散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

霧海

2005-09-21 18:08:55 | 思考錯誤

今朝6時半起床。まだ随分暗い。いやもう随分暗くなった。刻々と日が短くなってくるのが感じられる。
一昨日、朝の7時半に近所の畑を歩いてみた。
霧がシトッと地面に降りてきて帯をたなびかせている向こうに熟れた杏色の空がとても美しかった。昨日はカメラを持ってもう一度同じ時刻に出かけたが、ほんの少し遅かったのか太陽の位置の所為なのか空の赤みは間もなく薄れて金色の畑が現れた。
今朝はというと、蜂蜜のような光を地面に注ぐ太陽が昇ってきているが、またもや霧が地上にうねるように這い出していた。
しばらく歩いているうちに霧は濃さをどんどん増して畑道は5~6m先も見えなくなる。
白靄はまるで生き物のようにかすかに息づきながら取り込んでやろうとばかりに形あるものを狙い待っているかのようだった。
濃霧は音さえも吸収してしまうのか、後ろから静かに忍び寄るように車が走ってきたのにすぐには気づかない。太陽は細かい水蒸気に光を拡散されてぼんやりと膨れたり萎んだりしている。
ふと顔に冷たいものを感じて手をやると、髪の毛に細かな水滴が付着し始めて、まるで小雨の中を歩いてきたかの様にぬれているのには驚いた。
太陽がジリジリと高度を変えてゆくと霧の壁は少しずつ透明度を増して、気がつくとあたりは見慣れた風景に戻っている。先ほど金色に染まった畑は今度は銀色に輝いていた。

           9月21日    

           9月21日 
           
           9月20日
全く幻想的な朝の景色だったが、うまく写真に撮れないのがもどかしい。私の腕では、生き物のような霧や蜂蜜のような朝日は写真には映りそうも無い。明日の朝はどんな始まりを見せるのだろうか?


トゲ瓜と蜘蛛の関係

2005-09-21 00:00:00 | 植物、平行植物

                     
先月、友人Mの引越しと誕生日祝いにアルクメーネと言うリンゴの木を贈る約束をしていた。
しかし残念ながら品切れで9月半ばに入荷すると言う事だった。この木はそれほどポピュラーでは無く、これを売っている庭木屋は少ない。私が見つけたアルクメーネを取り揃えているこの店にはなかなか珍しい植物が見つかるので、あれこれ眺めるだけでも楽しい。
さて、やっとこのギリシャ神話の美しき乙女の名を戴いた木が到着していたので一本担ぎ、レジに行くと脇のテーブルにホウズキの実をこんもり盛った美しい籠があった。そこだけなんとはなしに明るく暖かい感じがするのは色の所為なのだろう。
そしてその横にはトゲトゲした小さなラグビーボールのような実がやはり籠の中にいくつも並んでいる。トゲトゲは私が手にとって触るのを拒否しているようだったが、そんなトゲで悲鳴をあげるほど私の手は柔ではないので摘んで見た。親指と人差し指でつまめる位の大きさでトゲはそれほどに鋭くはない。丁度手のひらのツボを刺激する為のボールにも似ている。(写真上)
「この実は何?なんという植物の実なのですか?」ときくと、レジの男性は方を申し訳なさそうに方をすくめて「むむむむ。。。僕は良く知らないなあ、同僚は”トゲ瓜”と言っていたけど。。。。」
成る程その通り“トゲ瓜”ですね。
私が2本の指の間に挟んでいたその”トゲ瓜”を差し出して「それではこれ一つください。」というと、まあそれひとつくらいの事、差しあげましょうというので、私は喜んでいただいた。

さてここから話は変わって
トゲ瓜とも
リンゴとも関係の無い
蜘蛛がここで出てくる。
アラクノフォビア-蜘蛛恐怖症
の方はここから先に進まない様に。
             蜘蛛の巣は美しい
             
        この蜘蛛は縦横無尽の立体的な巣を張っている。しかし獲物がかかったらどんな風にこの立体構造の中を移動するのか見てみたい。
                      Araneus diadematus-ニワオニグモ
日溜まりが実に気持ちよさそうなので、マグカップに入ったコーヒーを片手に外に出ると蜘蛛の巣にミツバチが掛かっており、家主が獲物を梱包中であった。私の影にに驚いて一度獲物を放ってささっと脇に逃げたが、間もなくまた戻ってきて仕事の続きをはじめた。
私はこの蜘蛛がもう長い事そこに罠を張って待っているのを知っていたが、このような大きな獲物を仕留めたのを見た事が無かった。しかしその成長度を見る限り、狩猟は順調に行なわれていたようだ。
日常生活の中で蜘蛛は気持ち悪い、怖いというのイメージをもたれる事が多い。
悪魔、陰謀の象徴でもある。
蜘蛛のエピソードとしてはOvidのMetamorphose(VI.1-145)のArachneの話が有名だ。
素晴らしい織物を織る事で評判だったアラクネの得意な様子を見て苦々しく思ったアテナは、彼女をたしなめようとするがその結果2人の織物競争となってしまう。
アラクネは神々の行動を赤裸々に描いた織物で挑戦し、女神に負けぬその素晴らしい織物は女神の嫉妬と怒りを買い、アテナは挙句の果てにアラクネの織物を引き裂いてしまう。それを見たアラクネは自ら命を絶ってしまうのだが、アテナは彼女を蜘蛛に変え、彼女は紡ぎ続けることになった。
        Paolo Veronese,Arachne部分 
もう一つ、ここからさほど遠くないクサンテンと言う街の聖人ノーベルトのエピソードには蜘蛛が出てくる。
聖Norbert(1082-1134) はクサンテンの貴族で、彼は秘蹟を受ける際、杯のなかに毒蜘蛛が這い込んだの知りながらも飲み干してしまった。しかしもちろんの事、毒蜘蛛を飲んだにもかかわらず何の差し障りも無く彼は後にマグデブルクの大司教となるという逸話が残っている。一体どんな毒蜘蛛だったのか?このあたりに毒蜘蛛がいる話は聞かない。”蜘蛛イコール悪魔”に打ち勝つと言う意味なのかもしれない。
蜘蛛はいろいろな話しに様々な形で現れるが、明るいイメージは少ないものだ。
小説の題名に登場するだけでも、蜘蛛の糸、蜘蛛女のキス、蜘蛛男、それから黒後家蜘蛛の会というのもあった。そういえばスパイダーマンも数に入るね。私が知らないだけでもっとあるのだろう。

なんというか、トゲ瓜で書き始めて突然蜘蛛で終わってしまった。どんな展開で落ちがつくのか首をひねっていた方もいることに違いないが、何故こうなったのか私も困っている。
ただ単に”トゲ瓜”を陽にかざしてその影を眺めていた折、視界の端にキラリと光るものがあった。蜘蛛の糸が陽を受けて光ったのだ。それが私の注意をトゲ瓜から蜘蛛の巣に移行させたのが始まり、始まり。。。