散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

空模様と音楽

2005-09-28 08:39:00 | 思考錯誤
音楽。
乾いているようでしっとりとした滑らかな音色。
私はリコーダーの音色が好きだ。今聞こえている音色はマホガニー色。
知人のリコーダー奏者が率いるアンサンブルのCDを朝から聴いている。
ヘンデルのソナタC-Dur op.1 Nr.7。
今朝の灰色の空の憂鬱さを豊かな音色がドミノ倒しゲームのようにじわじわと局面を変えて行くような感じだ。
面白いことにそれまで感じていた軽い頭痛さえも癒されてゆくように思う。
このCD2枚はバロック音楽と音楽にちなむ短い童話が組み合わせになっている。
リコーダー奏者の彼女は、どこからそんな力のある音を引き出せるのだろうというくらいにドイツ人にしては小柄でほっそりしている。
ある音楽大学の教授であり古楽期についての執筆もしているパワフルな女性である。
朗読しているのはやはりある演劇学校で朗読、演劇を教えながら自分でも活躍している女性で、こういう人の語り声を聴いているのは実に気持ちが良いものだ。
読むテンポ、リズム、発音などのテクニックは後に習得できるものでもあろうが、もともと自前の心地よい声、表現力を持っているかどうかは天から与えられた物。
残念ながら私は美声の持ち主ではない。歌う事はもとより話をしていてもかすれて来る位で,どんなに大声を出したつもりでも遠くまで届かない。声帯の使用方法にそもそも間違いがあるのかもしれない。
だから彼女の話す声を聴いているとうらやましい気持ちになる。

さて、音楽の威力ということもないだろうが、空の雲間が本の少しずつ広がっているようで、弱いながらも部屋の中に陽が差し込んできた。

今、空の半分は白と灰色のまだら模様。白色対灰色の戦局の展開は如何に?
残りの半分は綿飴をす~っと引っ張ったようで向こうに青空が見えている。

空。
来週月曜日10月3日(ドイツ東西統合記念日)の10時から12時30分、ここでも部分日食が見えるそうだ。
そこで、この日の天気が良いかどうか、今から私は気をもんでいる。
半分期待はしていない。しないことにしている。しないほうが良い。
なぜなら私の住むあたりでは、このような自然のスペクタクルがある時に晴れる事がどうも実に少ないのである。
皆既日食を楽しみに待っていた時もしかり、流星群が通過する晩、皆既月食の晩、何度がっかりした事かわからない。
皆既日食の日。
その日は朝から厚い雲が太陽を覆っていたが、友人達とわざわざ郊外に出かけた。ちょっとした広場にはたくさんの車が止まっていて、それぞれに待機状態だ。
皆、空を見上げているのだが、どこに太陽が居るのか見えやしない。
中にはピンクフロイドのエコーズをボリューム一杯にかけて気分を出しているらしい輩もいる。(それぞれにBGMを選択したら、どんな曲が出てくるのかな?ピンクフロイドは悪くない選択と私も思うけど。)
後5分、後3分、後1分、後30秒、20秒,10秒カウントダウン。。。フム、もう時間だね?私の時計あっている?まだかな?もう過ぎた?と確認しあいながらも、なんだか少し寒くなった”かも”知れないと思う。
暗くなった”かも”知れないと思う。
風が吹いてきた”かも”知れないと思う。
太陽は一体どこにあると思う?なんて皆でキョロキョロしていると、お情けのように少しだけ雲が動きはじめ、皆既日食の頂点が過ぎて脇から太陽がうっすらと三日月のように現れ始めたのを確認できたのが精一杯だった。コロナを見るどころの話じゃない、目を保護するために用意した眼鏡なんか必要にもならない。
しかしそれでも、なんとなく納得して拍手する者もいる。
なんだか良くわからないうちに宇宙的イヴェントは終わりを告げたようだったが、それでも皆既日食を大勢の見知らぬ人々と”体験した”という連帯感が一瞬走ったようだった。我々持って行ったランチを食べながら複雑な気分で仕方なくその近辺を探索してから帰宅した。

そんな経験が重なったので、あまり期待はしていない。。。
とはいえなんとなくわくわくして、しっかり手元には目を保護するフィルムなど用意して待っている私は、踏まれても挫けない希望を持っているというわけだ。
今回は部分日食だからたいした事ないよ、と人に言われてもやはり楽しみだ。
想像力を刺激するじゃないか。
果たしてこの健気な期待に空は応えてくれるだろうか?その時のバックグラウンドミュージックは何にしよう?

フィルムを通して太陽を写してみた