散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

呼吸する空模様

2005-09-10 17:17:00 | 製作記録

  何者?

  冠をいただいた南国の鳥プロフィール?

  壊れた傘に翻弄される老人?

   影雲が多い今日

  青空が呼吸しているようだ

。。。と言う記事をもう2週間ほど前に用意しておいて、すっかり忘れていた。
影絵で絵本を作ったらどうかなあと試しに影を色々撮ろうとしていたら、
カメラを調整しているうちに影が溶けて行く。アアア。。。と思っていたらまた影は戻ってきて
さてとピントを合わせようとしたら全く意地悪にもその瞬間散ってしまう。
そんな影をしばらく見ていたら空が呼吸しているかのようにも見えてきてしばらく眺めていた。
この日は雲がずっと千切れ千切れて流れてゆくので、ぼう~と暗くなったり、
すう~と明るくなったりの繰り返しで、目の筋肉の調整が追いつかない。
そのうち眼孔の辺りが辛くなってきて、光の入らぬ部屋に移動した。
ところで折角用意しておいた記事なので復活させる事にしよう。

”空の交換会”
空の写真は多くの人が撮っていて、それぞれ一枚とて同じ写真は無いから面白い。
私は収集する事が好きで今までに”夢”集めもしたし”道”集めも”影”集めもした。
とても月並みだが”空”集めもしてみたいと思ったのだ。
それで、ただそれぞれが”良く撮れた空の写真”を出し合うのではなく、日時を決めてそれぞれが撮った写真を集めて並べて見たいと思ったのだ。
私は並べる事がこの上なく好きである。

気がむいたら人がいたら日本時間9月12日月曜日午後4時丁度に空を見あげてください。 日本が4時だとこちらは朝の9時だ。
少なくとも幾人かの人たちが同時に意識的に空を眺めるわけだけど、私はとりあえずその時間に挨拶を飛ばしてみる。
そしてもしもカメラを持っていれば空の写真を撮って返信先を明記してメイルで私宛に送ってもらい、私が送られてきた空をランダムに交換して送り返す。(メイルアドレスはプロフィル欄参照:転送先アドレス明記ください)

以前私は”お茶の時間”というティーバックつきのカードを展覧会の時に出した。
XX年XX月XX日、XX時にそれぞれが自分でこのティーバックを使ってお茶を入れて
一緒に飲みましょうという内容だった。最近みんな”時間”が無いからね。
少なくとも同席できなくても一緒にイメージだけでもお茶のみしようよ、という話。
これと同じ内容で、”鳥のスープ”シリーズもあった。
案外楽しんでくれた人がいたものだ。
この”お茶”のほうは又そのうちに日本とドイツ間の共同プロジェクトで復活する予定。

もう一つ!
影募集中。
陰の無い日もあるからこちらは日時指定なしとする。

さて暇人の遊びに付き合ってやろうと思う人がいるだろうか?
タイミングよく私のブログを読んでくれたひとが人がい無ければ話にならないね。
何の意味があるかって? 
そりゃあ、意味がありすぎて読み上げて行くのが追いつかない。


神々の姿

2005-09-10 11:38:44 | 美術関係

ケルンのラウテンシュトラオホ・ヨースト民族博物館で仏像の展示をしているというので、教会巡りのついでに元気があったら入ってみようと心積もりしていた。
ドイツのロマネスク三昧の後で仏像と言うのもなんだか面白いかな?と思ったので、近所にいたこともあって足を延ばしてみた。
結果から言うと、特に面白い展覧会ではなかった。
仏教、ジャイナ教、ヒンドゥ教の神々が、主にタイからの収集で構成された展示である。展示数は少なく、お金もかけた様子も無く、客は少なくて静かであったとはいえ物足リ無い気分だった。
コレクターはヴィクター ランゲン、マリアンヌ ランゲン夫妻で、最近ノイス市郊外にこのコレクター収蔵品が納められたランゲン美術館が安藤忠雄の設計で建てられた。
                             ”Tirthankara” インド 9世紀
私はこの方面の詳しい事はわからない。殆ど無知である。
しかし仏像、神像などに対する私なりの趣味があって、気に入ったものを見つけた時には心臓がドキドキし始めるのだが、 残念ながら今回はときめきがやって来なかった。むしろその前に見た墓石の彫刻の方によっぽどときめいたものだった。(写真下)
   ”Plectrudisの石棺の彫刻”これらはカピトルの聖母教会にて。
多少は期待をして行ったのでがっかりした気持ちが残ったが、まあそんなに度々ドキドキしているとそれも心臓に悪いかもしれないので良かったという事にしよう。
                      ”Shiba と Parvati” インド13,14世紀
中では、この二人の像はちょっと気に入った。(↑)せいぜい30cmに満たない小さな物だ。
なんだか若い気さくな二人が、ヒッチハイクでもしようとして「ハァ~イ」なんて声をかけてくるんじゃないか?
なんて想像をしてしまい一人でにやけていたのは、私だけなのかな?

それにしても、これは好きかな?と思って近づくとどういうわけだか皆インドの物だった。
タイの仏像はとても美しいがどうも私にはこわく見えて仕方ない。

会場の片隅に”貴方の神はどんな姿をしていますか”という質問があって、脇に紙に書き付けたメモが張り出されていた。
”神は姿を持たない。そこにおわす。”
”神は太陽に様で、いつも微笑む”
”神はイメージ不可能”
”神は光”
などと、用紙には大人の字も子供の字もドイツ語も英語も図解も見える。

私の持つ神のイメージは抽象的かもしれない、しかし変幻自在で姿はあって無い、無くてある様だ。