散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

ロマネスク巡礼その2

2005-09-06 11:27:10 | 移動記録
エンジンが掛かってしまうと突っ走って、そのうちに崖から落ちるタイプが私である。
私は特に歴史に強い方では無い。興味が呼び起こされた時のみスイッチが入って、俄然その部分調べまくる。ガラクタの知識を沢山掻き集めて並べて喜んでいるのだ。最近は記憶装置が壊れかけてきていて、ざるで水をすくうようなものだからいくら見ても聞いても読んでも金網に引っかかるのはわずかだからいけない。
そういうことで実に雑多な切れ切れの知識をもって私の世界は構築されているので、とんでもない事を言い出す可能性もあるので注意。注意。
さて、自己分析に取り掛かる前に私はロマネスク巡礼第2弾のまとめを書き始めようとしていたのだから、これからそちらに向う。
やはり天気にも恵まれた金曜日。
-ここにしばらく住んでいると天気に恵まれたかどうだかの特記をしなければ気がすまなくなってしまう。それほどに曇天雨天が幅をきかせているということだ-
。。兎に角その青空に白い雲がぽっかり浮かぶ平和な金曜日に又再びケルンに向った。
一番に訪ねたのは“聖セヴェリン教会”で、一部ゴシック様式で1530年に完成した。

堂々たる教会ではあるが目当ては地下にあったので、見ると残念ながらは修理中で入る事が出来なかった。
それならばと次の目標に向う事にした。“聖パンタレオン教会”だ。ローマ時代の遺跡、ヴィラの上に建てられた。

10世紀にブルーノ司教の命によって設立されたベネディクト派修道院教会で、12世紀頃はバロック様式も加わり現在に至る。天井は平面的で、四角いタイル状に嵌め込まれた絵が美しい。
パイプオルガンはケルンでは一番古いといわれている物だが、それよりも何よりもオルガンの周りの石の彫刻がほどこされた聖歌隊席が圧巻である。たまたま教会に入るとオルガン奏者が練習中で美しい重い響きを持った音が天井から静かに頭の上に舞い降りてくるかのようだ。

外に出ると既に秋の匂う日差しとはいえまだ暑い。せっせと歩いていると半袖一枚でもかなり汗ばんでくる。街角の八百屋の出店にはそろそろ南瓜が並び始めた。もうハロウィンの支度を始めた店も見える。そういう気の早さにこのところ加速度が付いていて、せかされているようで気ぜわしい。そんな手招きに誘われずにいればいいものだが、つい反応してしまい溜息が出る。
さて溜息はどこかに飛ばしておいて次の教会を訪ねよう。
“聖ゲオルグ教会”の外見は実に質素である。教会が建っている場はもともとローマ時代には街の外壁にあった、ボンとケルンを結ぶ交通路の監視警察所だったということがわかっているらしい。
第一次大戦後崩れ落ちる寸前だった聖ゲオルグ教会は改修されたが、復元は考慮されず、簡素な教会として復活した。教会の中の一部の柱頭、入り口のモザイクなどが当時の面影をひっそりと見せるだけなのは残念だが、こじんまりと落ち着いた雰囲気があり、中庭でひっそりベンチに座っているとハロウィングッズに追われた気分がす~っと遠のいた。

そこから10分ほど歩くて“カピトルの聖マリア教会”に到着する。
ここには紀元後約50年にカピトルの丘の神々ジュピター、ユノ、ミネルヴァを祭るローマ神殿が建てられた場所であり、後690年頃その廃墟の上に聖母教会は“中ピピン”の妻プレクトルディスによって建造され、そしてベネディクト尼僧修道院となった。
ベツレヘムの生誕教会の平面図を真似て作られている。戦争でかなり破損し,復元部分が多く壁画などは失われているが、1050年頃に作られたキリストの生涯を描く木彫の大扉は中でも有名であり、他にも素晴らしい木彫が残っている。


入り口付近にあるプレクトルディスの墓石の彫刻が美しい。静かな品に満ちた表情をして、片手に携えるのは聖母教会なのだろう。今では色褪せてしまったが作られた当時はかなりはっきりとした色使いで仕上げられたのだろう。最もこの色褪せた感じが私には気に入っている。この墓石は1280年のもので、何故かもう一つ1160年に作られた物がある。
オリジナルの建物ではないとはいえ、ロマネスク独特の雰囲気に包まれて想像の余地多き教会である。

今回は4件を回ったが、まだ5件を残している。
流石にこれだけ見て回ると少し疲れて来た。しばらく消化作業に専念する事にしよう。ケルンの美術館で行なわれている“キリストの視点”という展覧会にも行くつもりなのだが、なかなか行く事が出来ない。
空模様が順調だったのでつい調子に乗って走り回ったが、この方面に繰り出すのはしばらくの間お預けになることと思う。