散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

無物空間

2005-09-07 19:02:43 | 思考錯誤
時々粘土を捏ね回してメンタルケアをしている。仕事でいじる人はそうも行かないだろうが、土をいじっているとストレス解消になる。
そんな風にして出来上がった食器や花器がポツリポツリと部屋の中の隙間を埋めてゆく。そうでなくとも額や箱や石や、あらゆる材料、本。。。であっという間も無く隙間は埋まってしまい、時に何も無い真っ白な部屋に憧れるのだが現状は刻々と彼方に遠のいて行くばかりだ。

クレフェルドという隣町にあるかつて私邸であった美術館の一室にイヴ・クラインの真っ白な小部屋がある。
かつて本人がそこに逗留していた時に作ったという話だったように思う。
風呂場ほどの小さい部屋だが漆喰の白い部屋は実に魅力的だった。中に入ってしばらくじっとしていると不思議な浮遊感を感じる。
私もそんな部屋が欲しい。
もっとも全く何も無い白い空間に長い時間閉じ込められたら幻覚を見そうだ。

時々自作の器を大方捨ててしまおうと思って箱に詰めるが、貧乏性で捨よう、と思うと“水漏るわけで無しまだ使える”と思い直しては、捨てる捨てないの中間で宙ぶらりんになったままの物が増え続ける。欠けたカップでさえも、これを細かく割ってモザイクに使ったら面白いかもしれないと捨てずにいたりするわけだ。
作らなければいいのにと思うが、何しろ心の平安バランス調整作業であるから、まったくやめてしまうのはまずいという気もする。

いつの日か、何も無い部屋を持ってみたい。

ある日の事。
ある家の扉を開けると壁自体が発光しているように明るい。
まぶしい中で目を懲らすと玄関には額らしいものが一つ掛かっているきりの様だ。
他の“物”は無いのか、見えないだけなのかわからない。
”声”に導かれて玄関室から居間に向う廊下を歩くと、やはり壁が光っていて四方明るく物が見えない。
そこに何かがあるらしいのに見えない。まるで光の粒子が物体を覆い隠しているようなのだ。
光の粒子は時々”ぞわり”と粒つぶ感で動くのが有機的である。
光の中に手を入れるとまるで手が見えなくなってしまうので、驚きあわてて手を引っ込めた。

手をぐっと引いたその瞬間。。目が覚めた。


とりあえず眼鏡のレンズを白くしてみても、無駄な抵抗、意味が無いな。

小さな真っ白い無物空間に入ると、多分頭の中の塵芥は白色に吸収されて無になれるかもしれない。。が、ひょっとして隠れ畳まれていた何かが跳ね返ってきて、思い切りくたびれるだけなのかもしれない。