散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

無花果

2005-09-08 00:16:00 | 飲食後記

私が子供の頃住んでいた祖父の家の庭には無花果の木が一本植えられていた。
毎年実をつけていたものだがそれを食べる事を誰も教えてはくれなかった。多分、そんなものを食べる発想が無かったのだろう。
後年、砂糖煮の無花果の缶詰を親戚の者が珍しそうに持って来て食べようということになった。
缶詰無花果を食べた事が無かったので、皆、それぞれに味のイメージを描きながらその一切れを口に含むまでは楽しんだのだが、それが舌の上に乗っかった途端、それぞれがそれぞれに顔をしかめた。
それは昔の事だから、実に金臭く、しかしそれだけが問題ではない不味さだった。
出されたものは全て食べなければいけないといつもうるさく言われていた私は、“それ”を無理やり喉に押し込んで水で流し込んだが、うるさい後味がしつこくて涙が出そうになった。
それから無花果と言うものは大嫌いな食べ物でアレは不味い物なのだという記憶だけがファイルに記入された。
ある夏休み、親類の家を訪ねた時の事だ。
畑の真ん中にどういうわけだか無花果の大きな木が生えていて、大きな無花果の実がたわわに丁度良い具合に熟れて割け、果肉がのぞいているところに蜂やハエがブンブンと賑やかに踊っていて、あの不味くて金臭い缶詰の無花果とは大分様子が違い甘い良い香りがした。
「それ、無花果だよ。花が咲かないのに実がなる木だよ。食べた事あるかい?」と声の主は良い実を1つもいで自分も食べながら私に差し出した。
これは不味い果物なんだけど折角採ってくれたのだし、あんなにおいしそうに食べている。でも今食べないといけないのかなあ、花が咲かなくて実がなるなんて変てこな果物だもの、だからまずいんだと内心困惑しながらも見よう見まねでその柔らかな外皮をバナナの皮をむくようにペロリと半分だけ丁寧に剥き覚悟を決めてかぶりついた。
するとそれは実に甘く甘く口の中でとろけるようで、実際とろけては口腔に広がり、噛むと小さな種がブツブツプチプチと歯の間で音を立てて潰れるのが楽しい食感であり蜜のような香りが強く、夢中になって食べつづけた。
それ以来無花果は“不味い物、嫌いな物”から“美味しい物、好きな物”というファイルに移されたのだ。
しかし残念乍その時に食べた無花果のおいしさは格別で今でも忘れないが、その美味しさに再会する事が今だ無い。
無花果は古代エジプト人も便秘解消に食べたり、果肉を切り傷、腫れ物の痛みを和らげる事、乳白色の樹液は虫刺されに効いたり、疣とりに使ったようだ。
その時私がもう一つねだってみたら、これは食べ過ぎるとお腹が痛くなるから今日はもうこれだけにしなさいともう1つだけ美味しそうなのを選んでもいでくれたのを覚えている。

無花果は善悪2面のシンボル性を持っている。
アダムとイヴの味わってしまった禁断の実は特定の実を指しているわけではなく、多くは林檎が使われ、 たまに無花果も使われることもある。そして身を覆うのに使われたのは無花果の葉だ。
また銀貨40枚でイエス キリストを売ったユダが後悔の挙句自殺したのも無花果の木の枝だという話もあった。
古代ローマでは豊穣と幸福の象徴であり、ギリシャではギリシャ神話のゼウスとガイア、ガイアの息子シケオスのエピソード所以で、無花果の木には雷は落ちないといわれるのだそうだ。
                    Codex Aemilianesis、994年
さて、今日は無花果が安売りで店に出ていた。
みるとそれほど美味しそうではなかったのだが、これを一つ砂糖煮にしてやろうと思い立ち、買って来たのを早速洗ってワインやレモン蜂蜜に砂糖を加え、残っていた西洋ニワトコリキュールも加えて煮つめてみた。
                      
ちょっと油断した隙に煮すぎて、フックリと仕上がらず、ひしゃげてしまったのだが良い香りがする。                                                            
とりあえず味見を一つ。
                  
器にそっと移して、バニラアイスクリームを添えるのがよいかと思ったが、そう都合よく何でも冷蔵庫から出てくるわけではない。仕方ないので丁度残っていたクワルクを添えて、生クリームと煮汁をたらし、色添えにミントを添えてつめたく冷やした。ところがこの組み合わせが案外成功だったようだ。
思えば無花果とクリームチーズはよく似合う。
もちろん子供の頃に味わった香りと味わいには及ばないが、とろりとした食感とクワルクのさっぱりとした味が実によく調和して、乗せたミントの香りがほのかに移り、最後にそのさわやかな香りがふわっと鼻腔に昇って行く、思いがけなく洒落たデザートが出来た。          

さて、今夜のデザートは思いがけず出来てしまったが、肝心な夕飯になるものが無くて今途方に暮れている。