1/25)

「大阪城に使うはずだった…」(朝日新聞2023/5/30)

  
本当ならこの場所に竹藪があって、ここに「残念石」が置かれていた・・・と。
変わり果てた景色をしばし眺めていた知人、
河原近くに下りて、対岸を見渡すと…
あったんですよ(笑)、やれ。
しかしデカいなぁ!

今の世ならクレーンなど使って運べますが、その昔どうやって??と考えると…
壮大な船運計画があったんだろうなぁと(想像するしかありませんが💦)

『残念石』とは・・・
≪大阪城の建築にあたって、使わなかった巨石を河原に置いていったものです。
放置したのは安土桃山〜江戸時代の大名の藤堂高虎。
巨石には切り出したクサビの跡がしっかり残っており、歴史的な価値はあります。
運ばなかったので、建設する側にすれば「運べず残念」ですが、
江戸時代の加茂の人にすれば「巨石を川原に置き去りにされて残念」。
今で言うここは京都ですが、伊勢藤堂藩の所領だったのでこんな物が残っていました。≫というお話です。

そして、実はこの巨石。こんな使われ方をするらしいと、お怒りの方々もおられます。
残念石の残念な使われ方」。(東京新聞/2024/1/19付)

最後は、高虎さん絡みでまとまっちゃいました。

 こんなコースで
「恭仁京跡」に印をしたのは、いずれ行きたいなという希望。

ではまた
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堀の水、少し増えました。鯉もいますよ…

2024-07-07 00:36:25 | つれづれ思うまま
一昨日、調べものに慌てて伊賀上野城へ行きましたが、
その道中「堀の道」を通りました。

そこで、出会ったコ
 
アゲハ蝶、カラタチの上を飛ぶ。
(東側と西側のカラタチは辛うじて残っています)

「堀の水」は湧き水なので、なくなることはないのですが、
それでも雨が少ないとやっぱり「堀の水」まで少なくなります。

ちょっと比較のために今年の冬2月の堀の水位…
   
3枚目は上野高校の裏に藤堂藩時代の「武器庫」が見えますが…

そして~~今(2024/07/04)、なんだか久しぶりに並々としてる。
  

水際に下りてみたら(良い子はマネをしてはいけない)…なんと
  
「白い鯉」さん、見えるかな?

もう少し東側に行くと堀の水を調整するための排水口があるのですが、
そこにも何やら赤く見えるものが…
  
この堀には「紅白の鯉」という主がいたのですね、びっくり。

さて、その先今度は「空堀」ですが、そこに不規則な石段がある。
そこでふと「空堀」側に目をやると、なんと爽やかな色をした紫陽花が見えました。
  

北の不規則石段を上がるとココに出る、
 
少し前まで汚れていた解説版ですが、やっとちゃんと読めるように整えられ、
なるほどこういうことだったのね…と納得。

さぁ登城しましょうか、
この「白鳳城(正式名は伊賀文化産業城)」、昭和10年に建てられたお城で、
藤堂高虎が造った石垣の上に木造で建てられていますが、
 
もし高虎の時代に五層の天守閣が建っていたとして…(完成目前に暴風で倒壊したので)
昔はこの石段など設計図?にはなかったのですが、
お城が建っていたとして、さてどうやって登城するのか?
じっくり考えていただくとして…

これは入口の「扁額」
 
では三層目に上って、周りを見渡すことにします。

西北側を見ていたら、遠くでガッタンゴットンと
 
見えるでしょうか?「伊賀鉄」」です、
お城から電車を撮れるとは思っていなかったので、一人悦に入っておりました(笑)。

 北側

 西南方面

 南側の城下町

 東方面

どこをどう見ても山・山・山、
どこをどう越えようとしても険しい山越えであることに違いはないなぁと、
越えて 溢れて 外に出ん」って歌っていたなぁと、
改めて思うわけです。
最近、伊賀國は元気があるのかないのかわからなくなってきました、
お~い、戻って来いよ~~と心で叫ぶ。

久しぶりに四方(よも)を見渡してみました。
ではまた
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明日7/6(土)より、レジャープールOPEN📣。前では「いきいき未来2024」です。

2024-07-05 17:44:49 | つれづれ思うまま


今日は、伊賀で「35・5度」今年初の猛暑日となり
あつ~い夏がやってきました🌻🌻🌻

夏季レジャーとして毎年好評の
レジャープールが
明日、7/6㈯から営業開始🏊

オープン初日は
イベントを実施します🌺🌺🌺
◆🌺イベント詳細🌺◆
7月6日(土) フラダンスステージ(10:50~、11:50~)
伊賀市内のフラダンス教室
【Halau Hula Pua Kenikeni様】 によるフラステージを実施。
プールサイドをビーチ気分に盛り上げてくれます⛱🌊🌻


ご来場お待ちしております!

