すけあくろう 多楽祭 ライブレポート

毎月最後の土曜日に開催しているアマチュアミュージシャンばかりが集まって出演するライブイベントのレポートです。

5月の多楽祭♪♪

2011年06月03日 | 過去の多楽祭
彷茫さんが亡くなったのが1月17日でしたから、早いものでもう四ヶ月が過ぎたのでありますよ。今頃、あの世の極楽っちゅうええ按配のとこで、たて笛吹いたり、「♪生きていますか」なんてぇ歌を口ずさんでおられるのでありましょう‥彷茫さん、待っときんさいよ、遅かれ早かれみんな行きますけぇの、そっちへ、、、ん、待てよ、極楽へ行けりゃあの話しで、も一つのコースじゃったら会えんがな。

【彷茫さん追悼ライブ】のスペシャルCDが完成しました!

 永迫選手と畑中キャプテンのお陰で、メッチャええんが出来ました!総勢12組のつわもの供が、彷茫さんを想い、慕い、感謝し、そしてご冥福を祈りながら唄い、演奏した音魂のかたまりが、12曲ぎっしりと入っております。一回、聴いてみて頂戴。

そんな雨の夜に、五月の多楽祭がはじまるのでありました。




「悪あがき」と名づけたバンドの重鎮はこの方。先日嫁がれたお嫁さんが写真のたかチャン。いっつも一緒です。よう笑うての素敵な女性です。このたかチャン、いつか多楽祭のステージで、本職のパフォーマンスを披露してくれるのではないかと筆者、虎視眈々肩トントンとその日を待ち望んで居るのです、実は。




 よっ!社長!‥と呼んではいけない。あくまでもうるしだにさんです、ウルトラ7/イレブンの。そのむかし、流川、薬研堀界隈を闊歩していた頃、「社長さん、社長さん」とか、「シャッチョーサン、シャッチョーサン」と何故か右側面から声をかけられては誘導されかけておりましたが、決して「社長さん」とか「シャッチョーサン」と袖を引かれていったほとんどの男どもは、社長ではなかったのであります。しかし、うるしだにさんは、正真正銘のシャッチョーサンですが、よ!社長!と呼んではいけないのです。






西村さん&山田さんの豪華なユニットです。54号線の赤名峠手前にある蕎麦屋「くれたけ」の大盛ざるそばを食しに行かれたのであります。この二人の御仁、面食い有らず、麺喰いでありまして、旨いラーメンがあると小耳にはさめば今日は西へ、明日は東へと、たとえカムチャッカ半島であろうが喜望峰であろうが、旨いラーメンのためならどこへでも行くと云う豪傑であります。




筆者、とある事情から赤堀女史のことを、「会長」と呼んだり、「由美子姐さん」とお呼びしたりしとりますが、この方の本当の魅力は、「ニッポンの母ちゃん」とも云うべき、こうであって欲しい貰いたいと思うニッポンの母ちゃん像をオールモスト含有された非常に頼もしい女性でありまして、今宵も愛器のクラちゃん(クラリネット)が久々に友人の宇宙人と交信するピーッと云う交信音も織り交ぜての、楽しいステージングで楽しませてくれたのです。




 「人間長いこと生きとったら、色んなことがあるよ。ワシらのこの歳になりゃ、今までにせんでもえかった心配もせにゃならんようになる。」‥と、多楽祭がはじまる前に交わした会話の一部であります。そうです、この歳になりゃ色んな関わりも人の生き死にもこれまで以上に複雑になったり、増えたりするんですよ。また、エエ歌が出来上がって来るんでしょうねぇ。













 この御仁は筆者と同い年と云うことなれど、何やら貫禄、落ち着きの様、人望の篤さも桁違いな感があるのでありまして、生きてきた時間の長さより、中身と申しますか、木目の細かさと云いますかネ、やっぱり人間、五十路を過ぎて違いが判ると云う先人の言葉に説得力を感じるので御座います。


貫禄‥と云えば、この畑中キャプテンも一歩も引けを取りゃしませんぜ、旦那。この日、みなさんに初披露出来ました「彷茫さん追悼ライブ」のスペシャルCDの製作も、はなっから尽力いただき、立派で素敵な一枚を完成していただきました。ジャケットも歌詞カードも写真もミキシングも全部、おんぶに抱っこでした。ほんまにありがとうございました。








大阪でライブが明日あるので先に帰ります‥とそのまま大阪に向かわれたアコーディオンの土本さんと、ビオラの吉本さんのご両人のジプシーミュージックと云うんでせうか、筆者無知なのものですから良くわからないのですが、この夜参加したつわもの達もイチコロの素敵な演奏を聴かせてくれました。




佳舟先生には、最近トリを務めてもらうこと多しで、大変心苦しく思うておりまして、今度は超ゴールデンタイムの玉座を用意させて戴こうと思うておるところです。しかし、極ご近所と云うに、最近は一緒に飲んだり語ったりする機会が少のうなりまして、さびしい限りでありますが、子育て真っ只中の身の上では致し方なかろうと、諦める筆者なのであります。

そうして、台風二号が接近する雨の夜につわもの達は、三々五々帰途についたのでありました。完