つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

化生の海

2019年07月10日 11時07分25秒 | Review

内田康夫/新潮文庫

 2006年2月1日初版、シリーズNo.92。581pの長編力作。北海道の余市・松前、石川県の加賀・橋立、山口県の彦島(福浦町)、そして福岡県の津屋崎町までダイナミックでありながら、緻密な描写の積み重ね、読み応えのある作品だった。日本の物流黎明期とでも言えるような北前船の盛衰までさかのぼりながら、巧妙に現代につなげる技はいつもながら感嘆してしまう。
 結果としては「遺産の相続争い」の果ての殺人事件ということになるのだけれど、最後は浅見流の「武士の情け」を迫る結末になった。人はここまでその根拠を示さなければ納得しないもののようで、そこで初めて罪の重さを理解するらしい。

 ミステリーには定番としてカラクリの「種」というものがあるのだけれど、著者はあまりそれにこだわらない。あまりにもそれらしい、取って付けたような「種」も読者は歓迎しないと思うが、今回の作品には「種」があった。もう一人の主人公、深草千尋の邸と隣の家の「清涼山荘」が地下通路でつながっていることである。中にはやたら非現実的なカラクリを持ち出す作家も居るようだが、著者はいかにもそれらしく、無理のない程度にさりげなく出してくるところが憎いと思う。

 余市の自然は植松三十里さんの「リタとマッサン」を思い出さずにはいられない。そして、松前は宇江佐真理さんの作品にも時々登場する場所である。時代小説なので松前藩や北前船、蠣崎波響は実に懐かしい名前だった。

 「化生」はケショウと読み、光彦の嫌いな「霊的な存在、お化け」といった意味で「冬の海は化生のように恐ろしい」が判る。同じ字を当てて、カセイと読む場合もあるが、こちらは全くの「病理形態学」上の専門用語で、ケショウとは似ても似つかない意味になる。


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