ヒルホテル サンピア伊賀/プール情報より転記。


そのサンピアの前の「伊賀市文化会館」では
伊賀市男女共同参画サンター主催のこんな ↓イ ベントがあります。
いきいき未来2024」。
こちらもどうぞ💦(水遊びはできませんがエアコンが効いて涼しいかも、です。)
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渋沢栄一と川崎克

2024-07-04 11:28:52 | つれづれ思うまま
城びと」情報ですが…(一応会員登録させてもらってるので)

【日本100名城・伊賀上野城編】「築城の名手」に託された、時代の転換を象徴する大改修

「伊賀文化産業城」として復興>項目より
前段
『現在の天守は、昭和10年(1935)に復興された建物です。
伊賀上野の代議士、川崎克(かつ)が中心となり、
支援者の協力を得ながら私財を投じて建てました。
当時はコンクリート造りを推す意見もありましたが、
木造3重の大天守と2重の小天守として復興されました。
文化と産業の振興の拠点として「伊賀文化産業城」と名付けられます。』

『大正4年(1915)、三重県から衆議院議員に初当選しました。
このとき、川崎克に資金援助をしたのが、実業家・渋沢栄一でした。
前年に川崎克が発行した「自治新聞」の題字を、栄一が担当しています。』

やはり、その人となりが応援したくなる人を呼び込むんではないのかと、
我らが克さん(ごめん、こんな書き方をして)、偉大なる人だと今更ながら感謝あるのみ。

新しいお札と伊賀上野には縁があった、ことが嬉しい、ただそれだけですが、
そもそもなんでハタと気がついたか…
「伊賀上野城の展示に『渋沢栄一』コーナーがあったから」。
もう一回、しっかり見てこようと思います。

ではまた

お城へ行って来ました…
 

 

 

書物での紹介も
  


追記、コメントに頂いた「渋沢栄一記念財団/三重県ゆかりの地」(ご参考に)
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御杖村から曽爾村へ、広い畑で紫陽花にまみれる…

2024-07-03 01:01:07 | 花や風景など
岡田の谷の半夏生園から、さて同じ道を戻るのはもったいなく、
同じ山間の風景なら曽爾村に抜けようということで、通ったことのない道を走ります。
ナビのない車なのでgoogleさんの地図が頼り。
御杖村役場辺りから10分ほど走って三叉路に出て、この風景!
 
まさか、ここでこの有名な山に出会うとは…
山のカタチを見て(右)「鎧」(真ん中)「兜」であることはわかりましたが、
はてさて手前(左)のまぁるいお山は??(どなたかご存じの方に教えてもらうしかないなぁ💦)
ではこの道を右に曲がって青蓮寺川沿いに走ろうかと思ったその目線の先に…
川の向こう側になるのですが、青い紫陽花がぱぁーッと見えたのです。
ただならぬ雰囲気の紫陽花で、川と山と紫陽花、素敵な景色が見れそうだったので
川を渡って立ち寄ることに。
畑界隈で草刈りのおじさんに「紫陽花があまりにも見事なので見せてもらってもいいですか?」
「どうぞどうぞ、柵から入って進んでいくと良く見えるよ」とのこと。
〈誰かに見てもらう〉こと前提の「紫陽花畑」かもしれませんが、ここでお会いした方みな優しい。

今下りてきた山を背景に
  

畑の中を東に進むと、なんと!
  
「鎧岳と紫陽花」、こんな風に見えるんです、
ここに住んでいる方は、毎日「兜と鎧」にご挨拶してるんだろうか…
素晴らしい光景だなぁと、心の底から感動しました

再び広大な畑に戻って
  

草刈り中のおじさんたちにお話を聞くと、
「田んぼをそのまま放っておいて草刈りばかりでしんどいので、
せっかくなら紫陽花を植えよう!」ということになったそうです。
ほんにたまたま通っただけなのに、こんな素敵な風景を見ることが出来て
たまたまもいいもんだと、変に納得しておりました(笑)。

さて通常の青蓮寺川沿い、いわゆる「奥香落谷」とよばれるところを走る。
普通は青蓮寺ダム辺りから来るのを逆している感じなのですが、
以前来たことがあるので見たことのある風景を見ることになる…

過去ログより
伊賀見①/川下神社編
伊賀見②/アサギマダラ編

おっ、「伊賀見」=🦋とすぐ連想できる場所です。

そう「アサギマダラの郷」。
以前ここはホテイアオイ」が植わっていたのですが、今は「コキア」


こちらは「フジバカマ」です。


木造の展望デッキを手作り中の方にお聞きしたら、
「ホテイアオイは水の管理がタイヘンなので、コキアの植栽に変えた」そうです。
「去年、アサギマダラの訪問はいかがでしたか?」と聞くと
「ちょっと少なかったなぁ、気温が高すぎたかもしれないね、蝶をよぶのは難しい」と。
今年こそ、期待してまた来ますねとご挨拶をして別れました。

その先、少し行けば「小太郎岩」の雄大な姿

そして、なんと「キャンプ場」。

小太郎岩キャンプ場」。2021年7月にオープンしたそう、以前来た時はなかったような…

2年ほど来ない間に様変わりしていてビックリですが、
自然の山々はなんにも変わりなく、そこにそびえている「室生火山群の山々」。
いつも「木興遊水地」辺りから遠くに水墨画のように見ているのとはぜんぜん違う、
ゾクゾクッとする険しい岩山の傍を通って、よくぞこんなところに道を通してくれたなぁと、
昔の人々の苦労に思いを馳せるドライブでした。

青蓮寺ダムでは青い橋を左に見て、赤い橋を渡って上野への帰路に着きました。

ではまた
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